第36話
物流の街、リーヴァスバレーには街が眠る時間など存在しないのだろう。
夜の帳が街を覆いつくしても、せわしなく馬車や荷車が大通りを行き来し、酒場には煌々と明かりがともっていた。
人の目も少なくない。大っぴらに人さらいなどすれば、否が応でも目立つのは間違いなかった。
こんな場所で人が消えるはずがない。
以前の状況を再現するために、俺達は再びローナの経営する店の前に集まっていた。
最後の目撃者である俺の記憶が頼りだというディオラ立っての願いである。
荷台に携行食糧を積み込んでいた際の記憶を、どうにか思い起こす。
「俺が覚えている限り、ローナはこの通りを東門の方へ向かったはずだ」
朧げな記憶で不安だったが、実際の現場に戻ってみれば意外と覚えているものだ。
指さした方角を見て、ディオラは不安げに首を傾げた。
「この通りから東区域は商店が多く立ち並ぶ、リーヴァスバレーのメインストリートなんだ。一番人通りが多くて、とてもじゃないが人をさらう事なんてできないと思う」
「だが実際に失踪した。ローナに護身術や戦闘訓練の経験は?」
「どうだろう。彼女は両親ともに商人の家庭で育ったから」
商人ともなれば最低限の護身術を身に着けているという先入観があるのだが、違うのだろうか。
ディオラが知らないとなれば本当に身を守る術がない可能性もあるが。
ただそんな曖昧な答えを聞いて、後ろをついてきていたファルズが声を上げた。
「じゃあなにもおかしい事はないさ。僕の様に隠密行動を得意とするスキルを有した人間なら、一瞬の隙を突いて人をさらう事ができる。相手が抵抗する手段を持っていないなら、なおさらね」
「そ、そんな! じゃあ、ローナは!?」
不安げな様子だったディオラは、泣き出しそうな顔で俺を見た。
なにを考えているのか、ファルズはディオラを追い詰める事に固執しているように見える。
そのやり取りを見ていた、最後尾にいた人物がファルズを突き飛ばし、ディオラの肩に手を置いた。
「兄さん、そんな奴の言うことを真に受ける必要はないわ。ファルズ、この糞女。兄さんの不安を煽って楽しい?」
「僕はただ可能性の話をしただけさ。ならヴィオラはどう見る?」
「あぁ、そうだな。ヴィオラ、君の意見を聞かせてほしい」
「貴方は?」
「彼はアクトと言って、今は僕と組んでいる冒険者だよ。なんとゴールド級冒険者なんだよ、彼は」
ファルズからの紹介を経てもなお、ヴィオラの切れ目から向けられる視線は、懐疑的な物だった。
いや、ファルズと組んでいるからこそ、警戒されていると言えるのか。
今回の件に関して言えば、ファルズの考えていることが全く分からなかった。
ヴィオラの協力を得るのであれば、俺とファルズが仲間だという情報は伏せておいた方が良かったのではないか。
そんな事を考えもしたが、ファルズにも考えがあるのだろう。
仲間として認めたのであれば、彼女の行動も信じるべきだ。
「ローナの一件に偶然にも関わっていたんだ。短い間だと思うが、よろしく頼む」
できるだけ好意的な印象を残すよう、丁寧な対応を心掛ける。
しかし返ってきたのは、想像を超える毒舌だった。
「ゴールド級冒険者なのに、そんな女を連れてるの? いつ裏切られても、おかしくないわよ。火遊びをしているなら、することをしてさっさと捨てた方がいいわ」
まさに、絶句だった。
なにを言われたのか一瞬だけ理解できず、言葉に詰まる。
そしてファルズが過去になにをやらかしたのかを問い詰めたくなった。
ここまで他人に嫌われることも、そうそうないだろう。
まだファルズがヴィオラに殺されていない方が不思議だった。
しかしいくら嫌われていようとも、彼女の協力が必要なのは確かだ。
「ご忠告、感謝するよ。それで、ローナが何処へ向かったのか、わかるのか?」
無意識のうちに不愛想な言葉遣いになるが、ヴィオラは気にした様子もなく思案を始める。
「誰かに攫われた、という線は薄いわね。この街は憲兵団の取り締まりが厳しいうえに人通りが多い。衝動的な行動で攫えるほど、この街の治安も悪くはないわ。そこの糞女の様に計画的にローナを攫ったとしても、身代金やなんの取引も持ち掛けてこない時点で人攫いの可能性は低い。そもそもローナはこの街で生まれ育った人間よ。なら当然、街の構造や道は把握してる。商人の心得として、襲われる可能性のある道を通ることもしない。冒険者でもない女なら、危険だと思われる人間についていくことも当然しない」
「まあ、そうだな」
「アクト。貴方が最後に見た時、ローナはどんな格好をしてたの?」
とっさに問いかけられ、当初の記憶を引っ張り出す。
カウンターの向こう側から出てきたローナの姿は、少々特殊だったこともあり、すぐに思い出せた。
「確か……白い淡白なドレスに、上質なシュールだった」
「白は色素の強いドレスに比べて存在感を希薄にさせる。この街では従順で無垢な色とされているわ。つまり商談の席に置いて、自分が格下であることを意味する色なの。そして礼儀として上質な生地の肩掛けをしていったという事は、相応の礼儀を示さなければならない相手でもある」
ヴィオラは、与えられた情報から即座に欲しい回答と、回答へとたどり着く道筋を作り出した。
瞬く間に組み立てられていく彼女の推理を聞いて、思わずため息が出る。
追跡者というスキルがなくとも、彼女ならば俺達の復讐相手へとたどり着いてしまうかもしれない。そんな事さえ考えられた。
不安で取り乱していたディオラも、ヴィオラが繰り出す推理を聞いて冷静さを取り戻したのか。
そう言えばと、当初の様子を語り始めた。
「出かける直前、ローナは少し気が重そうだったような。ヴィオラ、もしかして居場所がわかるのかい!?」
「きっと格上の取引相手だけれど、あまり注意を引きたくはない相手ね。それも冒険者が必要とする道具を大量に仕入れることができる豪商。ローナの店より東にある店舗で、今の条件に当てはまる店は多くないわ」
「つまり、その取引相手の商人が今回の件に関わっていると?」
「これは推理で推測。確証はないわ。その可能性が一番高いってだけよ」
俺の問いに端的に答えたヴィオラは一呼吸おいて、続ける。
「ローナはこの街で育った商人の二代目よね。なら目先の利益よりも、商談を持ち掛けてきた相手を調べて、信頼できるかを吟味するに決まってるわ。その結果、取引をすべき相手だと判断して家を出た。商談を成功させるために、服装にまで気を遣ってね」
ヴィオラの推理は、佳境へと差し掛かっていた。
「この街には流入商人と固定商人がいるのよ。流入は様々な地域から一時的に逗留して、特産品や地域での物品を捌く商人。そして固定商人は移動せず定期的に商品を仕入れているこの街に根付いている商人。さて、ローナが目上として敬い、ドレスの色合いの意味が通じる商人はどちらかしら」
ヴィオラは瞬く間に、推理を完成させた。
この街に長いこと拠点を置き、尚且つ冒険者向けの商品を扱い、大通りの東門の方角に店を構える、豪商。
そこまでくれば、ローナが取引に向かった商人を絞り込むことはさほど難しくはないだろう。
話は終わったと言わんばかりに黙り込んだヴィオラ。
ディオラはと言えば、涙を浮かべて妹の手を握っていた。
最初は追跡者というスキルを目的に、ヴィオラに近づいたはずだった。
しかし目の当たりにして理解する。
彼女の能力はスキルだけに留まらない。
人を探し出し、追い詰める天賦の才が備わっているのだ。
「どうだい? スキルを使わず、この腕前。天才だろ、彼女は」
ファルズの囁くような言葉に、俺は小さく頷いた。
「どうやって俺達に協力させるか、今から頭が痛い程度にはな」
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