第3話 始まり
春が過ぎ桜がほとんど葉桜になり始めた。春休み明けで制服に袖を通すのが久しぶりに感じる。朝食でパンを食べてローファーを履き駅に向かって歩いた。いつも通りの電車に乗り学校に近い駅で降りて歩いて向かう。途中で涼香と健斗と合流して3人で喋りながら向かう。校門を抜けて下駄箱前に行くと人が集まっていてクラスごとの名簿が貼られているのを見ていた。人が少なくなっている所から僕達もどこのクラスになったのか見る。自分の名前を見つけたのは最初のクラス。1組だった。他の2人も同じ1組だった。3人でお〜と言い笑った。初めて3人同じクラスになった。一緒に下駄箱で上履きに履き替えて教室に向かう。僕はまた窓側の席だった。涼香は真ん中の列で健斗は廊下側の列だった。
始業式で校長先生や他の先生の話を聞き教室で自分達のクラスの担任をする先生の話を聞き解散となった。今日は健斗が部活が無く久しぶりに3人揃って帰った。道中にあるいつも寄るコンビニでお昼に食べるものを買い3人で喋りながら駅に向かった。改札を抜けて3番線ホームで電車を待つ。
「今から海斗の家に遊びに行かない?」
突然、涼香がそう言い出してきた。
「来てもいいけど面白いものなんて無いよ」
「いいじゃん。海斗のピアノ聴かせてよ」
彼女は目をキラキラさせながらお願いしてきた。別に断る理由なんて無い。
「わかった。じゃあこのまま家くる?」
彼女は大きく2回頷いた。
「健斗もくる?」
彼は少し考えながら首を横に振った。
「いや、俺はいいや。また今度お邪魔させてもらうよ」
「そうか。わかった。またいつでもいいから来てね」
「おう!」
話していると電車がホームに入ってきた。目の前で扉が開き降りてくる人を待ってから乗り込む。乗った電車はすぐに扉を閉めて発進した。空いてる席に座り窓の外の流れていく景色を眺めていた。前の席には健斗がスマホを見ていた。この席に座るといつも窓の外を見る。沢山の家やビル、車に人などが右から左に流れていく。この景色を見ると妙に落ち着いて好きだ。いつもはイヤホンをしてコンクールで弾く曲を聴いたり自分の好きなグループの曲を聴いたりして時間を過ごす。
降りる駅に着き電車から降りる。この駅は学校に近い駅よりは小さくホームは2つしかない。改札を抜けて階段を降り僕の家へ向かう。健斗とは駅で別れた。家に着き鍵を開けて玄関で靴を脱ぐ。後ろで彼女がお邪魔しますと言いながら同じく靴を脱いでいる。彼女をリビングにあるソファーに座らせてお茶を出してから荷物を部屋に置きに行った。リビングに戻り彼女をピアノがある部屋に案内する。彼女は部屋に入るとおーと声を上げた。部屋の真ん中にはグランドピアノが1台、その向かい側にはアップライトピアノが1台、その横に電子キーボードが1台ある防音仕様の部屋だ。椅子を出して彼女に好きなところに座ってと言う。椅子を持ち窓の前、グランドピアノの鍵盤がよく見える場所に置き彼女は座った。僕もピアノの前に座り蓋を開けて赤い布を外してたたんでピアノの上に置いた。シャツの袖をまくり鍵盤に指を置く。一曲目に自分の好きな曲、リチャード・クレイダーマンの「渚のアデリーヌ」を弾き始める。最初は優しくゆっくりと鍵盤を押す。弦が鍵盤を押すごとにハンマーに叩かれて震えて音が鳴る。その音が部屋中に反響していく。彼女は横で目を瞑りながら聴いていた。曲が終わると彼女は拍手をしてくれた。
「本当に凄いよね」
「そんな事ないよ。僕は小さい頃からやってきてるから」
「そうだよねー」
少しの沈黙があったがまたすぐに彼女が話し出した。
「私この曲好きかも」
「え、そうなの?」
「うん!今好きになった」
彼女は笑いながら言った。
「なんなら海斗がピアノで弾く曲全部好きかも」
「そんなに僕が弾くのがいいの?」
彼女は大きく頷いた。
「うん、いい!」
「なんか恥ずかしいな」
「なんも恥ずかしい事ないよ!」
「なんかいつもありがとね」
下を向きながらいつも言えないお礼を言った。彼女が今どんな顔をしているのかわからない。顔を上げると目の前で彼女はきょとんとしていた。
「え、急にどうしたの?」
「いや、いつも励ましてくれてたり応援してくれたりしてるのに今まであまりお礼をしてこれなかったから言ったの。これでもちゃんと感謝してるんだよ?」
「そうゆうことね。どういたしまして!」
ニコッて微笑みながら彼女は言った。
「あ、そうそう。前に言った約束覚えてる?」
「覚えてるよ。奢るんでしょ?」
「それなんだけど...」
彼女が少しモジモジしながら言った。
「奢るじゃなくて今度の夏休みの夜、動物園に行かない?」
「動物園?」
「うん、ナイトzooってのをやるみたい」
「へー、そんなイベントがあるのか」
「で、一緒に行かない?」
「いいよ、まぁ何かお願いごとを聞くみたいな約束だったしね」
「やったー!」
何回もその場でジャンプしながら喜んでいた。
「じゃあまた詳しい事は後で連絡するね」
「わかった」
その後いろんなことを話していたら夕方になってしまった。
「あ、もうこんな時間になっちゃった」
「本当だ」
「じゃあまた明日ね」
「また明日ね」
彼女を送り出してからお昼に食べたコンビニ弁当を捨てて少し掃除をした。その後に今年最後のコンクールに向けて練習を始めた。
1学期の中間、期末試験が終わり夏休みに入った。今年の夏は勝負の夏だ。僕はピアノのコンクールで健斗は甲子園出場を決める試合、そして上手くいけば甲子園で戦う夏だ。僕のコンクールは夏休みの終わりぐらいにあるのでそれまでひたすら練習するしかない。とにかく毎日コンクールで弾く曲を弾く。朝7時に起きて約1時間ぐらい楽譜を見ながら指の練習をしてからお昼まで実際にピアノを使って練習。お昼にご飯を食べながら休憩して午後の1時から3時まで練習。1時間休憩を挟み6時までまた練習の毎日を過ごしている。もちろん無理のないようにしている。練習の他に家族と息抜きに少し出掛けたりもした。
8月22日、今日は午後から涼香と動物園に行く日だ。練習を早く終え準備をした。集合は午後5時に動物園の正門に集合する予定だ。家を4時半ぐらいに出て自転車に乗って向かった。着いたのは予定時間よりも10分ぐらい早く着いた。入り口付近では人が結構集まって来ていた。開園は5時からで少しずつ並び始めている。彼女はまだ来ていない。駐輪場に止めた自転車の前でスマホをいじりながら彼女を待つ。彼女が来たのは予定時間の3分前だった。
「ごめん、もしかして待った?」
「いや、待ってないよ。なんなら自分もさっき来たところだよ」
嘘に聞こえるかもしれないけれどいちよ嘘ではない。
「そっかー、じゃあ行こうか」
2人で列に並び入り口にいるスタッフにチケットを見せて園内に入った。なっちゃっただと流石にまだ日が出ていて暑い。自販機でお茶を買って少し飲んでから園内を回った。ラクダやキリン、サルなどいろんな動物をゆっくりと回った。園内は思いのほか人が多かった。お互いこの夏休み何をしていただとか誰かとどこかに行ったとかいろんな思い出を話し合っていた。ゆっくりと園内を1周していろんなお店が屋台を出している通りを通りながら夜ご飯何を食べようか考えていた。そのまま博物館へ向かった。道中で大道芸を見てお互い500円を帽子の中に入れた。博物館では中の照明が全て消されていて懐中電灯を持って回る事が出来た。いつもとは違う雰囲気で面白かった。彼女も横で懐中電灯で遊んでいて楽しそうだった。博物館を出た時には夜の7時半になっていた。完全に日が落ちて園内はライトアップされていて綺麗だった。行きで見つけたお店でオムライスを買い先に買って席で待っている彼女のところへ行きこの後何をするのかを話しながら食べた。思いのほか話しが盛り上がり席を離れたのは8時半だった。閉園まであと1時間しかない。彼女が観覧車に乗りたいと言ったので遊園地へ向かう。観覧車はすごい並んでいた。自分たちが並んですぐに締め切られた。
「危なかったね。よかった」
彼女が笑いながら言う。
「観覧車に乗るの6年ぶりかも」
もう最後に乗った時の記憶が曖昧だ。
「え、そうなの?でも、私も久しぶりかも」
「やだなー、僕あまり高い所得意じゃないんだけど」
「大丈夫、私も得意な方じゃないから」
微笑みながら彼女は言った。
「次の方どうぞ」
スタッフに誘導されながらゴンドラに乗った。徐々に上に上がっていった。暗いせいかあまり高さを感じなかった。途中彼女がこっちの席に来てゴンドラを少し傾かせたりしていた。その度に僕が悲鳴を上げると彼女はゲラゲラ笑っていた。頂上付近で何枚か外の景色をスマホで撮った。撮り終わってすぐに彼女が肩を叩いてきた。
「見て、前のゴンドラに小さい子が乗ってるよ」
僕らの前のゴンドラには確かに小学生ぐらいの女の子4人が乗っていた。
「ねえ、前の子たちに手を振ってみてよ」
「絶対に嫌だ」
そんな恥ずかしい事はしたくない。
「いいじゃん。ほら」
彼女が無理やり僕の右腕を上げた。仕方なく手を広げた。彼女が僕の腕を左右に揺らす。女の子たちは僕らに気づきゲラゲラ笑っていた。
「だからやりたくなかったんだよ」
僕が少し怒り気味に言うと彼女がお腹を抱え笑いながらごめんと言った。
「いやー、本当にやるとは思ってなかった」
彼女は笑い過ぎたせいか涙目になっていた。
観覧車から降りた時には閉園30分前だった。沢山の人が出口に向かって歩いていた。僕たちもその中に入り出口へ向かう。動物園を出て自転車を引きながら途中まで一緒に帰った。
「今日はありがとう。凄く楽しかった!」
「こちらこそ誘ってくれてありがとう。とても楽しかったよ」
じゃあねーと言い別れた。
家に着き彼女から今日撮った写真が送られてきた。お礼のメールを返してお風呂に入り布団に入った。
コンクール前日に健斗からメールがきた。メールの内容は甲子園に出場したが初戦で負けてしまったと言う内容だった。ショックを受けているのかなと思ったがとても楽しそうに細かく説明していたので大丈夫っぽい。最後の行にはお前も頑張れよと書いてあった。頑張るねと返事した。今日の練習はいつも以上に力が入った。楽譜もしっかり暗譜できたしミスもほとんど無い。これなら本番も大丈夫だ。夜ご飯をしっかりと食べてお風呂にゆっくりと浸かり今日は早くに布団に入った。スマホを見ると涼香から電話が来ていた。折り返し電車をかける。
「もしもし?ごめん、さっきまでお風呂入ってた」
「いいよ。こっちこそ明日本番なのに電話しちゃってごめんよ」
「あー、電話ぐらいいいよ。それでどうしたの?」
「明日頑張ってねって言いたかっただけ」
「それぐらいメールですればよかったのに」
少し沈黙があった。
「もう一つ言いたいことがあったから」
「言いたいこと?」
「うん」
「なに?」
「それは明日コンクールが終わったら言うね」
「なんだ今じゃないんだ」
「うん、ごめん明日言う」
「わかった。じゃあまた明日ね」
「また明日。おやすみ」
「おやすみ」
電話を切りすぐに寝た。
コンクール当日。いつもより早く目が覚めた。カーテンを開けて窓を開ける。外から涼しい風が部屋に入ってきた。着替えてリビングに行くとすでに母親がキッチンで朝食の準備をしていた。
「あら、今日は早いのね」
「うん。なんか目が覚めちゃった」
コーヒーをコップに入れていつもご飯を食べる席に座った。テレビをつけると天気予報士が今日の天気について話していた。コーヒーを飲みながら見ていたら母親が目の前にサラダにスクランブルエッグ、ソーセージにパンを持ってきてくれた。
「いただきます」
サラダを先に食べてスクランブルエッグとパンを交互に食べる。食べ終わり残っていたコーヒーを飲みほした。
「ごちそうさま」
でを合わして言う。
「今日は見にくるの?」
「もちろん、今年で最後なんだから見に行くよ」
そう言われて少し恥ずかしくなった。家を出る時間まで最終確認をして荷物を持ち家を出た。会場までは電車で約45分で着く。改札を抜けて会場まで歩いて向かう。会場は去年と同じぐらい沢山の人がいた。会場に入りブレザーに着替える。自分の番が来るまで廊下でイメージトレーニングをしながら待つ。
「13番の伊藤海斗君、準備をお願いします」
「はい」
返事をして舞台袖へ向かう。舞台の真ん中では前の人が演奏をしていた。演奏していたのは有名なベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番ハ短調作品13の「悲愴」《ひそう》だ。前の人の演奏が終わりこちらに向かって歩いて来る。スタッフに言われて次に僕が舞台の真ん中へ向かう。ピアノの前で審査員とお客さんに一礼をする。椅子の高さを合わせて座る。袖を少し上げて鍵盤に指を置く。今回選んだ曲はショパンのバラード第1番ト短調作品23だ。全体的に優しく弾くように意識しながら弾く。とりあえず上手く弾き始める事が出来た。後はミスなく最後まで弾く事だ。なるべく緊張で硬くならないようにこの夏休みでの楽しかった思い出を思い出しながら弾いていく。そうすると自然と緊張がほぐれて曲調が優しくなる。表情も自然と柔らかくなっていくのがわかる。そのあともミスなく去年みたいに指がつる事もなく無事に最後まで弾く事が出来た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます