第35話
冒険者になれば野宿が増え、宿での睡眠は中々に贅沢となる。
特に今回は肉体的な疲労ではなく、問題の解決に知恵を絞りながらの行動で、精神的な疲労がかなり溜まっていた。
そんな中、深夜にドアを遠慮なく叩かれれば、誰であっても不機嫌になるのは致し方ないと言えるだろう。
ドアと蝶番が悲鳴を上げる程に拳を打ち付けられ、たまらずベッドから飛び降りる。
無理やり眠りから引き起こされた俺は、小さく舌打ちをしてそのままドアへと向かった。
「こんな夜更けに、いったい何事だよ」
ドアの向こう側にいる常識知らずな人物へと問いかけると、思わぬ声が返ってきた。
「す、済まない! 俺だ、ディオラだ! 先日、携行食糧を売った店員だ!」
「ディオラ? あの店員か」
切羽詰まった様な声に、思わずドアを開ける。
すると案の定、真っ青な顔の男の店員――ディオラが立ち尽くしていた。
よく見れば肩で息をしているため、ここまで走ってきたのだろう。
今にも泣き出しそうな表情のディオラは、俺の顔を見て即座に詰め寄ってきた。
「夜分に済まない! だが聞きたいことがあるんだ!」
「どうしたんだい、アクト。随分と騒がしいけれど――」
と、その時、隣の部屋からファルズが顔を覗かせた。
流石にここまで騒がしくしていれば、別室であっても目が覚めるだろう。
とは言え俺も理解できない状況に混乱していると、ファルズを見たディオラが声を上げた。
「ファルズ!? なんで君が、ここに!?」
その反応は俺を見た時とは真逆。
思わずと言った様子で一歩後ずさるディオラ。
だがファルズは楽し気な笑みを浮かべて、ディオラへと歩み寄った。
その反応を見れば、ふたりが少なくとも知己の仲なのは理解できた。
しかしその後、ファルズは思いがけない名前を、口にした。
「これは随分と懐かしい顔だ。君の命よりも大切な妹、ヴィオラは元気かな」
◆
ディオラを落ち着かせる為に部屋へ招き入れ、椅子に座らせる。
俺はその向かい側に座り、ファルズは壁際でディオラの反応を楽しんでいた。
切れ切れだった息も落ち着き、ディオラはここを訪れた理由を話し始める。
「婚約者のローナが、取引先に向かった後から家に帰ってないんだ」
「あの店主か。だが、なぜそれを俺のところに?」
「君はローナを見た最後の人間だ。せめてどの方向へ向かったとか、怪しい人物を見たとか、覚えていないか?」
「多少は覚えてるが、居場所を特定できる程じゃないな。憲兵団への報告が先だと思うが」
俺が見たのが最後という事は、三日前から家に帰っていない事になる。
冒険者ならばともかく、店を構える商人がそれだけの日数、行方が分からないともなれば異常事態だろう。
ただ行方不明者が出たのなら、街の治安維持が仕事の憲兵団に相談を持ち掛けるべきだ。
捜査に必要な権力と権利を有しており、人探しという事ならば憲兵団以上に相応しい組織はない。
だがディオラは拳を机に叩きつけながら、言った。
「したさ! でも事件性が立証できないと捜索をしてもらえないんだ!」
商人による物流その物が、リーヴァスバレーを回す経済の柱だ。
となれば商人を優遇するために憲兵団も治安の維持には力を入れているはず。
その憲兵団が調査に協力的ではないのは、なぜなのか。
とは言え、憲兵団の協力が得られないのであれば、協力しない理由もない。
三日前の記憶を引っ張り出して、順々に思い返す。
あの店を出る直前に、色々とローナはディオラとしゃべっていたはずだ。
「たしか俺が店を出る直前に取引先へ向かうと言っていただろ。その取引先は確認したのか?」
「ローナは取引先を話してくれなかったんだ。重要な商談で、結果が出るまで俺には話せないって」
「つまり取引先へ行くという話が嘘だったか、もしくは嘘の商談に乗せられて何処かへ連れ去られたか」
ローナがディオラに嘘を付く理由があるとしても、当の本人同士でしかわからないはずだ。
殆ど言葉も交わしていない俺が推測できることは、ローナと婚約者であるディオラも簡単に思いつくだろう。
なら俺が考えるべきは、ローナが誰かに連れ去られたという可能性だ。
リーヴァスバレーの治安や街の構造などを考えてもその可能性は極めて低い。
だが婚約者の元に数日も帰らないとなれば、犯罪に巻き込まれたと考えても不自然ではない。
そんな逡巡の最中、ディオラは必至の形相で頭を下げた。
「頼む! 君の記憶が頼りなんだ!」
そこからはディオラが本気でローナの身を案じている事が伝わってきた。
だからこそ、ファルズが俺達の抱いていた疑問を問いかけた。
「ひとつ聞いてもいいかな。なぜ確実に居場所を突き止める方法があるのに、こんな原始的な方法をとっているんだい? 君らしくもないよ、ディオラ」
「妹を……ヴィオラを頼るのは、絶対に嫌だ」
苦悩の末、絞り出すように彼は言った。
しかし追跡者である妹を持つ彼が、なぜその能力を頼らないのか。
ファルズは彼の言葉に潜む苦悩を見て見ぬふりをして、続けて問いかけた。
「彼女を避けているのかい? それとも喧嘩中かな」
「そうじゃない。妹は、あの能力を二度と使わないと決めたんだ。だから、それを俺が強要するのは……。」
「それは自由だけれどね、君の婚約者はこの瞬間にも危険な目にあっている可能性もある。妹の決意か、婚約者の身の安全か、天秤にかけてみるといい」
ぎり、と歯を食いしばる音が部屋に響いた。
俯くディオラと、壁際で薄ら笑いを浮かべるファルズ。
正常な人間ならディオラの味方をするだろう。
そして遠慮のないファルズの言動を責めるだろう。
しかしファルズはこの状況を利用して、俺とヴィオラの接点を作ろうとしているのだ。
ディオラは悩んだ末に、再び俺へと視線を向ける。
「頼む。アクト君。君はゴールド級冒険者だろう? どうにか、ローナを見つけ出してくれないか」
彼が選んだのは、追跡者の力を使わずにローナを助け出すことだった。
妹の意思を尊重しながら、自分の婚約者も絶対に助け出す。
そんな彼の硬い意思が伝わってくる回答だ。
ただ、俺達にとっては少しばかり好ましくない回答でもある。
この場面でヴィオラと接点を作っておけば、後々に恩を売れる可能性もある。
打算的と言われようとも、俺達の復讐の為ならば何でも利用する。
「分かった。だが条件がある」
「な、なんだ? 報酬なら、できる限り見合った額を払おう!」
「そうじゃない。アンタの妹のヴィオラに捜査に参加してもらう」
その名前を出した瞬間、ディオラは柳眉を逆立てた。
ファルズの話の通り、どうやら彼はヴィオラを溺愛しているのだろう。
過保護だと言い換えてもいい。
そんな彼女の意思を尊重するために、多少なりとも婚約者を危険にさらす程度には。
だからこそ、妥協案を探る必要がある。
「それはできないと――」
「スキルは関係ない。ヴィオラの経験と勘が必要なんだ。相手の居場所を特定するというスキルを持った人間のな」
あくまで追跡者の能力を使わず、捜査に協力させる。
これならばヴィオラの意思を違わずに、俺達との接点も作る事ができる。
人が行方不明になったというのに、考えるのは常に自分の事だ。
今回ばかりは流石に少しばかりの嫌悪感にのまれる。
とはいえ、あれだけ頭を悩ませたヴィオラと接触できるのだ。
復讐に一歩近づいたと思えば、その程度の嫌悪感など無いに等しい。
自身の中にある良心がすり減るのを感じながら、追跡者と呼ばれる少女との邂逅に、胸を躍らせるのだった。
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