第19話

 深い深い闇を、燐光石の小さな明かりで切り開きながら、少しずつ前進を繰り返す。

 視界の届かない暗闇から、いつ魔物が飛び出してきてもおかしくはない。

 以前の俺、つまり騎士のスキルを使って最前衛で戦っていた俺なら、精神的疲労で倒れてしまっていただろう。

  

 ただ俺の前方を歩くファルズは、その頭から生える獣の耳が表す通り、獣人だ。

 獣に近い鋭い聴覚と、人間離れした素早い身のこなしによって、見事に索敵と前衛を務めている。

 優秀な先鋒がいると戦闘の安定性は格段に上がり、すでに俺の心の中には余裕が生まれ始めていた。


 この深淵と呼ばれるダンジョンに入ってからというもの、ファルズは本気で俺をサポートしているように感じていた。

 連携も、これまでひとりで活動してきたとは思えないほどに俺に足並みを合わせてくる。

 三年という月日を共に過ごした天の剣のメンバーにさえ一度も感じなかった、呼吸の波長がしっかりとかみ合う感覚。

 以前のパーティの時には毛ほども感じなかった感覚に驚きを隠せず、思わず軽口を叩いてみる。


「それで、イベルタを殺したのはどの辺なんだ」


「その聞き方じゃあ答えられないなぁ」


「なら、イベルタが魔物に殺されたのは、どの辺なんだ」


「ここよりもっと奥かな。最下層に通じる穴の近くで、強力な魔物の群れに襲われたんだ。本当に一瞬の出来事だったよ」


 そう言って、ファルズは腰の短剣の柄を指で弾いた。

 先ほどから見ていた彼女の戦い方を思い返せば、容易に想像がつく。


「なるほど、その短剣術士のスキルを使えば一瞬の内に息の根を止められるってわけか」


 その通りだとでも言うように、ファルズの耳が小さく震える。

 一対の短剣を扱う短剣術士は、奇襲や電撃戦を得意とするジョブとして知られている。

 そして使えるスキルも、相手の弱点や急所を的確に突くための物がそろっていると聞く。

 魔物への有効な攻撃方法としてはもちろんのこと、人間に対しても有効な攻撃には変わりない。


 まさしく暗殺に最も適したジョブと言っても過言ではないのだ。

 見れば白々しくファルズが肩を揺らしていた。


「さあね、なんの話だかわからないな。でも君の想像通り、同格の冒険者であっても無防備な背中から襲えば一撃で絶命させるぐらい、訳ないよ」


「よくイベルタはお前を信用して、背中を見せたな」


「苦労したよ。彼女の信頼を勝ち取るには。そもそも僕の素性を隠さないといけなかったんだからね」


「既知の仲だったと、噂では聞いたが」


「そうだよ。人間の関係性で表すのは難しいけれど、同郷の出というのが、一番近いかな」


 なんの躊躇いもなく答えたファルズだったが、その返答は普通なら憚られるものだった。

 この大陸には様々な種族が存在するが、同族意識がもっとも強い種族はと聞かれれば、殆どが獣人だと答えるだろう。

 獣人は大小さまざまなコミュニティに別れてはいるが、地域によっては非常に硬い結束を誇る。

 特に厳しい環境下では共助しあわなければ生きていけないため、より一層強い絆で結ばれる。


 そして、目の前で揺れる銀色の髪が、ファルズは間違いなく寒冷地法の種族だと物語っていた。

 元々同族意識が非常に強い獣人の中でも、さらに仲間を大切に思う種族だと言えるだろう。

 そんな獣人が同族を殺しているという事実が、ファルズの孤立を助長しているに違いない。

 微かな哀れみと同情。

 そして、そこまでして成し遂げたいという復讐心に、わずかだが共感を抱いていた。


「獣人が同族を殺すだけでも珍しいが、まさか故郷まで同じだったとはな」


「軽蔑するかい? 獣人が同族を殺す、なんて噂が出回っていて」


「いいや、相応の理由があるなら話は別だ」


 ファルズにどう聞こえたかはわからないが、これは表裏のない本心からの言葉だった。

 そもそも、裏切者共への復讐の為にこんなダンジョンの奥底まで来ている俺がとやかく言える問題ではないのは確かだ。

 俺の言葉をどう解釈したのかはわからないが、ファルズはそっとその身を抱きすくめるようにして、静かに歩みを進めた。


 ◆


 上下左右に入り組んだ地形に、方向感覚を失わせる暗闇。そしてその闇から飛び出してくる強力な魔物の数々。

 この場所がなぜ深淵などと呼ばれているかは、十分に理解できた。

 ファルズの案内がなければとっくに迷っていただろう。

 だがさすがに道案内を買って出ただけあり、すでに目的地にたどり着いていた。


「ここが下層か。意外と簡単にたどり着いたな」


「普通、ここまで来るのに相当な実力が必要なんだけれどね。君にそんな苦労は無縁だったみたいだ」


 ファルズは燐光石で周囲を照らしだす。

 予想以上に空間が広がっており、広場の端には巨大な穴が開いていた。

 ただ不可解なことにその穴の周辺には、明らかに人工物だと思われる石碑や石像が設置されていた。

 よく見れば崩れかけた階段が穴の下へと続いているが、その下へと降りる気にはなれなかった。


「この下が噂の最下層か。話によると古代の魔物が住んでいるとか」


「本当に古代の魔物かは不明だけど、腕の立つ冒険者を簡単に葬れる魔物が潜んでいるのは確かだよ」


「調査隊が皆殺しにされたと聞いたな。近寄らない方が身のためか」


「そうだね。いくら君のスキルが強力でも、さすがに降りるのはお勧めしないな」


 何度も忠告されていることであり、自分から危険に突っ込む意味もない。

 今は一刻も早く目的の鉱石を採取して地上に戻るべきだろう。


 燐光石の光が届かない、吸い込まれそうな深い穴の底から視線を戻す。

 ただ、穴の淵に作られた石碑が目に入る。

 長い歳月の中で劣化した、ボロボロの石碑だ。

 

 しかしどこかで見た覚えがある。

 いや、そうではないか。

 石碑を見たことがあるのではなく、そこに彫り込まれている紋章に見覚えがあった。


「この紋章、意図的に削り取られてるな」


 階段の左右に設置されていながらも、その紋章が削り取られている。

 しかも、それは明らかに魔物の仕業でないことは一目瞭然だ。

 その紋章だけを、綺麗に削り取るという芸当が魔物に出来るわけがない。

  

 その部分だけ、誰かに見られたくないかのように綺麗に潰されている。

 ただそれだけで、石碑の意図はさっぱりだった。


「なにか言ったかい?」


「いいや、なんでもない。早く目的の鉱石を探そう。ファルズは本物を見たことがあるんだろ」


「もちろん。君は周囲から魔物が出てこないか警戒しておいてくれよ」


 そう言うと、ファルズは岩が剥き出しになった壁際へと向かう。

 すると燐光石の光を一瞬だけ壁へと向ける。

 どうやら光の反射を利用して鉱石を見つけようとしているらしい。

 そしてその効果はすぐさま現れた。

 暗い洞窟の中に、淡い光が反射して見えるのだ。


 ファルズは持ってきた鉄の杭を壁に打ち込み、そのまま一部分を壁から削り取る。

 そこに光を当ててみれば、淡い緑色の光が俺の元へと帰ってきていた。


「淡い緑色。これが依頼にあったイングライト鉱石か」


「これを持ち帰れば依頼は達成だよ。ただし大量に持ち帰る事はできないんだ」


「自力でこの鉱石を取ってくることに意味がある。そう言うことか」


 不自然には思っていたが、どうもこれは俺に課せられた試験でもあるらしい。

 壁際から適当な大きさの鉱石を拾い上げ、荷物に仕舞おうとするとファルズが声を上げた。


「あぁ、僕の分もいらないよ。元々、この依頼を達成してもギルドからの見返りが得られるのは、指名された冒険者だけなんだ」


「自分ではその見返りを受けられないから、俺を頼ってきたわけか」


「まぁ仮にとは言え、僕をパーティに加えてくれそうなのは君だけだった、というのもあるけれどね」


「そりゃそうだろ」


 ゴールズホローでのファルズの評価は最低に近い。

 同族意識の強い獣人が仲間を殺して回ってると聞けば、誰でも警戒するのはもちろんのこと。

 実際に組んでいたパーティメンバーを殺したともなれば、忌避されるのは当然のことだった。

 それは自分でも理解しているのか、ファルズは自虐気味に笑った。


「なぜ僕を入れてくれたんだい? この状況で言うのもなんだけれど、僕を信用しようとは思わないはずだよ」


「俺はお前と同じだからだよ。復讐の為なら何でもする。例え組む相手が人殺しだろうと、同族殺しだろうとな」


 言い捨てて、荷物を背負いなおす。

 ここから出て鉱石を渡せば、いよいよ裏切者共への情報が得られるようになる。

 それに暗い魔物の巣窟にわざわざ長居する必要もないだろう。


 ファルズがイベルタになんの恨みがあったのかは知らない。

 だが復讐するに足りるなにかがあったのは、なんとなく理解できる。

 それを理解できる者、理解しようとする者は少ないだろう。

 同じように、身を焦がす復讐心を抱いたことのある者でなければ。

 

 来た道を戻ろうとした、その時だった。

 坑道内を大きく揺らす衝撃が駆け巡った。


「この揺れはなんだ!?」


 まともに立っていられない程の揺れに、思わず膝をつく。

 ただ不自然なことに地響きは上層部から聞こえてくる。

 

 見ればファルズも片手を地面に突いて、揺れが収まるのを待っているようにも見える。

 だがその表情は驚愕に歪んでいた。


「まさか、ありえない!」


 その視線の先は、俺達が進んできた先に向けられている。

 ファルズが見ている先に何がいるのか、おぼろげだが俺にも理解できていた。

 しかし出来るならば外れてほしい。

 そんなことを考えながら、来た道を戻るのだった。

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