第3話 不和の原因

 血に塗れた白い肌に、灰色の切り揃えられたボブカット。

 苦悶に溢れた母の表情を彼女は嘲笑いながら、胸元に突き刺した神々しい色をした剣を引き抜いた。頬に付着した赤く、生々しい液体を指で拭う仕草は熱っぽい吐息も合わさり妙に艶やかで、目を奪われる。


 透明感のある彼女は天使のようにも見えた。実際人間達からすれば、魔王を殺した彼女は崇められて然るべき人物なのだろう。

 だがこちらからすれば自身の親を殺した憎き仇敵だし、それにとてもじゃないが口が裂けんばかりに笑う彼女は、天使には見えない。狂人に数えられるべき存在だ。


 轟くような破壊音に目を覚まし、この場に来てみたが未だに目の前の光景を信じる事は出来なかった。

 血の臭いが濃い空間。剣で胸を貫かれた母親は既に息絶えたのか、虚ろな瞳を空に投げ掛け、自分の姉妹も瀕死に面し、この屋敷に仕えている侍女の何人かは見るも無残な肉塊と化している。


 日常的に行き来している屋敷の広間は、今や見慣れた者の血と死体の山が積み上げられた景色と成り果てた。

 判っている。これは因果応報なのだと。自分達が人間にしている行いが返って来たのだ。文句など言えるものか。


 それでも、悔しさがあった。

 幾ら前世の記憶を持っているからと言って、今の自分を育ててくれた家族に対し、何も思わない訳がない。端的に言えば、自分にとって大事な人達を殺した、目の前の彼女が憎い。


「ん――ああ、まだ居たんだ。へぇ、男の子。可愛いね、王都に持って帰ったら高く売れそうだ」


 破壊され、所々に穴の空いた天井から差し込む月の光を浴びながら、まるで神に祝福されているかのような彼女は俺の存在を認めると、血に汚れた美しい顔で無邪気に笑うのだった。


***


 どうやら魔族が俺に向ける認知度と言うのはちぐはぐなようで、何でも俺があの悪名高い『勇者』を過去に撃退した事が世間には広まっているようだ。

 人間による俺の解釈が『背徳の神を信仰する怪物』であるのに対し、魔族からの評価は『可愛くて強いと噂の謎に包まれた男の子』との事で、一定数のファンも居る模様。


 ――目覚めはあまり良いものとは呼べなかった。

 あの日見た血に伏した家族を、狂気に満ちた彼女の笑みを思い出すと不安と喪失感に苛まれる。未だにあの時の光景が瞼の裏にこびり付いていると言う訳だ。


 天蓋付きのベッドの上で虚空を茫然と眺めつつ、アメリアが部屋に来るのを待っている。何となく態勢を変えようと視点を移動させると、部屋の真ん中辺りで紅い瞳が二つ、浮かんでいた。

 幾ら今が朝日の昇る時刻だとは言え、部屋の中に窓はなく、灯りも消えている。ので、暗闇の中にぼう、と人魂が浮遊しているようにも見え、思わず引き攣った悲鳴を零した俺の事を笑う声がした。


「――おはよう、お兄様」

「レイチェルか。驚かさないでくれ」


 まるで悪戯が成功したようにコロコロと笑う妹は無邪気そのもので、そこに負の感情は見当たらなく、故に気になるのだ。

 何故自身の姉を――ひいては家内の長女足るレーヌを、ああまで嫌うのか。単なる反抗期なら時間が何とかしてくれるだろうが、アメリアの言い分だとそう単純なものでもないらしい。


「……レイチェル。この間はすまなかった」

「うん? 食事の時の件かしら。別に気にしてないし、そもそも我儘を言ったのは私だしね。お兄様は悪くないわよ」

「そうか。ならその上で聞かせて貰うけど、何でお姉様をあんなに嫌うんだ」


 昔は顔を合わせる度にしかめっ面を浮かべる程、二人の関係が悪かった訳ではない。この姉妹の関係が悪化したのは確か、母親が殺された日。

 ――勇者に屋敷を襲撃された時、だった気がする。


 正直言うと、察しは付く。

 ただ、ここいらでハッキリさせるべきだろうと思った。幸いアメリアが来るまでは時間があり、この部屋には俺とレイチェルの二人しか居ない。人に言い辛い話をするには絶好のタイミングだ。逆にこの機会を逃すと、次に聞ける時が何時になるか。


 少しばかりの逡巡。言うか、言わまいか。それでも俺の見据えるような視線に観念したのか、短い溜め息と共に彼女が吐いた声色は酷く低く、忌々しいものをその頭の中に思い浮かべているのは一目瞭然だった。


「勇者。あの狂人に屋敷を襲撃されて、母様を殺されて、仲の良かったメイドの何人かも殺された。でも、彼女達は助けられた筈よ。アイツが……お姉様が、旧き魔導書を開く事を、躊躇わなかったら」


 母親から次期魔王となるスペクター家の長女に渡された書物――旧き神との契約を結び、その力の一端を行使する事が可能になる魔導書。

 レーヌ姉が所持している筈のそれは、今や俺の物となっていた。


 もっと詳しく言うなら『家名に危機が及んだ時に使え』と母から渡された魔導書を、姉は開くよりも先に再起不能となり、このままだと皆殺しにされると危惧した俺が魔導書を奪い取り、紐解いた事で契約は俺との間に結ばれたのだ。

 確かに勇者の力量を見誤り、己の務めを全う出来なかった姉にも非はあるかもしれないが、仕方のなかった事だと思う。


 契約を結べば多大なる代償を支払うとも言われたし、となると躊躇するのも判らなくはない。そんな俺の言葉を、彼女は鼻で笑うように返した。


「……どうかしらね。お兄様は一部始終しか見てないから判らないだろうけど、戦闘中にも魔導書を開く隙はあったと思うわ。大体は母様が狂人の気を引いてくれていたし、それでも開かなかったのは臆病風に吹かれたからでしょう。倒れた時も実は意識があったのかもね。怖かったから魔導書をお兄様に押し付けたんじゃない?」


「そんな――」

「そんな筈はないって? 今も私たちの会話を盗み聞くような奴よ――ねぇ、お姉様?」


 ニヒルに笑う彼女の視線は、部屋の中にある暗闇と同化するように静かに飛んでいた、一匹の蝙蝠へと注がれていた。

 視界が悪いのと、話に夢中になっていたせいで存在に気付けなかった。このような場所に蝙蝠が居ると言うのも変な話だし、レイチェルの言う通り誰かの――姉の、使い魔なのだろうか。


 存在を気取られた蝙蝠は逃げるように部屋の扉へと向かうが、目にも止まらない俊敏な動きでレイチェルがそれを捕まえた。

 自分の手の平で苦しそうに藻掻いているか弱い生き物を、甚振るように徐々に力を込めて潰していく。最後に短い悲鳴と共にその肉体は弾け飛んで、自分の腕を伝い滴り落ちる赤い血を、彼女は無機質に眺めていた。


「本当に、失望したわ。同時にあの臆病者のせいで、お兄様が契約を結んでしまった事を本当に同情しているの。大事な大事な、私のお兄様。守られるべき存在なのに、不要な力を得てしまって、旧き神に弄ばれる貴方を――救いたい」


 不意にこちらを見詰める彼女の表情は、普段の揶揄するような態度からは想像も付かない程の真剣そのものと言った風で、思わず言葉に詰まる。

 何を言えばいいのか、何も言わない方がいいのか。


「ねぇ、お兄様。逃げましょう。私と一緒に」

「――え?」

「生活出来そうな館を見付けたの。結界を張れば近付く奴はいないだろうし、見付けられたとしても消せばいい。そこで二人きりで暮らしましょう、お兄様」


 色々と言いたい事はあった。

 食料の事だとか、アメリアが悲しむとか、姉の事を見捨てるのか、とか。


 様々な事が浮かんでは、目の前で綺麗に微笑む妹の顔を見て消えて行く。何せ彼女のこんな顔を見るのは初めてだ。

 普段見せるようなしかめっ面とも、俺に見せるような無邪気な笑顔とも違う。数百年の時を生きた女の顔で、思わず生きていた頃の母親の顔と重ね合わせてしまった程なのだから。


 困ったように口を噤む、そんな俺を――レイチェルは、耐え切れないと言った具合に、噴き出すように笑った。何時もの、悪戯が成功したような無邪気な笑みだ。


「――冗談、冗談よ、お兄様。そんなに真に受けないで。今は貴方が居れば、それで構わないから」

「そう……か」


 それでも何処か悲しそうに目を伏せる自分の妹に、俺は何も言えなかった。

 ――あの綺麗な微笑みに、家族に向ける愛情とは異なる、恋慕にも似た焦がれるような感情が含まれていた、なんて。そんな事、言える訳もないし在り得ないと一蹴すべきだろうに。

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