第6話 皇帝は決断する


 両手を広げたより幅のある石壁に、金属のように磨き抜かれた石の柱。

 壮麗というより質実剛健と言うべき、要塞のような巨大建築物。


 ここはバウム魔帝国の帝都ブルムンド。

 3重の運河と城壁に囲まれた、皇帝エルム・ラキュリム・アルマートが座する巨大城塞都市だ。


 帝都ブルムンドは3600年前、初代皇帝がルーデシア大陸の魔人国を統合した直後から建設がはじめられ、基本的な部分が3400年前に完成した。魔人の平均寿命は数百年のため、帝都は初代皇帝の存命中に完成したことになる。


 それ以前に、この地に都市はなかった。まったく新たに作られた計画都市である。


 帝都の中心に作られた、1キロ四方・高さ100メートルもの人工土台。

 膨大な巨石を積み上げた、ルーデシア大陸で最大の人工物だ。

 その上に帝宮がある。


 いまアルマートは謁見の間にいる。

 カランドス外務宰相の報告が行なわれている。


「レーニア辺境公国のレニリアス公王より、直訴嘆願の書が届いております」


 アルマートは、玉座にある左の肘掛けに手を置き、かすかに指で何かを撫でる。

 すぐに【有線秘匿念話】がとどく。皇帝だけに聞こえる仕様になっている。


(直訴嘆願の書の魔導鑑定はレニリアス公王真筆と出ました。付与魔法はすべて解除済み。安全が確認されております)


 通常、外公文書には秘密保持のための魔法付与がほどこされている。

 これがクセモノで、その陰に隠れるようにして、暗殺系の魔法付与が潜んでいることがあるのだ。


 帝宮に持ちこまれる物品に、万が一の不備があってはならない。

 そこで事前に情報部門が徹底的に分析し、あらゆる魔法付与を解除したあと、ようやく帝宮内に持ちこむ手筈になっている。


 いまの有線念話は、帝宮の正門付近にある、帝宮親衛警察の秘密情報部門からのものだ。


 有線念話は、送者と受者以外に傍受できない。

 なにしろ念話を、導魔体と呼ばれる魔法を通しやすい金属で、直接的に相手へ送り届ける仕組みなのだ。しかも途中で傍受でもしようものなら、送者と受者双方に瞬間察知されてしまう。


「読み上げよ」


 アルマートは純血の吸血種のため、鬼人種のような角はない。

 青白い皮膚に痩身のせいで、黒を基調とした威厳のある帝衣を着ていても、魔人としては弱々しく見える。


 しかし帝国最強と噂される魔法能力は周知のことだ。

 両の赤い目から放たれる魔導波は、見つめるだけで相手の行動を拘束してしまう。

 眼光は恐ろしいが、その他は吸血種の特徴となっている美男子の要素をすべて満たしている。


 吸血種は他者の血液と共に、相手の体内にあるMP(魔導エネルギー)を吸って己のものとする。


 吸引は容赦なく、血を吸われた者は、MPだけでなくSPやHPまで吸い取られる。

 生命力が激減して瀕死……いや、吸血種が手加減しないかぎり、基本的には死ぬまで吸い尽くされる。


 相手を殺さない時は加減するが、その場合でも、自動的に高度魅了・絶対隷属・完全精神拘束の魔法がかかり、吸われた相手は吸血主の下僕と成り果てる。


「承知いたしました」


 アルマートの許可が出たため、カランドス外務宰相が公文書を読み上げる。


 公文書は1時間ほど前に、伝令飛竜をつないで届けられたものだ。

 帝宮親衛警察で安全化したのち、つい先ほど外務宰相へ渡された。


「災厄の日を境として、レーニア辺境公国の極西域に未知の大地が出現。その土地には人間族が棲息しており、不可思議な鋼鉄製の各種魔道武器を使い、辺境公国の西部守備隊と攻防をくり返している次第」


 老齢の外務宰相は息切れして、読み上げを一時的に止めた。

 呼吸を整え、ふたたび読み上げる。


「敵はおそらく、既知の人間国家の尖兵ではない。災厄の日以降に出現した、新たな人間国家の一部と判断している。現在のところ、西部守備隊による威力偵察および限定侵攻はすべて失敗している。西部守備隊に公国派遣軍を加えた8万のうち、じつに半数近くを失った」


「仔細はいらぬ。用件だけ申せ」


 相手が先代皇帝の従弟にあたる辺境伯爵であっても容赦しない。

 それが現役皇帝の権勢というものだ。


「ははっ! ……そこでレーニア辺境公王アルセルム・ガリアント・レニリアスは、伏してエルム・ラキュリム・アルマート皇帝陛下へ嘆願いたします。バウム魔帝国全体の安寧と繁栄のため、ぜひとも帝国本土よりの援軍と、最高指揮官の派遣を嘆願いたします……とのことです」


「見返りは?」


「大願成就の暁には、辺境公国より皇帝陛下へ、相応以上の上納を確約すると申しております……」


「もうよい」


 外務宰相が最後まで話す前に、アルマートは声をさえぎった。

 その口で、近くに立っている重武装をした男へ声をかける。


「バルメル将軍。この敵は5年前、ブランデリア公国の先にある諸領のひとつに攻め入ってきた、例の人間族の一味ではないか?」


「鋼鉄製の魔導兵器とありますので、おそらくその通りかと」


 バルメルは鬼人種だ。

 アルマートがガラント公国に命じ、皇帝直轄の魔皇禁軍司令官に抜擢した逸材である。


 禁軍八将の1人、元ガラント公国国軍司令長官、東方遠征の英雄……。

 さまざまなをもつ彼だが、ひとつだけ選ぶとすれば、やはり魔皇四天王のひとり【東方鬼戦王】だろう。


 東西南北にひとりずつ、当代の皇帝が選んで帝国最上の軍人に与える栄誉ある名だ。

 そのひとりがバルメルである。


「しかしあの敵は、5年前にを使った後、自国内に閉じこもっておると聞いたぞ。ブランデリア公国から出撃した遠征軍が、地続きの敵国領内へ攻め入っても防戦一方で、今日に至るまで膠着状況が続いているのではなかったか?」


 皇帝の元には確かな情報のみが届けられる。

 これを可能とするため、帝国では各公国正規軍と秘密警察、そして魔皇禁軍の3者が互いに監視しあう制度が採用されているほどだ。


「御意に。敵は驚異的な大爆発を3度起こした後、なぜか2度と使おうとしません。あの3度の爆発で、ブランデリア公国派遣軍と諸侯軍の合計14万のうち8万が、瞬時に壊滅しました」


「それは承知している。我が方の軍は壊滅的被害を受けた。味方軍は一時潰走状態となり、敵はやろうと思えば、手薄になったブランデリア公国本土に攻め入ることができたはずだ。にもかかわらず、敵は全軍を敵本土内まで撤収させた。この意味が知りたい」


「軍事的な常識から考えれば、敵の爆発は起死回生の一手、いわば奥の手として使ったものでしょう。その後、2度と爆発を利用しないところを見ると、間違いなくあの爆発によって、なんらかの重大な不都合が生じたと愚考する次第です」


「のちの報告では、爆発の後には町ひとつが入る大穴が開き、そこからは絶え間なく濃い魔素が噴きだしているそうだ。あまりにも魔素が濃いため、穴の中や周辺部には大量の魔結晶が蓄積し、魔人族といえども近づけば毒に冒されて死ぬという。そのせいだろうか?」


 アルマートの持つ情報の量と確度に、謁見の間にいる全員が驚きの声を上げる。


「じつは……」


 やや声を抑えつつ、バルメルが口をひらく。


「あの時、ブランデリア公国から遠征にでた獣人種のアグン司令官は、自分がガラント公国国軍司令長官だった頃からの個人的な知り合いです」


「ほう?」


 わざわざ前置きをしたバルメルを見て、アルマートは興味をそそられたらしい。


「当時、生還したアグンは、敵軍の捕虜を数百名ほど連れ帰っています。その捕虜は敵軍の兵士なのですが、鋼鉄製の武器の他は鎧甲胄などを着用せず、肉体的にも獣人種よりはるかに劣っていたとか。見た目は人間族そのものだったそうです」


「その話は知らぬ。続けよ」


「御意。その捕虜を、アグン配下の拷問部門に任せて敵情を探ったところ、あの爆発はというもので、その威力はとか申していたとか。異なる言葉を無理に魔法翻訳したものだけに、正確な発音や意味は、こちらの知識になければ翻訳できません。聞いたままを申し上げることをお許し下さい」


「ふむ……聞いたことのない言葉だな。それで?」


「そのカクバクハツが、魔素の大量噴出につながった……そう捕虜は白状したそうです。発生した過剰な魔素は人間にとっても猛毒ですので、カクバクハツに乗じて帝国本土へ侵攻しようとした敵は、無視できない中毒死者を出して遁走したそうです」


「回避策のない兵器を使ったというのか?」


 軍事常識にあてはまらない話のため、アルマートはかすかに驚いた表情を浮かべた。


「最初は信じられませんでしたが、確かにそのようで。その後も敵の国……ええと、たしかと、帝国南東部の諸領にある接点地帯には、いまだに周辺一帯に致死量の魔素が充満しております。こちら側へ侵攻できる状況にはない……そう自白したそうです」


「余の知る話では、その後も敵の偵察飛竜は、我が帝国領内に侵入していると聞いておるが?」


「空の上では魔素も希釈されますので、敵の鋼鉄製の飛竜は、爆裂地点を飛び越えて来ています。主に偵察のようですが、こちらが迎撃すると、大型の爆裂玉を落として仕返ししたり、こちらの飛竜を鋼鉄の爆裂火矢で落としているそうです」


「その捕虜に直接聞いてみたくなった。できるか?」


「残念ながら……捕虜は徹底的に拷問し、あらかたの情報が得られた後は、未知の人間族の可能性があるとして、ブランデリア公国の公都へ送られました。そして公国医学院において、様々な検査と生体実験が行なわれた結果、現在は全員が死亡したと教えられました」


「そうか、貴重な情報を感謝する。では、安易にレーニア辺境公国へ援軍を送るのは、帝国にとって得策ではないな」


 この質問は、帝国の軍務トップに対する礼儀のようなものだ。

 実際は、すでにアルマートの胸の内では処断が決まっている。

 それを先読みできないと、とても帝国の重鎮は務まらない。


「いまの段階では、時期的に早すぎるかと。ただ……辺境公王の嘆願を無視するのも下策に思われます。ここまで嘆願するからには、西の敵はそれ相応に強いと見るべきでしょう。ですから、このまま放置して辺境公王の言うように敵に制圧されてしまっては、帝国に対する脅威度が格段に上がってしまいます」


「ふむ、ではこういうのはどうだ? 最低限の派遣部隊と、実力は認められるものの、帝国内の序列としては低い者を司令官に抜擢し、彼らに辺境公国正規軍を従わせて戦わせるというのは?」


 これは事実上の決定だ。

 そう感じたバルメルは、うまく話を纏めようと知恵を巡らす。


「そうなると帝国は、嘆願を認めて軍を出すことになりますな。その軍を敵に直接当てるのではなく、あくまで辺境公国軍を指揮する中核部隊とし、新たな情報を帝国にもたらす道具とする。妙案にございます」


「では、命令を下す!」


 アルマートは玉座にすわったまま、居並ぶ配下の者たちに宣言する。


「レーニア辺境公国に対する援軍の儀は、すべてバルメル魔皇禁軍司令官に一任する。これは皇帝勅命である。帝国に属するすべての国と諸領は、バルメルの統率のもと、ただちにレーニア辺境公国派遣軍と司令官の選出に当たれ。以上をもって本日の謁見を終了する」


 本当は、あと2つほど予定が残っている。

 だが皇帝が終了を宣言した以上、それは明日に順延されるか中止になる。


「バルメル将軍……」


 アルマートが謁見の場を去ったあと、近くにいた帝国最高宰相のルーガル・メルクムンドが歩みよってきた。


 メルクムンドは吸血種で、帝国最上位の執政官だ。

 皺の深い顔から年齢は読み取れないが、長寿で有名な吸血種だけに、ゆうに300歳は越えているはず。


「派遣部隊の司令官には、アルマール公国の南東部国境守備隊で隊長をしている、例のが最適かと」


 キュプロスとは、魔人族の異なる種同士の婚姻による混血児のことだ。

 純血を尊ぶ帝国においては、たとえ魔人族同士の混血であっても、純血種より劣った存在として蔑まれている。


 なのに話題の者は、並み以上の地位を与えられている。

 実力は相当なものだろう。


「ああ、話には聞いている。吸血種と鬼人種のキュプロスらしいが……階級は、たしか大尉だったか」


「将軍さえ御同意なされるなら、あとは私が手筈を整えますが」


「しかし……なぜ?」


 ここまで帝国最高宰相が肩入れするからには、なにか裏があると見るべきだ。


「この男、まだ若いのですが、きな臭い噂が絶えません。キュプロスでありながら、現地守備隊では吸血種と鬼人種双方の信頼を得ているとのこと。なおかつ、越境してくる諸領側の盗賊集団や野生の魔獣をまたたく間に平定してしまい、いまでは周辺の諸侯にまで信頼されはじめているようです」


「優秀なのだな。それが低い地位を強いられている……」


 そういった輩を放置しておくと、おうおうにして国のためにならない。

 それをメルクムンドは危惧しているらしい。


「このまま放っておくと、この男……名をルキウスと言いますが、ルキウスを中心として、純血種に対する反感が生まれる可能性がある……そう、帝国内務省の秘密調査部門から報告がありました」


「ふむ、出る杭は早めに潰す……か。しかし聞く限りでは、そのルキウスとやらは貴族ですらないようだが、心配しすぎではないか」


「生まれは子爵の子息となっておりますので、当時は家名を持っておりました。しかし、おおやけにキュプロスであることが露呈すると、実の親は、世間体を気にするあまり息子を公式に追放しました」


「妻の不貞か……なんともはや」


 その手の話は珍しくない。


「妻の不貞がなければ、キュプロスは生まれません。それが公国中枢にまで知れ渡れば、下手をすると貴族位の剥奪と家の断絶すらありえます。ですから追放は妥当な判断でしょう」


「その男、いまの地位はどうなっている?」


「現在は、家名や子爵家子息を名乗ることすらできません。扱いとしては、平民出身のアルマール公国兵学校卒業となっています。その後、上級兵から下級士官に昇進し、最初は国境守備隊副官、のちに功績に応じた昇進として守備隊長に抜擢されています」


「なるほどな。元子爵の息子ともなれば、陰から支援をおこなう貴族がいるかもしれん。とくに息子を追放した子爵家と利害関係のある貴族なら、追放された息子を利用して、子爵家を潰す算段くらいするだろう」


 バルメル自身、鬼人種の名門貴族の出身だ。

 いまは父親より上の公爵位を持っている。それだけに、貴族のあいだの軋轢なども熟知している。


「はい、その通りです。当の子爵家はかなり周辺貴族に疎まれているらしく、複数の貴族が裏で動いています。彼らの中には私に通じる者もいて、なんとか帝国最高宰相の助力が欲しいと、もう矢の催促でして……」


 帝国最高宰相ともなれば、いろいろな利害関係に巻き込まれる。

 それをうまく処理してこその首席宰相なのだから、今回の件も日常業務のひとつにすぎない。つまりメルクムンドはバルメルに、残務整理を頼みにきたようなものだ。


「わかった。俺としては誰が指揮官でも構わんのだから、その男を抜擢してみるのも面白そうだ。せっかく信頼を得た守備隊から切り放され、単独でソルリア辺境大陸に送られるキュプロスか……」


 バルメルは、そこから先の言葉を呑みこんだ。


――逆境に置かれてなお力量を発揮できれば本物だ。本物なら、のちに俺の指揮下に入れてやってもいい。キュプロスであることは欠点となるが、実力があれば俺は差別しない。

 国家の邪魔になる者を、場合によっては部下に採用してもいい。

 そう考えることは、下手をすれば反逆罪に問われる。

 そこを踏まえての沈黙だった。


「では、早速」


 用事は終わったとばかりに、メルクムンドはくるりと背をむけた。

 帝国内の地位では、バルメルとメルクムンドは同格となる。軍事と政治の最高位に優劣は付けられない。むろん皇帝は別格だが。


「つまらん話だと思っていたが、どうやら面白くなりそうだ」


 バルメルにしてみれば、自分が出征しない戦争になど興味はない。

 今回の件も、どうせ他人事と考えていた。

 だが、有能な若い指揮官、しかも不遇の出自の者が一枚噛むとなれば話は別だ。


 鬼面の赤ら顔のため、内心のわずかな高揚は外に出ない。

 それでも全身から漏れ出る魔導波からは、どことなく楽しげな波動が感じられた。

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