第7話 はるか地の果ての2人
「よう、大将!」
割れ鐘のような声でグナッセル突撃班長が声を掛けてきた。
鬼人種の中でも黒系と呼ばれる、もっとも獰猛な肉体を持った男だ。
まさに筋肉の巨魁。下手な魔物よりモンスターしている。
「ルキウス隊長は、隊長であって大将ではない」
何度言わせるのだといった顔になっているのは、リアン・ベルモント少尉。
肝心のルキウス隊長は、執務机で暇そうに羽ペンで落書きしている。
「小僧、俺が用のあるのは大将だ。貴様じゃない!」
3人がいる場所は、アルマール公国の南東に位置する南東部国境守備隊、そこの士官宿舎2階にある隊長室。ちなみにアルマール公国は、バウム帝国本土でもあるルーデシア大陸の南東部を占める4大公国のひとつとされている。
リアンがルキウスの専属従官に任じられて今日で半年。
その間に18歳になった。
薄い藍色の豊かな巻き毛。
若草色の瞳が印象的だ。まだ幼い風貌が残る鬼人種の若者である。
「突撃班長……たしかあなた、流民街の魔法屋にいるアマリスとかいう娘にぞっこんですよね? 聞けばアマリスと結婚するため、出身地のセネカルへ帰りたいとか。どうせそのための長期休暇を頼みにきたんでしょう?」
リアンの舌鋒は鋭い。
全身から『負けるもんか』という気迫が滲んでいる。
鬼人種の特徴と言うべき巨大な2本の巻いた角、それがリアンにはない。
前頭部に、遠慮しがちに1本の短い直角があるだけだ。
口をひらけば小さな牙があるはずだが、それも普段は見えない。
背丈も吸血種のルキウスより低い。
肌の色は赤みがかっているものの、赤鬼系の赤銅色には程遠い。
あらゆる特徴が、リアンが鬼人種であることを否定している……。
子供の頃、外見を理由に苛められ続けた。
だがリアンは、暴力を受けても屈しなかった。
治癒できないほどの大怪我だけを避け、ひたすら堪え忍んだ。
それがリアンを、負けず嫌いな策略家に仕立てたのだ。
「うぐっ……な、なんでアマリスのことを!?」
「なぜもかにもないですよ。あなたがかつて遊び倒した娼婦宿の子たちが、一致団結してグナッセル様を故郷に帰すなって、このボクに嘆願してきたんです」
「あいかわらず突撃班長はモテるなあー」
ルキウスが面白そうにチャチャを入れる。
しかしそれすらも、どこか投げやりだ。
「あいつら……俺を金づるとしか思ってないくせに……」
「グナッセル、許可する!」
いきなり羽ペンを放り投げたルキウスが、両掌を机の上にあてて立ちあがった。
青みがかった銀髪が、ふわりと額におりる。
瞬きはしない。魔人族には珍しい黒い瞳が、面白そうに揺れている。
黙っていれば、憂いをおびた凋落の美青年。
口を開けば、アホかと思うほどの軽さを見せる。
なのに体の芯には、武人に相応しい鋼鉄の意志が宿っている。
そうでなければ、3000名を越える歴戦の猛者たち――国境守備隊員から慕われる存在にはなれない。
「1週間、いや2週間……いやいや、このさい1ヵ月の特別休暇を出そう。実家への報告ついでに、いっそ新婚旅行をしてきたらどうだ? あ、いや、奥さんをつれて故郷にもどり、そこで結婚式をするのもいいな。うん、是非そうしてくれ!」
「おう、そうでなくっちゃ、俺らの大将じゃねえ!」
グナッセルは2メートルを越す巨体を揺らし、大きくガッツポーズを見せる。
まるで筋肉の要塞だ。
守備隊で最強と言われる突撃騎兵班。
彼らを率い、真っ先に人間族の軍列に突っ込むような無茶は、この男しかできない。
「ルキウス隊長~。明後日には遠征討伐に出る予定じゃないですかー。なのに討伐隊の中核部隊の長に休暇を出してどーするんですか。断固、却下です。却下!」
リアンの剣幕が強かったため、ルキウスは2歩後ずさりする。
「リアン……そんなに固い考えでは彼女ができないぞ。こう考えればいいんだ。遠征には突撃班が不可欠。ところが班長は結婚式で不在。なので遠征は急遽中止される。どうだい?」
ひとさし指を立てて得意満面。
しかし、どう聞いても屁理屈だ。
「なに馬鹿なこと言ってるんですか。遠征はアルマール公国軍からの正式な命令ですよ? 公国の南端に出現した未知の土地に住む人間族が、グランタルの人間族と共闘を結ぶ気配があるから、それを阻止せよとの至上命令じゃないですか!」
文句を言いながらも、リアンはルキウスの真意を見抜いている。
――この人は、いつもそうだ。
今回の遠征は、たった3000人で戦争をしてこいと言うのと同じ。
そんな無茶な命令を、すんなり聞く人じゃない。
南に出現した人間族の土地は、以前に確保した捕虜から【南アフリカ】という国と判明している。過去に帝国のあちこちで報告があった、鋼鉄騎馬や鋼鉄飛竜を使い、強烈な物理攻撃を仕掛けてくる相手のひとつである。
5年前に最初の戦闘が起こった。
その時はアルマール公国正規軍が、南アフリカへ攻め込んだ。
激しい戦闘が数週間続き、双方とも疲弊して引き上げたため国境線は動いていない。
その後、軍備を激減させた南アフリカ軍は、南端にあるケープタウンという異世界の都市に引きこもり、徹底した防衛戦闘のみを行なっている。
アルマール公国としても、あまり魅力のある土地ではなかったため、攻めてこないなら警戒だけして、あとは皇帝陛下の判断に任せることにした。そして警戒と偵察、たまに南アフリカ側に点在する敵軍の前進基地を叩くため、ルキウス率いる国境守備隊が使われるようになった。
ルキウスに部隊を任せておけば、最低限の戦果だけは確保してくれる。
しかも兵員の損耗は驚くほど少ない。
今回も遠征も、たぶん小さな戦果とわずかな損失で終ることだろう。
だがルキウスは、その必要最小限の犠牲すら回避しようとする。
誰も死なせない。それが彼の信条だからだ。
「あーもう、面倒くさいなー! あとは私がなんとかするから、グナッセルは今日中に荷物をまとめて、彼女と一緒に出てってくれ。さあ、早く!」
「お、おう……」
ルキウスに背を押されるグナッセル。
すぐに隊長室を追いだされる。
「さて……」
ルキウスは自分の執務椅子に戻りながら、リアンに物憂げな目をむける。
「いいかリアン。おまえは表むき、俺の従官ってことになってるよな? なのにそんな態度では、隊内での評判は下がる一方だぞ。本当に、それでいいのか?」
ルキウスが【俺】を使うのは、リアンと2人きりの時だけだ。
それには理由がある。
リアンは名字持ちだ。
名字があるということは、親が貴族位にあることを意味している。実際、リアンはベルモント準子爵家の3男で、鬼人種で構成されるガラント公国においては、中興の名家のひとつと呼ばれている。
対するルキウスには名字がない。
いや……元はあった。
ルキウスは、母親である子爵夫人の浮気によって生まれた。
夫人は鬼人種、夫も鬼人種だ。当然、生まれてくる子も純血の鬼人種となる。
だが、夫人の浮気相手は吸血種だった。
不貞の結果の
これがルキウスが生まれ持って背負う
貴族の部下と平民の隊長。
軍内ではルキウスが上でも、一般常識ではリアンのほうが上の身分だ。
だから裏では対等の【俺】でも、表むきは【私】で通すしかない。
「いまさら何を言うんです? ボクがひねくれ者なのは、とっくに御存知じゃないですか。いいんですよ、評判なんて。どれだけ下がろうが気にしません。ボクが気にするのは、あなた様の評判だけです」
「俺の評判なんて、それこそどうでもいい。どうせこの守備隊に骨を埋めるつもりだったんだ。だから、まわりにいる、ほんの少しの者に信じてもらえればいい……」
15歳になったルキウスは、誕生日の日に家を追いだされた。
帝国の法では、表むき魔人族間の格差はないとされている。これはキュプロスでも同じだ。そのためいかなる理由があっても、親は子供が成人するまで養育する義務がある。
普通、同種の不倫で生まれた子は、位が下の貴族へ養子に出される。だがキュプロスだと引きうけてくれる者がいない。しかたなく館で飼い殺しにするしかない。
不貞をしでかした夫人も、貴族の体裁を守るため館に幽閉される。
うまく本当の世継ぎが生まれたら復権も可能だが、だいたいにおいて夫は、愛人に子を生ませて世継ぎにする。
つまりルキウスは、養育義務がなくなった瞬間、子爵家から縁切りされて追いだされたのである。
「また、思ってもいないことを。ボクの前で演技は不用ですよ。そんな下手っぴな芸を見せられるボクの身にもなってください」
「ふーん、自分としては取り繕ってるつもりはないんだけどな。まあ、俺のことを良く知ってるって自称してるから、リアンがそう言うならそうなんだろ。辺境の守備隊で万年隊長を強いられる男と、その男に取り入った小賢しい若造……だよな?」
「しかし、絶対に失態は見せず、いつのまにか何らかの業績を残している。これもまた事実です」
「給料もらってるぶんは働くさ」
そう言うとルキウスは、椅子のにもたれ掛かると、いかにも暇だといいたげにあくびをした。
「それも、もう終わりです。はい、これを」
リアンは後ろ手に隠していた、帝国軍の公式書簡をさしだす。
「来たか……思ってたより早かったな」
眠そうだったルキウスの瞳に、一瞬だが光が宿る。
「はい。あのルーガル・メルクムンド最高宰相が、あなた様を野放しにするわけがありません。可能ならば野垂れ死にする瞬間まで監視し、一部始終を密偵に報告させたいに決まってます」
「いやはや、血の繋がっていない父親とはいえ、最高宰相にまで取り入って俺を亡き者にしようと画策するのは、さすがベルモント子爵家の血と言おうか」
ルキウスは自分の受けた仕打ちを思いだしたのか、眉をひそめて言葉を吐いている。
リアンは、話に聞いたルキウスの足跡を思いだした。
15歳の多感な時期に、身ひとつで放逐された。さぞ心細かったことだろう。
1年間だけは、使用人を通じて最低限の資金が援助されたが、これは慈悲ではなく口止めのためだ。あくまで平民を装い、市井の片隅でひっそり暮らすことを強要された。
幸いにもルキウスは頭が良かった。
そこで生きるため、アルマール公国兵学校に公費特待生として入学し、平民出身の士官を目指すことにしたのだ。
公費特待だと、学費が免除されるだけでなく学生寮にも入れる。それどころか、月々の生活費も別途に支給される。
むろん在学中は上位5名以内を維持しないと即放校という厳しい条件があるが、ルキウスは初年度から3年間、1度もトップの座を渡さなかった。
だからルキウスは、見た目通りの軟弱男ではない。
注意深く隠してはいるものの、口でいうような世捨て人でもない。
吸血種らしい冷徹さすらも、あくまで演技として見せかけているだけだ。
実際は、ときおり癇癪すらおこす。もちろんリアンの前でだけだ。
鬼人種の血をたぎらせる年齢相応の野心家。
それがルキウスの正体である。
ただし、若くして失脚の辛酸をなめされた過去が、本来なら奔放な性格のすべてを歪めてしまった。自分のせいでもないのに理不尽な扱いを受けるには、まだ若すぎたのだ。
臆病ではなく、ずば抜けて用心深い。これに尽きる。
自分をそのまま見せれば、他人に悪用される。
慎重に本性を隠し、先に相手のミスを誘い、決定的な弱点を握る。
その時まで、本当の自分を見せてはならない……。
むろんルキウス自身は、そのような事をリアンに告げたことはない。
あくまでリアンが日頃の観察を通じて、自分なりに出した解釈だ。
この複雑なルキウスの性格が、劣等感を暗い情念に変えたリアンのお気に入りになったのである。
2人は、どちらも人に明かせない内面を持っている。
かといって、持ちつ持たれつ傷の舐めあいをする間柄ではない。
互いに慰めあうには、あまりにも2人のプライドが高すぎる。
結果……。
表では、呑気だが信頼度抜群の隊長と、口うるさい腰巾着の専任少尉。
裏では、誰も知らない野望を抱く野心家と、自分の才覚を生かす者に従う希代の策士。
このふたつの才能が、見事に合体したのである。
書簡の魔法封印をリアンに解除させたルキウスは、ちらりと読んで全容を理解した。
「なるほど……まっすぐ俺を辺境公国へ送るのではなく、まず帝都へ召喚して、派遣軍の総大将として盛大に持ちあげるつもりか。さすがは最高宰相、やることがえげつない」
盛大に送り出せば出すほど、失敗した時の惨めさも倍加する。
そこまで考慮しての宰相の策であることを、ルキウスは一瞬で見抜いた。
「策を弄する者は策に溺れる。メルクムンドの策なんて、このボクが小指の先でくつがえしてやります」
「頼んだぞ。俺はまだ潰されるわけにはいかない。今回の措置は、表むきは驚天動地の大出世だ。辺境の守備隊長が、帝国遠征軍の総大将に任命されたんだからな。当然、平民のままで行かせられない。最低でも子爵位はくれるだろう。それは願ってもないことだ」
「まずは野望の第一歩、貴族への復権ですね。次は遠征軍を指揮して予想外の手柄をたてる。ここまでやれば、皇帝陛下も無下には扱えない。なんせ帝国の英雄ですから」
「ああ、そうだ。そこから俺の新たな人生が始まる」
ルキウスは、手に持った書簡をじっと見つめている。
その目には、暗い情念が込められている。
それは出世の糸口を掴んだ歓喜とは似ても似つかぬものだった。
「連れていくのは、おまえだけにする。さっきグナッセルに休暇をやったのも、あいつにこの事を言うと、絶対に一緒に行くと騒ぐからだ。しがらみは、すべて切り捨てていく。いいな?」
兄弟のように慕っている部下を、一言のもとに切り捨てる。
それがルキウスの決断したことだ。
しかしその決断には、無類の優しさも込められている。
今回の派遣軍に連れていく実動部隊からは、おそらく未曾有の戦死者がでる。
これまでのように、最低の犠牲で最低の戦果というわけにはいかない。
なんとしても、最大の戦果を手にしなければ、次に進めない。
それには部隊の損耗など気にかけられない。
だからその中に、自分の愛する部下たちを入れたくない……。
どちらもルキウスの本心だ。
一筋縄ではいかない複雑な内面。
それがリアンの策を得ると、前代未聞の一手となって光り輝く。
2人は、分離不可能な双身双頭の神バリグラだ。
バリグラは生命と死、光と闇、男と女を象徴する神。
その化身とも言うべき2人が、いま動きはじめたのである。
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