第56話

 神と人間。

 その間には、もはや道理も理屈も通用しない。

 あるのは永遠に埋まらない思考の溝だけだ。

 もはや話し合いで解決できるものはなにもない。

 

 そう判断しても数舜の間、動けないでいた。


 目の前の相手が本物の女神であり、そして俺達の命を奪おうとしている。

 その現実離れした状況を前にしても、一つの影が瞬時に動き出した。

 唯一、傷を負っていなかったヴィオラである。


「人間をなめてると、後悔することになるわよ!」


 瞬時にクロスボウでアルディミスを狙う。

 神とは言えども不老不死ではないことは、アルディミス本人の口から語られている。

 であれば物理的な攻撃を加えてれば、神を殺すことさえ不可能ではない。 


 ヴィオラがクロスボウの照準をアルディミスへ向けた瞬間。

 それは突如として、頭上に現れた。

 

「ヴィオラ、避けろ!」


 なんの前触れもない一撃が、大地を抉った。

 光の柱としか形容できないその攻撃によって、ヴィオラの体が地面を転がる。

 身動き一つしていないヴィオラに、不安が募る。

 気を失ったのか、それとも……。


 一方のアルディミスは、ヴィオラの矢をいとも容易く防いでいた。

 見れば彼女の周りには半透明の防御魔法のような物が展開されている。

 あれを突破しなければ、彼女に傷ひとつ付ける事さえできないのだろう。


「現代の脆弱な武装など、神代の魔法の前では無力。今の私には到底、届きませんよ。夜空に浮かぶ月に、手が届かぬように」


「あぁ、そうかよ! なら、それをぶち抜いてお前を殺せばいいだけの話だろうが!」


 神代の魔法がいかなる物なのかは、まだわからない。

 しかし破壊者のスキルであれば、それを突破できる。

 俺の中にはそんな確信があった。


 傷だらけの足にむち打ち、アルディミスの元へ肉薄する。

 佇むだけの彼女に、近接戦闘の心得があるとは思えない。

 近づきさえすれば、俺に有利なはずだ。


 鮮血をまき散らしながら抜き放った剣はしかし、アルディミスを捉えることは無かった。

 いや、それどころではない。

 彼女に刃を向けた瞬間、俺の体は動きを完全に止めていた。


 その様子を、ただ眺めていただけのアルディミスが微笑を浮かべる。


「滑稽ですね。創造物が創造主である私に刃を向けるとは」


「な、なんで……体が」


「おかしな事を聞くのですね。覚えていませんか? 戦乙女は我々が作り出した兵器だと。その加護を受けている貴方が神に害することなど、できる訳もないのですよ」


「まさか、このスキルはお前が……。」


「スキルの剥奪はアポロスの権限によって禁じられています。ですが私も同じ神である以上、数は少ないですが貴方達にスキルを与える事ができるのですよ。一種の安全措置として付与していましたが、役立って何よりです」


 その告白は、俺の想像が及ばない物だった。

 つまり俺は、最初からこの女の手のひらの上で踊っていたのだ。

 ユニークスキルを得て喜んでいた俺を見て、こいつは嘲笑っていたわけか。

 この復讐が始まったその時から、この女神は先手を打っていたのだ。


「最初から、お前の思惑道理だったって訳かよ、この糞女神が!」


 吠えた、その瞬間。

 アルディミスの背後で火花が散った。

 見ればファルズがアルディミスの背中に、短剣を突き立てていた。

 負傷した体を酷使して、この女を殺そうとしていたのだ。


 しかし、その刃が届いた様子はない。

 ファルズの苦し気な表情を見ればわかる。

 傷を付けるどころか、触れられてさえいないのだろう。


「ごめん、アクト。僕の力じゃあ、届かなかったよ」


「うっとうしい羽虫がいますね。潰してしまいましょうか」


 アルディミスはファルズの方を振り返ることなく、小さく手を振り払う。

 ただそれだけ。たったそれだけの動作で、光の柱が降り注いだ。

 クレイスの技とは比べ物にならない程の威力を秘めたそれが、周囲を消し飛ばす。

 その中にいたファルズがどうなったか、確認する自由さえ俺には残されていなかった。


「ファルズ! お前は、殺す! 絶対に、殺す!」


 剣を握った腕に、力を籠める。

 傷口から鮮血があふれ出し、腕を伝う程に。 

 しかし俺の意思に反して、腕は寸分たりとも動かなかった。


「その破壊者という能力は元々、アポロスが外神……外の世界より来訪した穢れた神共と戦う際に編み出した、神殺しの禁忌の力。この世界の法則を無視した、すべてを破壊してしまう忌まわしき力です。人間如きが持っていていい力ではありません」


 勝利を確信したのか。

 アルディミスは俺の周りを優雅に回り始めた。

 品定めするように、そして見定めるように。 

 そんな月光を浴びて美しく輝く銀月の女神はしかし、今や死神にさえ見えた。


「なぜ貴方がその能力を得たのか。誰が貴方にその能力を与えたのか。よりにもよって、アポロスが生み出したその神殺しの力を。それが唯一の気がかりですが、まずは貴方を消してから考えましょうか」


「神殺しの力、か。お前を殺すにはおあつらえ向きの能力だな」


「えぇ、だからこそ早急に消させてもらいますよ。私がいなくなれば、混沌の時代となってしまいますから」


 大陸のため。大陸に住む全ての者達のため。そのために死ね。

 銀月の女神アルディミスの言葉は、すべてそこへ集約される。

  

 本来であれば諦めてしまっていたかもしれない。

 俺が死ぬことで大勢が救われるのであればと。

 この破壊者のスキルを得る前なら、そう考えてしまったかもしれない。

 あの時のままの俺ならば。

 

「あぁ、アポロス。貴方が蘇り、私の功績を讃えてくれるその瞬間が、待ち遠しい。私は世界を完璧に保っていますよ。これまでも、そしてこれからも」


 だがしかし今は、簡単に殺される気など、微塵もなかった。



 俺の真上に集約される光の柱。

 先ほどアルディミスが使った技の兆候だ。

 無防備な今、まともに受ければ即死は間違いない。


 俺に残された時間は、わずかだと言える。

 周囲をまわり終わったアルディミスが再び俺の前へと姿を現した、その時。

 心の奥底に溜まっていた全ての物が、口を突いて出てきていた。


「なぁ、女神様。お前は本当に、世界の平和を祈って人を殺してたのか」


「もちろんです。アポロスが私に託した以上、完全な形で後世に残していかなければ」


「そうか、これがお前の言う完全な形の世界なのか」


「大陸に生きる者達は素晴らしい発展を遂げました。争いとは無縁で、世界の平和を享受し、これからも末永く栄えていきます。これが完全と言わずして、なんと言うのですか?」


 小首を傾げるアルディミスは、じっと俺の目を見つめていた。

 月色の瞳は揺れることなく、俺の瞳を射抜き続ける。

 そこには自分の行いへの自信、そして意志の強さが混在していた。

 だからこそ、俺も考えが吹っ切れた。


「はは、あっはははははは!」


「なにが可笑しいのですか?」


「いいや、なに。ここまで清々しいと、いっそ殺しがいがあると思ってな」


 臭い物に蓋をする。

 大の為に小を切り捨てる。

 犠牲の上に成り立つ世界平和。


 どこまでも俗物的な人間らしい神の思想を笑う。

 いや、違うか。

 創造主である神がそんな思想だから、俺達もそうなったと言えるのか。


 どちらにせよ、崇め奉るほどありがたい存在じゃないのは確かだ。

 ただ俺に笑われた事が不満なのか、アルディミスは片腕を空へと向けた。

 

「己の目的が最優先と考える人間には、まだ早すぎましたか」


「お前が人間の都合を知ったことじゃないと思っているのと同じように、俺もお前の都合なんざ知ったことじゃない。お前がどれだけ崇高な目的を持っていようと、どれだけ大勢の人間を救っていようと、俺の中の答えが揺らぐことなんて絶対にないんだからな!」


 頭上の光が強まり、俺の周りにいくつもの光の柱が降り注ぐ。

 後はアルディミスが合図をすれば、俺は肉塊へと変わるだろう。

 だからこそ、これは最後の賭けだった。


 そして糞女神が俺の目の前に来てくれたことで、すべての条件は整った。

 最後は俺の破壊者としての能力が勝つか。

 はたまた神々の女王、アルディミスが勝つか。

 

 もはや気が飛びそうな程に使い切った魔力を、心の中にある復讐心を、目の前にいる女神への怒りを、すべてを使って、スキルを発動させる。

 対象は、眼前に佇む女神、ではない。


「その綺麗な顔面を吹き飛ばして、どす黒い内臓を引きずりだして、踏みつぶしてやるよ、アルディミス!」


「二度と目覚めぬ眠りにつきなさい、破壊者」


 視界が白く塗りつぶされる。

 頭上から、圧倒的破壊を巻き起こす光の柱が降り注ぐ。

 その瞬間。

 世界に凄まじいまでの破壊音が響き渡った。

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