終の事

 先輩の隣に、腰を下ろす。

 近いかな、と思ったが、逆に先輩の方が更に距離を詰めて座り直した。


「とは言うもののね。そんなに特別な宗教じゃないと思うのよね」


 先輩もスポーツドリンクのペットボトルを手に取ってキャップを開け、口を湿らすように少しだけ飲む。


「ヒゾウの子らの教えは、この世界の成り立ちと、その中での私たちの振る舞いについてのもの」


 それは多くの宗教がそうだ。


「この世界の造られた意味。私たちの果たすべき役割と、私たちの幸福」


 それは多くの宗教がそうだ。


「結論から言ってしまうと、私たちの役割は演じること。与えられた役割を。それがこの世界に生まれた私たちの意味だし、役割だし、その役割をきちんと演じることが、私たちにとって幸福なことなの」

「演じる……誰のために?」

「造物主」

「ゾウブツシュ?」

「そう。造物主。この世界のヒトはその為に作られた被造物。


 私たちは、被造の子ら」


「被造物。だから、被造の子ら……」

「小説なのよ。この世界は」


 先輩は肩を寄せて来た。抗う理由はなかった。僕の右肩に先輩の肩が触れて、しっとりした柔らかさと体温が伝わる。


「私たちは、主人公とヒロイン」

「その信仰は……やめることはできないんですか?」

「分かってないなぁ、きみ」

 先輩の声は怒ったりしてるのではなく、面白がってるようだった。

「信仰はやめるとか、捨てるとかじゃないの。気が付いたらそうなの。自分の一部。生き方の基準の一つ。例えばあなたの……私への想いはどう?

 それは誰かに教えられたものでも、強いられたものでもない。持ち続けたからと言って報酬があるわけでもなかった。けど、それをあなたは大事に胸の内に抱いたまま過ごしている。それは一種の、信仰よ」

「先輩への、ですか」

「恋心への、かな。神様をやるには私じゃ役不足でしょ。閉まりかけた踏み切りに飛び込んで。五年も律儀に彼女も作らないで。小野くんなら、告白の一回や二回されたでしょうに」

「ありませんよ。そんなイベント」

「世の女性は、男を見る目がなくって?」

 先輩はくすくす笑った。その掌が、僕の太ももに乗った。


「……キスしてくれないの?」


***


 僕たちは、一つになった。


 僕は初めてで、先輩はどこか慣れている様子で、そこになんだか寂しさを感じないではなかったが、先輩が僕を受け入れてくれたこと、先輩とそうなれたことの喜びや快感が僕を満たして、すぐにどうでも良くなった。


 電気はついたまま。先輩は本当に綺麗だった。先輩は名前を呼ぶようにせがんで、僕は乞われるままに香奈、香奈と何度も何度も名前を呼んだ。


「私のこの世界での役割はね」


 上になった先輩が、二人で一つの固まりになろうとするかのように僕を抱きしめながら言った。


「あなたを惑わし、導いて、あなたを変えること」


 耳元でそう囁いた先輩がそのまま僕の耳を唇で挟んで、僕は、ん、と声を出してしまった。


「変わったあなたに報酬を与えて、クライマックスを演出すること。だから、あなたも一杯感じて。この瞬間を。私たちの造る、絶頂を」


 先輩の息遣いも少し早い。その興奮が伝わって僕の興奮も加速する。

 息遣い。バネの軋み。心臓の鼓動。

 何もかもが快楽に溶けて一つになる中で、僕らはサルに近いものになって行く。でも構わない。先輩となら、霧島香奈となら、どうなっても。


「先輩、もう……もう……」

「大丈夫。いいのよ。来て」


 僕は先輩の中で果てた。先輩は嫌がるでも焦るでもなく全てを受け入れて僕を抱きしめ続けていた。


「先輩……先輩……」

「これで、私の役割は終わり。ありがとう小野くん。私に、役割を果たさせてくれて。優しい……あなたらしい愛し方だった」

「先輩……あなたが何を言ってるのか分かりません。先輩……」

「遺言、かしらね。このお話は、もう終わりが近づいてる」


 終わる。お話が終わる。

 確か前にも、先輩が似たようなことを……?

 ……ダメだ。脳ミソがふにゃふにゃで、物事が考えられない。余韻と呼ぶには強すぎる甘い疼きが全身を満たしていて、体は痺れたように動かない。

 僕は「骨抜き」という言い回しの本当の意味を体得した。


 先輩が僕の顔を両手で持って、丁寧なキスをする。それだけで僕は再び軽く達してしまう。


「先輩は……彼氏とかは……」

 ふふっ、という笑い声。

「こうなった後に言う。やっぱり賢いね小野くん。それにズルい」


 先輩は僕の隣に寝直して手を握った。

 いつの間にか、外はかなりの勢いで雨が降っているようだった。


「いるよ。この春から遠距離だけどね。顔だけはいいから、何をしていることやら。幻滅した? 憧れの先輩が、ふしだらな浮気女で」


「僕は」

 僕は、先輩の手に指を絡めて握り返した。


「僕はそれでも先輩のことが、霧島香奈のことが好きです」




*** 終 ***


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ヒゾウの子ら 木船田ヒロマル @hiromaru712

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