第42話

 見張りの為に作られたと思われる塔の上。

 そこで、ヴィオラはクロスボウを構え、じっとその時を待っていた。

 傍らには、すでに息を引き取ったディオラの亡骸。

 彼にとって唯一の救いと言えるのは、ローナを最後まで最愛の人だと思い続けられたことだろうか。

 残されたヴィオラの頬は微かに濡れ、そっとそこから視線を外す。

 

 毅然とした態度を取っているが、ヴィオラもまた家族を奪われた被害者だ。

 その内心がどれほど荒れ狂う感情に襲われているか、想像だに難くない。

 小さくすすり泣くような声が、吹きすさぶ寒風に消えてなくなる。


 そして、大渓谷の向こう側。

 永遠に続くのではと思われる程の広大さを持つ平原が、徐々に明かりを帯びていく。 

 長く苛烈な夜が明けようとしていた。


 クロスボウを構えたまま、ヴィオラが小さく問いかけた。


「ひとつ、聞いてもいい?」


「僕にかい?」


「黙ってなさい、糞女。私が聞きたいのは、アクトの方よ」


「俺に答えられることならな」


 彼女が何を聞きたいのかは、想像できた。

 しかしそれを問いかける事がどういう意味を持つか。

 聡明な彼女であればすぐに理解できたはずだ。


 こちら側へ踏み込むのか。

 それとも倫理観を頼りに、踏みとどまるのか。

 揺れ動く彼女の心を表すように、震える声でヴィオラは言った。


「復讐をして……恨みを募らせた相手を殺して、貴方は救われた? 死んだ人が帰ってくる訳でも、失った物が戻ってくる訳でも、なにかを得られる訳でもない」


 ともすれば俺やファルズを責めているようにも聞こえる。

 復讐に意味があるのかと。

 ファルズに裏切られた過去がある彼女からすれば、当然の意見だ。

 しかし今だけは違って聞こえた。


「ただただ自分を慰める為に、また他人を不幸にする。それが復讐でしょ。それでも救われることなんてあるの?」


 ここでの答えは、大きな意味を持つ。

 それは利己的な復讐を是とする俺でさえ、すぐに理解できた。

 本来であればヴィオラは自分で判断を下せるほどに、優秀な人間だ。


 しかし、あえて俺に答えを求めるのは、彼女の感情と理性がせめぎ合っているからだろう。

 復讐を行ってもなにも得る物はなく、残るのは血に汚れた自分の手と死体の山だ。

 理性ではどちらが正しいかなど、とっくに理解している。

 それでもなお、復讐と言う道を諦めきれない。


 正しい道を示すのは簡単だ。

 善人のように復讐は虚しく、新たな禍根を残すだけの、全く無駄な事なのだと教えればいい。

 しかしそのような言葉を聞くために、彼女は俺に問いかけた訳ではない。


 フォルテナにローナ。

 復讐の相手に一切に手加減を加えない俺に問いかけること。

 それはつまり、欲しい言葉はすでに決まっているということだ。


「ディオラはローナを人質に取られた時、俺やファルズに明確な怒りを表した。あれはいくら温厚な人物であっても、相応の被害を受ければ怒りをむき出しにするという事に他ならない」


「怒りは当然あるわ。でも、それで相手を殺すことを正当化できるの?」


「いいや、できない。だがお前の胸に宿る怒りや憎しみは正しい物だ。大切なひとを奪われたのなら怒るべきだ。復讐はその延長線上にある」


 ふと眠っているディオラへ視線を落とす。

 自身の死を、醜い世界へ妹を引きずり込む口実に使ったことを、心の中で謝罪しながら。

 

「周囲の倫理観や価値観で行動を決められるなんてごめんだ。それとも家族を殺された事への憎しみは、周囲への体裁を気にして我慢できるほど、ちっぽけな物なのか?」


「そんな訳ない! 私は、私は……。」 


「苦痛と恐怖を魂に刻み込み、そのうえで殺す。他人がなんと言おうと、どんな正義感を語ろうと、俺の意思が揺らぐことは、絶対にない」


 他者の為ではない。

 ただ俺が殺されかけたから。

 そんな理由で復讐を続ける俺に、他人に正しさを説く資格などあるはずもない。

 しかし彼女の質問へ答えることぐらいはできる。


「それが俺にとっての、唯一の救いでもある」


 

 ヴィオラはクロスボウを構え、目を瞑った。

 俺の答えを聞いて、復讐を思いとどまったのか。

 それともローナへの慈悲の心が芽生えたのか。

 倫理観が彼女を正しい道へと引き戻したのか。


 いいや、違うだろう。


 彼女は追跡者だ。

 一切の迷いを感じさせず、クロスボウを街へと向ける。

 そして軽々しく、その引き金を引いたのだった。


 ◆


 俺の有する権限を使い、フォルテナとローナだった物の後始末は憲兵団に委ねられた。

 流石に頭部が弾け飛んだ死体を見た時は瞠目していたが。

 残るはロロだけだが、憲兵団側もまだ彼女の情報は手に入れていないらしい。


 となれば、さっそく追跡者の出番となる訳だが。

 

「本当にいいのか? 俺達と共に行動すれば、また狙われることになるぞ」


「それはイベルタの居場所を特定しても同じことでしょ。なら貴方と一緒に行動した方が、まだ生き残れる確率が高いわ」


 追跡者としての能力を使って、イベルタやロロの居場所を聞く予定だったのだが、ヴィオラはディオラの仇を打つため、共に復讐に加わると言い出した。

 当然ながら仲間が増える事、そして追跡者と言う能力がいつでも使えるようになることは、非常に心強い。

 しかしファルズとの関係を考えれば、不安も残る。

 そう思っていたのだが。


「まさか君から協力を申し出てくれるなんて。本当にありがとう、ヴィオラ」


「最初は、復讐なんて下らないと思ってた。そんな理由で私を裏切ったアンタを、許せなかった」


「僕はそれだけの事をしたんだ。嫌われて当然だったよ。弱った君に近づいて、利用した」


 ヴィオラは、しっかりとファルズの目を見て話をしていた。

 今までの様に、忌避するのではなく、面と向き合って

 ファルズへの嫌悪感は、相変わらずのようだが。


「そうね、最低最悪の糞女だったわ。でも今なら貴女の抱いてる感情も理解できる。自分の大切な人を奪った相手に復讐するためなら、何でもできる」


「できれば、君にはこっち側に来てほしくなかったよ」


 小さく肩を落とすファルズ。

 銀狼と呼ばれ同族殺しと恐れられるファルズであっても、ヴィオラを利用したことを悔やんでいたに違いない。

 となればヴィオラを復讐の道に引きずり込んだ俺も、少しばかり罪悪感を覚えなくもない。

 しかし永遠にこの復讐が続くわけではないのだ。


「ヴィオラの能力があればすぐにでも復讐は果たせるはずだ」


 その為に、ここまでやってきたのだから。 


 荷馬車に積み込んであった荷物から、憲兵団から受け取ってきた品を取り出す。

 実際に使えるかどうかは不明であり、追跡者の能力で必要になるかはわからない。

 しかしイベルタの居場所が特定できる可能性が少しでも上がるならと、憲兵に無理を言って譲ってもらったのだ。


「イベルタの場所を特定すればいいのよね」


「まぁ、そうだな。他にも居場所を探してほしい奴もいるが、それは後でも構わない。最初はイベルタにするか」


「なにか特別な個人を特定できる物品はあるかしら」


「関連性が高いと思われるのはこれだ」


 ヴィオラに手渡したのは銀で出来た月のブローチ。

 指先ほどの大きさであり、お世辞にも高価には見えない。

 それも露店を探せばすぐに見つかりそうな品質だ。


 だが彼女が頻繁に使っていた『月』という言葉。 

 そして以前相対したレリアンとの共通点が、このブローチでもある。


「これって、ローナが付けていた物だよね」


「ローナと同じ組織に属すると思われるレリアンも付けていた。組織共通の装飾品という可能性がある」


「なるほど。どうにか特定できないか、やってみるわ」


 月のブローチを握りしめ、ヴィオラは小さく俯く。

 そして短くない時間の末に、彼女は口を開いた。


「顔の記憶や個人的な情報がない場合は大雑把になるのだけれど、相当に絞り込めたわ」


 大きく鼓動が高鳴るのを感じる。

 ついに、ついにイベルタの居場所を突き止めた。

 俺の殺害を命じた、張本人。

 そいつの顔を拝む日が、近づいている。


 暴れる好奇心と蘇る怒りを抑え込み、ヴィオラへ問いかける。


「どこだ。どこにイベルタはいる」


 ヴィオラは手の内にある月のブローチを眺めて、そして言った。


「ここから北西に向かった所にある湖の都、レミューリアよ」

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