第9話 長生きですね……
私は彼の背中を追いかけた。
見知らぬ誰かの後を追うなんて、この先早々はないだろう。
少しの不安を感じつつも、ある事に気がつくとその不安は徐々に薄れて行った。
それは歩く速さだ。
後ろをしきりに気にする素振りは見せないのに、私に合わせてゆっくり歩いてくれている。
それが彼の歩幅だといえばそれまでなんだけど、それでも彼は私に合わせてゆっくり歩く。
強引でも、不自然でもない自然な歩くスピードに安心した。
……女の子の扱いに慣れてるのかな?こんなに優しそうだから彼女くらいいるよね?
これまで男性とろくに会話した事のない私は緊張しつつも、彼に興味を抱いた私は駆け足で彼の横に駆け寄る。
すると、彼は少し驚いたような表情をする。
「……ごめん、早かったかな?」
「えっ?」
唐突な謝罪に私は首を捻る。
「あ、歩くスピード。早くなかった?」
「えっ、ああ……大丈夫ですよ」
……そんなこと気にしてたの!?
追いつけないと思っていた事に驚いた私は彼の顔を見る。
だけど彼はすぐに前を向いてしまった為、彼の表情はよく見えない。よく考えたら私と出会ってから目が合う事はなかった。
その態度に彼もまた女性慣れをしていない事が分かると、少しずつ可笑しくなってきた。
「ふふふ」
「……な、なんだよ」
私が笑うと彼は不服げな声を出す。
「いいえ、なんでもないです……。それより、お時間、大丈夫ですか?」
「ん?」
「何も送ってくださらなくても、場所さえ教えてくれれば……」
「……あっ」
私がそう言うと、彼はその手があったか!?と言った表情でこちらを向く。
だが、すぐに私から目を逸らすと小さく呟く。
「場所、教えても迷いそうで心配だし……」
「なっ!?」
私は彼の言い分に鳩が豆鉄砲を食ったような反応をしてしまう。
「し、失礼な!!そんな事ないです!!」
そう言いながらも私は図星をつかれている。
スマホの地図で説明されても覚えられる自信はないし、無機質なナビの音声に案内されるより見知らぬ人であってもやはり彼に案内される方が安心する。
「もぅ……、なんなんさ」
私がプンスカ怒っていると、彼は苦笑して話を続ける。
「冗談だって。大道大だろ?俺も用があるからついでだ」
「えっ?大道大の学生さんですか?」
それを聞いて私は驚く。
いや、別に驚くことはない。
さっき、大学生だと言っていた事を思い出したからだ。
「そうだけど……」
「へぇ〜、そうなんですか。何学部?何年生?」
私が目指している大学の学生だと聞いてますます彼に興味を持った私は少し興奮気味に質問責めをする。
「……獣医学部の一年だけど?」
「えっ、一年生!?一個上?見えない!!」
私は彼の外見について率直な意見を言う。
恰幅がよく、良くも悪くも落ち着いている彼が一歳歳上にはまず見えない。いや、自分の視点から見れば一つ上だろうと下だろうと、老けて見えれば歳がもっと離れているような気持ちになっても仕方がない。
「……初対面で酷くね?」
「あっ、ごめんなさい。あはは〜」
私の発言にショックを受け、泣きそうな声を上げる彼に苦笑しながら私は謝る。
「それにしても、先輩は獣医学部なんですね」
「ああ……」
「私も獣医学部を目指してるんですよ!!どんなところですか?難しいですか?」
「まぁ、やっぱり大変だと思うよ。まだ入ったばっかだから実感はないけど、生き物の命を扱う仕事だからな……」
さっきの泣きそうな声から打って変わって、真剣な口調で話をする彼の言葉を受けて、私も静かに話を聞く。
よく考えたら、私がこの学校を目指しているのはただ動物が好きだから、一人暮らしをしたいからと言った不純な理由だ。
別にこの学校でなくても良い。
実家も別に田舎にある訳じゃないし、大学もあれば遊ぶところもたくさんある。だけど、何かしら理由をつけなければ両親……父が一人暮らしを許してくれない、そんな理由からこの学校を選んだのだ。
「……先輩はなんでこの大学を受験されたんですか?」
「えっ?」
「あ、ほら……、大学なんてどこにでもあるじゃないですか」
軽い理由で大学のオープンキャンパスに行く私がなんかちっぽけに見え、彼が何故この大学に入ったのか気になった。
私に入学動機について聞かれた彼は少し何かを考える。
「ん〜、動機が好きだからかな?」
「軽っ!!動機、軽!!」
予想外と言うか、予想通りというか、彼の動機が自分の想定以上だった事に驚き、声が出てしまう。
「……うっ、軽いっていうなよ。大事な事だぞ?」
私の心の声に少し不服そうな声を上げる彼に私はふとした考えが過ぎる。
……そんな理由でいいのか。
動物が好きだからこの道を選ぶ……それは間違っていない。私が思っていた事が間違っていなかった事に多少の自信がつく。
「だけど……」
私が少し自信をつけた矢先、彼が話を続ける。
「さっきも言ったけど、生き物の生命を預かるんだ。相当の覚悟がなければやってけないとは思ってる。ただの動物好きって理由じゃ」
その真剣な口調に私は「うっ……」と声を出す。
確かにそうだ。彼が言うように、覚悟がなければやっていけないだろう。
動物とはいえ、生き物。それは死を伴う事もあるだろう。そうなると、家族も獣医を頼ってくるに違いない。
その責務を負えるようになる為に、彼はこの大学で勉強をしているに違いないのだ。決して私と同列に扱うべきではない。
その事に私は反省する。
突然私が黙った事に彼も気がついたようで、隣を歩きながら頬を掻いている。
「って言っても、まだ始まったばかりだから偉そうな事を言える立場じゃないけどな」
彼はそう自信なさげに言うが、その言葉に私は首を振る。
「そんな事ないですよ。大切な事……です」
「ははっ、そうか?ありがとう」
「先輩はなんでそこまで真剣に考えられるんですか?」
私がそう言うと、彼はしばらく何かを考え始める。
何が動機がなければそこまでの意思は持てないはず……。
「……さっきも言ったけど、うちには猫がいるんだけど、その猫に何かあった時に俺が見てあげたいって言う理由さ」
「そうなんですか。その子はおいくつですか?」
「ああ、確か15歳くらいかな?昔、友人から貰い受けた子なんだけど、その子とまた会った時に元気な姿を見せてあげて欲しいんだよ」
「長生きですね……。ところでその友人さんとは?」
「小学生くらいの時に引っ越してそれっきり会えてないから、義理だてすることはないんだけどな……おっと、大学が見えてきたぞ」
彼の昔話を聞いていると、大学が見えてくる。
そこには大道大オープンキャンパスと言う文字が書かれていた。だけど、もう……行く意味はあまりなくなっていた。
彼と歩いた短くとも長い密度の濃い会話が、私にとって充分すぎるほど、目指す理由になったのだ。
気持ち的にはもっと話していたい……。
だけど、校門までのあと数メートルがこの会話の終わりを意味する。
「ほら、あとはいけるだろ?」
不意に彼が私に声をかける。
それはそうだ……。
学校が見えたところで、彼の役目は終わりを意味するのだ。
私の希望が彼を引き止める理由にはなり得ないのだ。
「じゃあ、気をつけて行けよ?くれぐれも帰り道で迷わないように!!」
「あっ……」
なんて声をかければいいか分からない。
私は彼を引き止める理由を必死に探す。
だけど、それも虚しく彼は「じゃ!!」と言って足早に大学の校内へと入って行った。
私はただ、その背中を引き止められずに見送った。彼のそのふくよかな身体と上下ジャージ姿を目に焼き付けるかのように……。
それから私は一応、オープンキャンパスに行き、資料を貰って、校内を見学して回り、そして、帰路についた。
ただ、オープンキャンパスに参加はしたはいいものの、集中力のその半分はどこか彼の姿を探していた気がする。
そして帰りの夜行バスの中、私はとある事に気がついた。
「あっ、あの人にお礼をしてない!!それに、名前も……」
気づいたはいいものの、後の祭り……。
だけど、もう一度会いに行けばいいだけの事。
あの大学に入って、もう一度彼に会えばいいだけの話なのだ。
私の道は……、この夜に決まったのだ。
※
私は夜行バスに揺られながら、夢を見ていた。
幼い頃、とある公園でか弱い声で鳴く猫を拾った時の夢だった。
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