第55話

「アクト!」


 酷く遠い場所から名を呼ばれた気がした。

 だがふと視線を向ければ、ファルズが真横で俺の名を呼んでいた。

 自分も酷い傷を負ってるのに俺の心配をする余裕があるのかとも思う。

 しかしそんな言葉さえ口から出てこなかった。


 言葉が出ないのは、その程度の体力の余裕さえないからか。

 遠く聞こえるのは、俺の耳がおかしくなってきたからか。

 

 だが、まだ息をしているし、剣は握れるし、歩くこともできる。

 視界は少しぼやけ、赤みがかっているが、問題はない。

 最後の復讐が、残っているのだから。


「まだ、大丈夫だ。だから早く、イベルタを……。」


「大丈夫なわけないでしょ! 貴方、自分の体がどうなってるかわかってるの!?」


「ヴィオラの言う通りだよ! 今は怪我を手当てしないと、いくら復讐をしてもその傷じゃあ……。」


 言われてみればと、自分の体を見下ろす。

 すると、地面には赤い血溜まりが広がっていた。

 よく見れば至る所の皮膚が裂けて鮮血があふれ出している。

 呼吸も荒いのにひどく寒く感じるのは、そのせいか。

 

 自分の死が近いことは、すぐに分かった。

 ふたりはそれを心配して言ってくれているのだ。

 ただここで怪我の手当てなどしている暇などはない。


「自分の事は、自分が一番わかってる。だが、ここで時間を使えば、またイベルタを――」


「その心配は必要ありませんよ、破壊者。今さら逃げることなど、無意味ですから」


 声は崩落した建物の中から聞こえた。

 鈴を転がした様な可憐な声は耳に心地よく、こんな状況だというのになぜか心が安らぐ気さえした。


 重い頭を声の方向へと向けて、そして息を呑んだ。

 姿を現した人物は、クレイスを凌ぐ美貌を有していた。

 美術品や加工された宝石などの美しさではない。

 自然が作り出す荘厳な風景と同じ種類の美しさだ。


 それだけで、その女が人外という事だけは、理解できた。

 そしてその女が、クレイスの言っていた『彼女』とやらである事も。


「そうか、お前か。お前が、そうなのか」


「ふふ、私がイベルタか、ですか。答えに困る質問ですね。イベルタとは私が遣わした変わり身の名前ですから。そうとも言えますが、違うともいえます。ですから、ここは本当の名前を名乗る必要がありそうです」


 楽し気に笑う女は、その名を宣言した。


「神々の女王にして銀月の女神、アルディミスと」


 ◆


 大陸全土を見回して、神々の中でも最も信奉されるのは太陽神アポロスだろう。

 天空に燦然と輝く太陽を体現したアポロスは別名、神王とさえ呼ばれる。

 そしてアポロスが太陽ならば、それと対になる存在である月の神も存在する。

 絶世の美貌と慈悲深さを有すると言われる、神々の女王にしてアポロスの伴侶でもある、銀月の女神。

 それがアルディミスという神である。


 その神が今、俺の目の前にいる。

 古の時代に存在したという神が。


「ここにきて本物の女神様が出てくるなんてな」

 

 悪夢か、悪い冗談か。

 朦朧とする意識の最中、目の前の相手が女神だという事実を否定しようとしていた。

 だが定まらない思考の中であっても、納得してしまう答えが導き出されてしまった。


 神の先兵である戦乙女のクレイスが忠誠を誓った相手であること

 銀月の女神の変わり身であるイベルタと言う名をかたっていたこと。

 協力者であるロロやクレイスが月夜に異常な能力を発揮したこと。

 関係のある人物が一様に『月』という言葉に固執したこと。


 そのすべてが、目の前の人物が銀月の女神であることを証明していた。

 全ての疑問が氷解したことで、目の前の女が銀月の女神である証明をしてしまったのだ。

 復讐の最後によもや神を相手にするとは、思ってもみなかったが。


「それはお互い様ですよ。まさかここまで来て、それも私の半身であるクレイスを殺してしまうとは。今後の計画に大幅な変更が必要ですね」


「計画、か。つまり全てはお前が仕組んだことなのか」


「今となっては、世界の平和を守る事が神である私の使命であり、宿命でもありますから」


 当然だと言わんばかりの返答に、思考と傷が熱を帯びる。

 冷静になれと自分に言い聞かせて、動き出そうとする足を抑えていた。


「宿命と来たか。神のお前にそんなものがあるなんてな」


「愛すべき夫であるアポロスが長い眠りについた後、私がその使命を引き継いだのです。世界に生きる者達の繁栄と平和を」


「それで慈悲深き女神様は、太陽神の創造物を殺して遊んでいたと。血生臭い使命だな」


「血生臭い? 私が、ですか? それはおかしいですね。全ての行動は信者に行わせていたので、私から血の匂いなんてしないと思うのですが」


 それは、強烈な違和感が、表面化した瞬間だった。

 アルディミスは真面目腐った様子で自分の姿を確認している。

 まるで俺の言葉の意味を、そのまま受け取ったかのように。

 

 そして、気付く。

 根本的に思考と価値観が違うのだ。

 神であるアルディミスと俺達では。

 

 恐らく、アルディミスは世界平和を愚直に守り続けてきたのだろう。

 それが間違いなく、正しいことだと信じながら。

 俺達にとってその行いがどれだけ理不尽で残酷なことなのかなど、知りもせずに。

 

「腐りきった根性だな。自分の手は汚さず、他人の命を奪いやがって。自分は安全な場所から命令してるだけで、危険はないとでも思ってたのか?」


「当然です。私は正しいおこないをしています。正義は悪を打ち砕き、そして世界を照らし続ける。まさに太陽と月のように。それが創世の理です」


「神々の程度が知れる。こんなおめでたい頭の奴が女王を名乗ってるんだからな」


「あら、その心配は必要のないものですよ。だって私とアポロス以外の神は、死に絶えたから。だから私が世界の管理をしているのよ?」


 その事実に、答えを返すことができなかった。

 しかし納得ができる部分もあった。

 だからここまで、この女神の行いは止まる事が無かったのだ。

 アポロスがアルディミスに大陸の管理を預けたという、その時から。

 永劫とも思える長い歳月を、この女神は正しいことだと思って、人々を殺してきたのだ。


「アポロスは外神との戦いの後に眠りにつきました。いずれ復活の時を夢見ながら。しかし私は気付いてしまったの。愛すべき子供の中には神さえも殺しかねない、邪悪な力を授かる運命を持った者達がいる。私とアポロスが夢見た平穏を打ち壊す運命を持つ者達がいると」


 絶世の美しさを持つアルディミスの表情が曇る。

 そこに悪意や邪悪さは感じられない。

 いっそ無邪気ささえ感じられる。

 しかし、だからこそ。

 その行いに躊躇がなく、そして道理が通っていない。


「そのスキルは太陽神アポロスが与えたものだろ! それを同じ神であるお前が、勝手に命を奪う理由に使うのか!」


「そうですよ? なにを当たり前の事を聞いているんですか?」


 俺の叫びを、純粋無垢な女神の言葉が否定した。

 いや、それが否定と呼べるものなのかは、定かではない。


「貴方達は神の慈悲によって生まれ、慈悲によって繁栄し、慈悲によって生きている。ならばそれらを終わらせる権利もまた、神にあるのが道理でしょう?」


 それは人間には永遠に理解できない、神の視点だった。

 言い放ったアルディミスはと言えば、一切の悪意を含まない純真な笑みを浮かべている。

 おぞましいまでの、無邪気さをたたえて。 


 人類と神。

 創造された者と、創造した者。


 人類おもちゃしょゆうしゃの都合で自由にできる。

 それが神の見解。

 銀月の女神アルディミスの見解だった。 

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