第54話

「消えろ、破壊者!」


 咆哮と共に銀色の影が大地を駆け抜けた。

 瞬き一つよりはるかに短い。

 気が付けば、クレイスは目の前に迫っていた。

 

 反射的に剣の腹を盾代わりに、剣戟を受け流す。

 激しい火花が散り、凄まじい衝撃が腕を突き抜ける。

 しかし、斬られてはいない。

 

 次の攻撃に備えようとした次の瞬間、


「君が消えろ、クレイス!」


 クレイスの背後で、一対の刃が閃いた。

 すでに背中を取っていたファルズの奇襲だ。

 スキルの力が乗った双牙は、並みの鎧をいともたやすく貫いて見せる。

 

 しかし相手が悪かった。

 本能か、戦士としての勘か。

 振り向きざまに振るわれたクレイスの拳が、完璧な形でファルズを捉えた。

 

 肉を打つ音と共に、悲鳴が上がる。

 しかしその一瞬。

 ファルズが作り出した一瞬は、この上ない好機となった。

 

「ゼル・インパクト!」


 クレイスは、俺から視線を逸らしていた。

 完全に背後のファルズに気を取られていた。

 決着だと確信した。


 だというのに、彼女は半歩移動しただけで俺の一撃を避ける。


 空振りした一撃は止まることなく、地面を打ち砕いた。

 その反動で周辺の木々が揺れ、鳥たちが一斉に飛び立つ。

 ただ次に隙を作ったのは、俺の方だった。

 決着を急ぎ過ぎたのだ。


 鋭い踏込と共に振るわれる銀色の剣。

 地面を叩きつけた直後の俺に、それを受け流せるだけの余裕は残っていない。

 とっさに振り上げた剣で、クレイスの一撃を受け止める。

 

 振り下ろすクレイスと、押し込まれる形の俺。

 どちらが有利かなど、言うまでもなかった。


「戦い続きで、消耗しているな。大技が使えないのもそのせいだろう」


「なるほどな。俺達の情報をどうやって集めてるのかは知らないが、すべてお見通しって訳か」


「全てではない。だが月夜の間に起こったことの中で、私の知らないことなどない。そして」


 瞬間、視界が暗転した。

 夜空と大地が激しく入れ替わり、そして腹部の鈍痛が意識を遠ざけた。

 しかし歯を食いしばり意識が飛びそうになるのをこらえて、こみ上げてくる痛みを押し殺す。

 

 見ればクレイスは蹴りで俺を吹き飛ばした様子だ。

 だがあの態勢からの蹴りで男をここまで吹き飛ばす事が出来るのか。

 そんな疑問に、クレイスは自ら答えた。


「今日は満月だ。ならば私は負けを知らない」


 この現象は、以前にも見覚えがある。

 リーヴァスバレーでの出来事と同じだ。


「寝てないでさっさと起きなさい。あの女を殺すんでしょ」


 牽制でクロスボウを撃つヴィオラが、強引に俺を立ち上がらせる。

 ぎこちないながらも、ファルズも自力で立ち上がっていた。 

 とは言え満身創痍なこちらに比べて、クレイスは余力を残していそうだった。


「クレイスの奴、急に力が増しやがった」


「ローナの時と同じね。満月の夜になると能力が強化される」


「ただでさえ強力な相手だっていうのに、ふざけやがって」


「さすがに隙が無いね。これが冒険者の頂点と呼ばれる所以なのかもしれない」


 ファルズの声は微かに震えていた。

 まさかと確認すれば、さきほどの一撃を受けた個所から、少なくない出血をしていた。

 

 攻撃を受けると思っていない、ある意味で不意を突かれた一撃だ。

 身を固める事も防御の姿勢をとる事も出来ない。

 そんな中で今のクレイスの一撃を受けたのだ。

 

「ファルズ、その傷は……。」


「おや、僕を心配してくれるのかい? でも大丈夫、掠っただけだよ」


 そう言って笑うファルズの顔色は酷い物だった。

 一目それが強がりだと理解できるほどに。

 加えて、必至に隠そうとしているが、骨折した骨が肉を突き破っている。

 

 長引かせればファルズの命にすら差し障るだろう。

 切り札を出し惜しみをしている余裕すらないという訳だ。


「奥の手を使うしかないか」


 右手を突き出し、クレイスへと狙いを定める。

 クレイス自身がなにかしらのスキルを使っている訳ではない。

 しかしただでさえ実力があるクレイスを、何らかの能力がさらに強化している。


 俺達が人類の最高峰と呼ばれる相手を打倒すには、まずその能力を破壊するほかない。

 もしクレイスが他にも能力を隠していたとしても、それもまとめて破壊すればいい。

 

 頭が割れそうな程の激痛をこらえながら、スキルを起動する。

 そんな俺を見ていたヴィオラは慌てた様子で声を上げた。


「大丈夫なの? その能力が普通じゃないっていうのは見ればわかるわ」


「だがあの女を殺すには、これしかないだろ! ゼル・エリミネーション!」


 拳を握ったその瞬間。

 ガラスの砕ける様な音と共に、クレイスのスキルは抹消された。

 そのはずだった。



 確かに手ごたえがあった。

 確実にクレイスを強化していた能力は無効化された。

 となれば後は、クレイスの本来の実力を越えればいいだけの話だ。


 とてつもなく高い壁だが、この破壊者の能力があれば、そんな壁でさえ容易に破壊できるはずだ。

 しかし、クレイスの姿を見て嫌な予感が頭から離れなかった。

 棒立ちだったクレイスは、向けられた俺の腕をじっと眺めていた。


 ただ、それだけだった。

 自分の能力が破壊されたのにも関わらず。


「なるほど、これがスキルを破壊する能力か。確かに人間が持つには過ぎた力だ。とは言え私に使うのは、悪手としか言いようが無いが」


 最初にそれに気づいたのはヴィオラだった。


「気を付けて! あの女の反応が、急にイベルタの物になったわ! なにが起きてるの、いったい」


「確かに君は私のスキルを破壊した。いいや、破壊してしまったというべきか。私を『人間』としての形に押し込めていた楔と共にな」


 その時、俺の悪い予感は明確な形となって現れた。

 それは、揺らぎだった。


 クレイスの輪郭が揺らぎ、そして姿を変えていく。

 頑強な銀色の鎧が弾け飛び、その背中からは巨大な光が吹き出した。

 夜闇を切り裂くほどの光の奔流は次第に巨大な翼となり、クレイスの頭上には光の輪が形成された。


「冗談、だろ」


 それを見上げながら、そんな言葉が漏れ出した。

 月夜を背に、空へと飛翔したクレイスは、人ならざる姿で俺達を見下ろしていた。

 常識を外れた美しさを有するクレイスの姿はしかし、俺にとっては見覚えのある物だった。


 あの絶望の淵。

 戦乙女の霊廟で見た亡霊達と、クレイスの姿が重なった。


「いいや、これが事実だ。人間風情が神々に作られた私を――戦乙女たる私に干渉するとは、数世紀早い!」


 クレイスは気勢と共に、天の星々を掴むように片腕を上げる。

 その瞬間、俺の中の本能がうるさいほどの警鐘を打ち鳴らした。

 とっさにスキルを起動し、剣を地面へと突き刺した。


 それが間に合ったのは、奇跡とした言いようがない。

 戦乙女が求めたのは星々ではなく、輝く矢の雨だった。

 

「ルナ・レイン!」

「ゼル・デトネーション!」


 半球状に広がった破壊の衝撃が、降り注ぐ死の雨を打ち消した。

 しかし光の雨が降り終わった後に残ったのは、凄まじいまでの破壊痕だけだ。

 まともに、一発でも食らえば死体すら残らないだろう。

 それをなんの前触れもなく扱える戦乙女と言う存在に、思わず冷や汗が浮かぶ


「耐えるか、人間。だが次はどうかな」


「お前みたいな骨董品が、今さら出しゃばってんじゃねえ!」


 吠えて見たものの、声が震えていないかが心配だった。

 状況は、最悪と言えた。

 あのクレイスの能力はスキルではなく戦乙女としての力だ。

 人間が歩いたり武器を振るのに特別な力が必要ないのと同じで、あの能力も戦乙女という存在にとっては当たり前の物なのだ。

 つまり能力の破壊を行えない。


 あの能力を超えてクレイスを殺すことは、もはや至難の業という言葉ですら生ぬるい、絶望的な状況だった。

 そして更なる困難が降りかかった。


「銀月の剣。私の最大最高の技を以って、お前達を滅ぼそう。イベルタが警戒するに値すると判断したお前達だ。確実に、仕留める必要がありそうだ」


 月光の如き輝きを纏った剣が、いつの間にかクレイスの周囲に顕現していた。

 先ほどの光の雨は周囲一帯を攻撃する技だったが、今度の物はクレイス自身が操る技のようだ。

 そんな技を防ぐ方法など、思いつくはずもなかった。


「悪いけれど、私のクロスボウでどうこうできる技じゃなさそうよ」


「僕の短剣も届きそうにない。となると頼みの綱はアクトだけれど」


 半笑いのヴィオラと、苦し気に呻るファルズ。

 二人の期待には応えたいが、今度の技は先ほどの光の雨の様に防げる未来が見えなかった。

 なによりこの攻撃を退けても、クレイスを仕留める方法が思いつかない。

 自由に空を飛べるのであれば、俺ができる攻撃など限られている。


 攻撃が当たらなければ、再び同じ技を繰り出してくるだろう。

 光の雨か、光の剣か。

 何度も繰り返されれば俺達は消耗し、仕留められる。

 結果は決まりきっていた。

  

 もはや打つ手がない。

 この攻撃を耐え抜くにはどうすれば――


「いや、なにを考えてるんだ。俺は」


 破壊者というスキルの本質を忘れていた。

 このスキルは誰かを守るという物では、決してない。

 その真逆だ。


 害する者を破壊する、ありとあらゆるものを破壊する能力だ。

 そんなスキルを使っておきながら、守りに入ってどうするというのか。

 勝てる勝負も勝てなくなるに決まっている。

 破壊者であるのであれば、破壊あるのみ。


「はは、なるほど。腐れ外道と呼ばれそうだが、なりふり構ってはいられないな」


「気でも狂ったか。死に際の恐怖程度で精神が壊れるとは、人間は脆弱すぎる」


「脆弱だろうと、気が狂った人間には気を付けろよ。なにをするか、分からないからな!」


 もはや残りカスのような魔力を振り絞り、スキルを発動させる。

 淡い燐光を放っていた剣から、視界を塗りつぶす様な光の柱が立ち上る。

 巨大すぎる破壊の力を前に腕や足が震えるが、それはもはやどうでもいい。

 

 視界が赤く染まり、体の節々から血液が噴き出す。

 しかしそれも、どうでもいい。

 今すべきことは、目の前の敵を、破壊することだけだ。  


「よもや巨大な一撃で私を捉えようと考えたのか? だとすれば、愚かとしか言いようがない。空を自由に駆ける私にとって、鈍重な一撃など止まって見える」


「避けれるなら避けてみろ! だがその代わり、後ろに隠れてる彼女とやらに別れを告げるんだな!」


 わかっていた。

 この大技でクレイスを捉える事などできない。

 自由に空を飛ぶ相手に、破壊力だけを追求したこの技が通用するはずがない。

 しかしである。

 その後方の建物に隠れているであろう人物はどうか。 


「ゼル・グランド・インパクト!」


 月を叩き落さんばかりの一撃を、建物に向かって振り下ろす。


 その瞬間、クレイスの美しい顔が驚愕と恐怖に歪んだ。

 先ほどまでの余裕をすべて投げ捨てて、とっさに建物の前へと移動する。

 そして光の剣を盾の様に重ね合わせ、建物を庇う様に構えた。

 次から次へと光の剣を生み出し、それを幾重にも重ね合わせる。


 

 だが、無駄なことだ。

 


 拮抗はほんの一瞬だった。

 破壊者の一撃は、すべてを打ち砕いた。 

 光の盾を打ち砕き、建物を破壊し、そして―― 


「ば、馬鹿な――」


 白銀の戦乙女も、光に呑まれてその姿を消したのだった。

 

 

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