第4話

 喧騒。複数から成る雑多な足音。話し声。料理の香り。

 箱馬車の中から見るような窓越しの景色とは違う、実際に城下町を歩きながら見て回る外の世界は新鮮で、視界に入るもの全てに興味を惹かれる。


 姉の許可を得て、俺は魔族の占領下にある城下町に来ていた。

 おそらく先日の人間の都市に行きたい、と言う俺の我儘の一部を叶えてくれたのだろう。周囲を歩くのは全て人外の類であれど、生活環境は人のそれとあまり大差はない。


 食べ、眠り、遊ぶ。大体こんな感じ。

 知能のある魔族は衣食住もしっかりしているし、となると街並みも人のものと変わりなく、それなりに楽しめる。


 とは言え娯楽施設とかは少ないし、人間を食料や奴隷として扱っている店なんかもあるのは少し勘弁して欲しい。

 姉妹もああ見えて魔族なので、人間を食用にする事はあるし実際屋敷にも加工用の人間が幾体か存在するのだが、どうにも俺は忌避してしまう。例え魔族として数百年生きていたとしても、人を食す事はなさそうだ。


「ああ、ヘレティック様。あまりはしゃぎ過ぎないように」

「別に良いんじゃねぇか。久し振りの外出なんだし、少しくらい羽目外したって構わねぇだろ」

「まぁそうなんですが、少し目を離すと何処か行ってしまいそうで……」

「過保護だなぁオイ。まぁ判らなくもないけどよ」


 俺の背後に控えつつ、周囲を警戒してくれている護衛二人の話し声が聞こえて来た。

 俺の素性は、俺自身が滅多に表に出ない事からあまり知られていない。故に外出した所で俺が魔王のその弟だと気付く者は、一握りを除いて居ないだろう。


 だがこの世界はあべこべ世界だ。

 男女の貞操が逆転したとなると、言わば女の方が狼で、男の方が襲われる方になる。


 姉曰く顔立ちが整ったお前が外に出れば有象無象の類に狙われるとの事で、今の俺は魔術により外見を骸骨兵スケルトンに扮しており、更には姉の側近――四天王と俺が胸中でこっそり呼称している内の二人を護衛に付けてくれた。

 勿論彼女達二人も魔族界隈の中ではそれなりに有名な存在なので、気取られないようにと魔術を用いて存在感を消している。見破るにはLv500以上の実力者でないと難しいだろう。


 まぁ逆に言えばこうまでしないと、姉は俺を外に出したくないのだと見て取れる。次回の外出は何時になるやら、後悔を残さない為にも今を全力で楽しむべきだ。

 俺は少し歩くスピードを落として、後ろを付いて回る二人を待った。何事かと身を寄せる彼女達に顔を近付け、周囲の人外に話し声が漏れないように耳打ちをする。


「――あのさ。最後にこの城下町に出たのって実は五十年前で、しかもそれ自体籠馬車の中から外を覗き見るようなものだったから、周辺の地理が全く判らないんだよね。だから、リードしてくれると嬉しいかなって」


 そう言うと護衛の内の一人あるイザベラがサメのような歯を見せて笑い、面白い所を案内してやると俺の腕を引っ張ったのだけど、そんなイザベラを戒めるように肩を掴んで止めに掛かる者が居た。


「些か乱暴に過ぎますよ、イザベラ。男の人はもっと丁重に扱わねば。ここは私がヘレティック様をリードします」

「ああ? 寝言は寝てから言えよリッター。軟弱騎士様にこいつの案内役が務まるか」


 嘲笑うような笑みを浮かべるイザベラを、黒色の甲冑とドレスとで身を包んだ騎士姿のリッターが睨め付けた。

 性格に難ありが多い魔族の中では珍しい、無益な殺生と紳士的な態度の取る事が多い彼女だからこそ、その紅い瞳に怒りのような感情が含まれると怖く感じる。


 圧があると言うか、黄金の川を思わせるような長髪も合わさり普段は高潔な騎士のように見えるのだが、やはり彼女も魔族の側なのだろう。

 元の種族が首無し騎士デュラハンだと言うのもあり、首と身体を繋ぐチョーカーのようなものと、魔族特有の紅い瞳以外は人と本当に変わらないので勘違いしやすい。


 空気が何だか悪くなってきたので適当に二人を宥めつつ、結局周囲を当てもなく散策する事に決めた。

 城下町と言うだけありこの町には一帯を見下ろすような城があり、これも元々は魔族に亡ぼされた人の国のものだったのだけど、今では改築を重ねた結果見る者に威圧感を与えるような外観となっており、隣国である王国からも見えるようなこの巨大な城は人間達にとって『魔族の悪しき象徴』と畏怖されている。


 実際に姉もこの城には日常的に行き来していて、自身の配下連中に命令を下したり国の何処を侵攻するかを決めたりする魔族にとっての重要拠点なようで、RPG風に言い表すなら魔王城のようなものか。

 今もあそこで姉が働いているのだと考えると、少しばかり親近感が湧く。どうせなら姉妹と一緒に城下町を巡りたかったと思うが、今の二人の仲を考えるとそれも難しい気がした。


 ぷらぷらと歩き回り、目に付いたものがあれば寄ってみる。浮世離れしたような連中は物々交換を好むと言うが、物を買う際は基本的に魔族も人と同じく金銭を用いた交渉を行う。

 時折力尽くで物を奪い合うような世紀末的思考の持ち主も居るが、そういう者の大体はそれ程強くない。周囲に自身の力量を知らしめる為の行いなんだろうが、本当の怪物は気に入らなかった相手を問答無用で縊り殺すような奴だ。身近にそう言うのが居るから判る。まぁ妹の事なんだが。


 入る店を吟味しながら久方振りの外出を楽しむ。

 店を間違えて人間の肉が料理として出て来た暁には、今日一日の全てが台無しになる程度には気分が落ち込むので店は慎重に選ばなければならない。


「……なぁ。お前ってさ、好き嫌いとか多い方か?」

「へ? いや、大体の物は好きだと思うけど」

「ふぅん。いや、前から思っていたんだけどよ、ヘレティックって人間あまり食わないよなってさ。嫌いなのか?」


 彼女の紅色の瞳に見据えられて、思わず言葉に詰まる。

 粗暴な言葉遣いと短絡的な思考が多いイザベラは少しばかり精神的に幼い、と言うような特徴があるが、その反面周りを良く見ていて、面倒見が良い所もあった。


 だが今回ばかりは返答に困る。前世が人間だったので、人を食べる事に抵抗があるんですとは言えないし、適当に言葉を濁すように返した俺に怪訝な目線を送りながらも、彼女がそれ以上追及する事はなかった。

 その事に感謝しつつ町巡りを再開しようとした瞬間、ふとこちらを窺うような視線に気が付いた。護衛の二人からではない辺り、他の誰かだろう。


「……イザベラ」

「ああ、判ってるよリッター。ネズミが居やがる……燃やすか?」

「ここだと騒ぎになりかねない。一旦城の方に戻るのも手ですが、どうせならおびき出しましょう。ヘレティック様、こちらへ」


 腕を引かれ、リッターに物陰の方へと誘導される。その間も視線は自分達の方に付き纏い、追われている事は明白だった。

 角を曲がり、建物と建物の間――寂れた雰囲気の漂う路地裏で一旦俺達は足を止め、待ち構える事にした。通って来た道の角をイザベラが張り込み、俺を守るようにリッターが傍らに侍るような形で陣形が組まれる。


 仮にも二人共に魔王の側近だ。Lvは俺よりもずっと高いし、当然ながら戦闘経験もある。大抵の相手ならば簡単に対処出来る筈だが――。

 その過信が、いけなかったのかもしれない。


 不意に背後に気配。それもすぐ近くに。

 視界の中でリッターが黒色の刀身が輝く剣を抜いたが、それよりも先に俺の胸元に銀のナイフが突き立てられる方が早かった。


「動かないように。彼を傷付けたくありませんので」


 我が身とて魔に部類される半不死の存在だ。

 首を斬られても大量に出血しても生きていられるが、魔力を溜め込んでいる心臓は魔族にとって共通の弱点とも言えるべき箇所で、流石に邪なものを払うと謂われる銀色の凶器で心臓を抉られるのは不味い。

 

 それでもまぁ多分生きていられるだろうけど、二人にとっては俺が見ず知らずの何かに捕らえられた事自体を警戒しているようで、リッターは一先ず抜いた剣を鞘に戻し、くぐもったような女の声の言う通りにするようだ。

 

 ――それにしても驚きを隠せない。

 何せ突然俺の背後に湧いて来たのだ。おそらく転移魔術の類を行使したのだろうけど、魔術を扱う際には言わずもがな魔力を必要とする。のに、その魔力を感知出来なかった事が不気味で仕方なかった。


 俺もイザベラも、そして傍らに居たリッターでさえも、相手の魔術の行使に気が付かなかった。

 俺より背の高い、女性であろう相手をそっと盗み見る。見上げた先の視界には闇に溶け込むような黒色の外套に身を包み、更には目と口だけが彫られただけの簡素な石仮面を被った『いかにも』な人物が居て、こんなのに捕まったのかと内心苦笑する。

 

 とは言え鑑識眼を使っても相手のステータスが見れない辺り、石仮面若しくは外套は自身の素性を隠す他にも、干渉系の魔術を阻害する為の用途もあるのだろう。


「……こんな事をして、ただで済むと思ってるのか。テメェ」

「ハ――。勇者の襲撃時、己が主人を守る事すら出来なかった犬が吠えないで下さいな」


 文字通り、周囲に火の粉を撒き散らさんばかりに怒り狂うようなイザベラが自身の魔力を変質させ、手の平に渦巻く炎の塊を作り上げたが、リッターの制止の声に逡巡の後、掻き消した。

 人質を取る辺り、目的は俺の暗殺じゃない事は判り切っている。そこに交渉の余地があると感じたのだろう。リッターは敵意がない事を示すように両手を広げた。なるべく相手を刺激させないようにしつつ、時間を稼ぐ事を意図しているのか。


「人質を取る、目的を聞いても宜しいでしょうか」

「ん……はぁ。正直言うと、貴方達には関係のない事ですよ。私は単に――旧き神の信奉者、その一人でしかありませんので。興味があるのは、その魔導書を持つこの子のみです」


 思考が止まった。旧き神に関する書物は殆どが紛失しており、現在においてその存在を知る者は一握りしか居ない。

 となるとこの仮面の女はその内の一握りとなるのだけど、何故俺が旧き神の魔導書を所持している事まで知っているのか。


 身内の、それもあの晩の出来事に直面した当事者以外は知らないような真実だ。死んだ者を除けば、スペクター家の姉妹とその屋敷に仕えるメイド長。

 あとは、魔王の側近である彼女達くらい。目の前の二人を見れば、彼女らも表情が強張っていた。何せ箝口令まで敷かれたこの事実を知っていると言う事は、この仮面はあの晩の出来事を目にした当事者であるか、或いは。


 ――あの屋敷の中に、内通者が居るか。そのどちらかでしかないのだから。

 驚きに身を固めた、その隙を付いたのか。何の詠唱も魔力の漏れすらなく、ふと地面に時空の裂け目のような大穴が空いた。


 こちらも魔術による抵抗を試みようとしたが、ワンテンポ遅かった上に二本の腕が俺の身体を捕らえて逃がさない。

 視界の端で跳ぶように駆け上がり、重力の法則に従い落ちて行く俺の方に腕を伸ばすリッターと、大火力の魔術を行使するイザベラが見えたが、全てが遅すぎた。


 伸ばされた腕は空を切り、放たれた魔術も寂れた路地裏の何もない所に吸い込まれて行って、そこで爆発した。

 視界が歪曲し、意識を保てなくなる。そんな朦朧とした頭の中に、聞き覚えのある声が響き渡った、そんな気がする。


 声は、私達の敵である『勇者』を殺せと言っていた。

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あべこべ世界で生きるのも楽じゃない こたつねこ @kotatukoneko

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