第46話

 その男は、背中に身の丈ほどもある剣を背負っていた。

 顔面や腕には傷跡が幾重にも重なり、どれだけ戦いを経てきたのかを一目で見る者に理解させる。

 身に着けている装備は必要最低限であり、急所や関節を守る革製の防具だ。

 それは一重に、経験と身体能力によって魔物の攻撃を避けられるという自信の表れでもあるのだろう。

 

 そんな男を見て、瞬時に理解した。

 俺の様に偶然にも強力なスキルを手に入れた訳でもない。

 傷だらけの体を見るに生まれながらの天才という訳でもないのだろう。

 だが、実戦の中で洗礼された技術に裏打ちされた実力が、確かにそこにはある。

 幾多の戦いと、それによって積み上げられた経験を有する、本当の猛者だった。

 

 ファルズはゆっくりと、切り株に座る男へ歩み寄る。

 周囲の木々の影からは、ヴィオラがボウガンで狙っている。

 俺もファルズの後ろについて、すぐにでも戦える体制を整えている。

 それだというのに、緊張は張り詰めたままだ。


「ヴィルヘルム」


 夕闇に落ちる最中、ファルズが男へ――ヴィルヘルムへと声をかける。

 すると男はわざとらしい仕草で顔を上げると、隻眼でファルズを捉えた。


「あぁ、来たか。久しいな、銀の獣よ」


「僕を覚えているなら、話は早い。なぜお前を訪ねてきたのか、わかってるね」


 短剣の柄に手をかけるファルズだったが、ヴィルヘルムは落ち着き払った様子で、小さく頷いた。


「無論だ。俺もこの時を待っていたのだからな」


「待っていた?」


「待ちわびていた、と言い換えてもいいか。この贖罪の時を」


 なんのためらいもなく、ヴィルヘルムはそう言い放った。

 一呼吸の間の、静寂。そしてそれは、狂ったような笑い声によって破られた。


「あはは、あははははははっ! 贖罪? この僕に殺される事が!?」


「そうだ。これにより俺の人生は終焉を告げる。犯した過ちを、正すことで」


「悔いているのなら、なぜ僕の家族を、同族を、故郷を焼き払ったんだ! 今さら後悔した所でなにも戻って来やしない!」


 ファルズの叩きつけるような言葉に、ヴィルヘルムは必至に答えを探している様に見える。

 ただ、それも当然と言えた。

 胸中に渦巻く混沌とした感情に飲まれたかのように、ファルズは壮絶な笑みを浮かべたまま涙を流していたからだ。

 怒り、悲しみ、喪失感、復讐心、そして疑念。

 荒れ狂う感情の嵐が、今にもファルズを壊そうとしているのだろう。


 短くない時間を費やして、ヴィルヘルムがとった行動は、深く頭を下げることだった。


「済まない。今、俺にできるのはただ頭を下げ、許しを乞う事だけだ」


「それで……ただ頭を下げるだけで許されると思っているのか!? 厳冬の最中、故郷を焼かれ、食糧も家も失った僕達がどうなったか、知っているのか!?」


 一対の短剣が抜き放たれ、鋭い金属音がファルズの咆哮と共に反響する。


「故郷から逃げ出してすぐ、動けなくなった同族を殺し、死んだ同族を食らい、生き延びた同族も狂い始め、生き残ったのは、この僕だけだ!」


「済まない」


「そんな言葉を聞きたいんじゃない! なぜ僕の故郷に火を放ったんだ! お前達は……それがどれだけの被害を生むか、わかっていたんじゃないのか?」


 同族殺しの銀狼。それは彼女が復讐を行う上で背負った名前だ。

 そして彼女が同族を殺したのは、復讐のために他ならない。

 つまり彼女の故郷を焼き払った人物の中に、同じ獣人が紛れていたことは間違いない。

  

 獣人は、同族意識が非常に強く、その結束はどんな種族よりも固い。

 きっと以前のファルズは、そう思っていたに違いない。

 仲間達はどんなことがあっても仲間であり、裏切りなど絶対にしない。

 その信頼が反転し、今の彼女を形作っている。


 どこまでも救われない銀色の獣から、思わず目を背ける。

 ただファルズの正面からの怒りを受けて、ヴィルヘルムがゆっくりと口を開いた。


「これは決して、挑発する意図はないのだが」


 そう前置きをして、迷った末に言い放つ。


「俺達は多くを救う為に、小さな犠牲を強いる。お前の同族が、その小さな犠牲だった」


「まさか、自分が正義の行いをしたとでもいうつもりかい? 早く殺して欲しいのなら、そう言えばいいよ」


「いいや、俺の行いは悪だった。しかし間違ってはいない」


「じゃあ、僕達は誰の為に犠牲になったんだい? 誰を救うための、犠牲だったのかな」


「この大陸全土の人間だ。お前達の犠牲で大勢が救われた。いや、救われると言った方が適切か」


「なるほど。あの白銀の世界の片隅で住んでいただけの僕達が、大陸を陥れるだけの巨悪だったと言いたいわけか」


「少なくとも、そう言うことになる。だが詳細に関して言えば、イベルタに聞くほかない。俺は彼女の命令で動く、駒に過ぎないからな」


 断言する彼は、まっすぐにファルズを見つめていた。

 ヴィルヘルムがこの状況で、この答えをするのは彼なりの誠意だ。

 この答えが惨事を引き起こした理由だと、本気でヴィルヘルムは答えているのだ。

 

 だからこそ、ファルズの逆鱗に触れた。


「ふざけるな――」


 震えるその肩を掴む。

 ヴィルヘルムとの話し合いは無意味だと理解できた。

 そして全てを解決するには、イベルタとの決着をつける必要がある事も。 


「ファルズ、もういい。あいつと話していても、なにも得るものは無い」


「でも!」


 食い下がるファルズに、かぶりを振る。

 求める答えは得られないだろう。それどころか、ファルズの納得できない答えしか返ってこないに違いない。

 ヴィルヘルムの言葉を借りるのであれば、彼はイベルタの駒でしかない。

 それはつまり、ローナやレリアンと同列の存在という事に、他ならないのだから。 


 その二人から有用な情報が得られたかと言えば、そうではない。

 ヴィルヘルムも例外ではないし、なにより彼はファルズに負い目を感じている節がある。

 そんな彼が誠意をもって答えた結果が、先ほどの戯言だ。

 

 ヴィルヘルムが真実を語っており、先ほどの言葉しか知らないのであれば。

 もはやイベルタを追い詰め、すべてを吐かせるのが一番の近道なのだろう。

 だがイベルタの駒であるヴィルヘルムが、それを許すわけがなかった。


「ふむ、破壊者か。予想通り、イベルタの居場所が分からず俺の所に来た、と言う訳だな」


「なにやら策を講じているみたいだが、無駄だ。それらをすべて打ち砕き、イベルタを殺す。必ずな」


「復讐に燃える若者よ。いま一度、熟考すべきだ。その復讐心を突き動かしている物が、なんなのかを。感情に任せてイベルタを殺してしまえば、取り返しのつかないことになる」


 語りかけるような口調だが、それに取り合う気は毛頭ない。


「そんな見え透いた嘘で怯むと思うか?」


「嘘であれば、どれほど俺も気が楽だっただろうか。だが、お前がそう考えるのであれば、致し方なし」


 立ち上がったヴィルヘルムが、背中の剣の柄に手を伸ばした。

 一見、無造作に見えて一切の隙が見えない構え。

 そして手に握られたそれは、微かに赤く輝き魔法の力が込められているように見える。


 ファルズが身を低く構え、俺も剣を抜き放つ。

 肌を焼くような緊張に包まれながら、ヴィルヘルムは容易に一歩を踏み出した。


「イベルタを殺される訳にはいかぬのでな。破壊者と追跡者を殺したのちに、俺も後を追おう」


「これ以上、僕の仲間を殺させる訳がないだろ!」


 咆哮と共に、銀色の影が地面を這うように駆け抜ける。

 そしてゆるりと剣を構えたヴィルヘルムと、激突する。

 

 激しい金属音が響き渡り、鮮血が地面を濡らした。

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