第57話

 剣の柄から、微かな感覚が伝わってくる。

 貫いた相手の鼓動に合わせた、微かな感覚が。

 

 生暖かい血が刃を伝い、そして俺の手を濡らす。

 冷え切った体には丁度いい。

 まだ俺が生きているのだと実感できる温かさだ。


 ただ左腕の感覚が全くないのが問題だった。

 あの光の柱に呑まれてしまったせいだろう。

 ふと視線を向ければ、なるほど。

 光の直撃を受けた肘より先が、消滅していた。

 

 俺にとっては、大きな代償だ。

 しかしその代償に見合った物も、手に入れている。

 目の前には、驚愕に目を見開いた女神。

 アルディミスは自分を貫く剣を、ただただ眺めていた。


「な、なぜ」


「はは、そんなに不思議か?」


 小柄で華奢なアルディミスの腹部を、俺の剣はいとも簡単に貫いていた。

 アルディミスが呼吸を繰り返すごとに鮮血はあふれ出し、衣服を赤く染め上げていく。 

 人間であれば確実に助からない傷だ。

 冒険者でなくとも致命傷だと一目でわかる。

 

 しかしアルディミスは身をよじらせて、剣を引き抜こうとした。

 神は人間とは作りが違うと言うのか。

 それとも強靭な生命力を備えているのか。


 そのどちらでもないだろう。

 彼女は自分や人間の体に無頓着なのだ。

 今まで傷を負った事が無く、また誰かを直接殺したこともない。

 ゆえに、その傷が致命傷だと理解できていない。


 自分の運命が理解できていないのだ。


「どうして、動けるんですか。戦乙女の加護は、確かに発動していたはず」


「破壊者の能力は摂理を越えて、すべてに干渉できる。つまり俺自身もそこに含まれるんだよ」


 忌々しい事に、この女神は俺にスキルを押し付けた。 

 それが俺への最後の切り札であり、保険でもあったのだろう。

 だからこそ、その自分のスキルを破壊したまでだ。

 

 アルディミスの動きを見ていれば分かる。

 戦いの殆どを部下に任せ、自分は能力を貸すだけ。

 俺達との戦いも神の権能によっての力に頼り切っていた。

 そんな奴が近接戦闘の心得なんてある訳がない。


 肉薄さえしてしまえば、殺す事など容易だ。

 そしてそれが事実となり、俺の刃は神に届いた。


「でも、まだ防御魔法が――」


「あぁ、そうだな。現代の脆弱な武装じゃあ、お前の魔法を貫けないんだろ。じゃあ、この剣ならどうだ? ほら、よく見ろよ」


 半歩踏み込み、柄を押し込む。

 アルディミスは苦痛に悲鳴と嗚咽の混じった声を上げた。

 だがそこで、ようやく俺の持つ剣の正体を悟った様子だ。


 神々の時代に作られたテレジアス鋼の儀礼剣。

 後生大事に使い込んだそれは、今や俺の復讐の相棒とさえ言える存在となっていた。

 アルディミスは涙と怒りを湛えた瞳で、俺を睨みつけた。


「テレジアス鋼の、儀礼剣ですか。そんな物を、どこから」


「あの絶望の淵から持ち帰った、特別な剣だ。さぞかし、恐怖と怒りと絶望の味が染みついてるだろうぜ。いや、お前の仲間の血の味がするかもな」


 思わず笑い、そして血を吐く。

 口の中を負傷した訳ではない。

 喉の奥からせり上がってきた血の塊だ。

 自分に残された時間が長くない事は、わかっている。

 だがあと少しだけ。

 少しだけでいい。

 目の前の女の死に様さえ見られれば、それでいい。


「に、人間風情がっ! 私を殺せばどうなるか、まだわからないのですか! 争いが争いを生み、世界は戦火に包まれる! そうなっても良いというの!?」


 女神は優雅さをかなぐり捨てて、吠える。

 まさに叩きつける様な言葉だった。

 女神の言う世界平和は理不尽な犠牲を生んでいる。

 しかしながら、それで多くが救われるというのも事実だった。


 俺と関わった人々も、戦争で命を落としていたかもしれない。

 戦乱によって更なる犠牲が生まれ、大陸は血で染め上げられていたかもしれない。

 広がる戦火によって犠牲になる人々を考えれば、俺達は必要な犠牲だと言えるのだろう。


 だが、そう考えてもなお、俺の決意は揺るがない。


「俺が善悪で動いてる様に見えるか? そもそも世界がどうなろうと知ったことじゃない。俺は俺の復讐さえできれば、なんだっていいんだよ。魂と記憶に焼け付いた復讐心が満たされれば、それでな」


「そんな利己的な理由で、創造主である神を、繁栄をもたらした神を、神々の女王である私を――」


「最後の最後まで、そんな言葉しか出てこないのか? 意外と神様ってのも馬鹿なんだな」


 アルディミスの言葉を、嘲笑う。

 アルディミス自身を、嘲笑う。

 こんな状況であっても俺を言葉で抑え込めると思っているその考えが。

 未だに生き残れる可能性があると信じているであろうその甘さが。

 正義の為ならば理不尽な死さえ押し付けられるその傲慢さが。

 

 俺の抱く復讐心に対しての、宣戦布告でもあった。


 俺程度の人間ならば言葉で抑え込める。

 言葉で騙しきれば、まだ生き残れる。

 正義の行いをしている自分が、死ぬはずがない。


 そんな考えを持っている女神へと、分かりやすく告げる。

 

「たとえお前が冒険者だろうが、戦士だろうが、魔法使いだろうが、神官だろうが――」

 

 剣を血飛沫と共に引き抜き、振りかぶる。

 ふらつき、立つことさえままならない女神の目には、なにが映っているのか。

 恐らくは、自分に迫る明確な死を見ているに違いない。


「男だろうが、女だろうが、子供だろうが、老人だろうが、奴隷だろうが、貴族だろうが――」


 俺を見上げる女神の顔は、醜く歪んでいた。

 正しいことをしていたはずなのに。

 自分がなぜ殺されなければならないのか。

 そう言いたげな表情に、歪んでいた。


「神だろうが、女神だろうが……世界の平和を保ってきた神の女王だろうが!」


 かつて同じように、俺へ理不尽な死を与えようとした女神が今、俺の手で死を迎える。

 逃れられぬ、絶対的な死を。


「復讐をしない理由に、なりはしねぇんだよ!」


 女神の悲鳴は、深い夜闇に反響し、霧散した。

 俺以外の誰にも聞き届けられることなく。

 ただ、消えていった。


 ◆


 その瞬間をもってして、世界から神は消えた。

 それでも世界は変わらず、理不尽なままだった。

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