ナメクジお化け
「痛みなく溶かしてあげる」
まずい。非常にまずい。
目の前にいる太った女が、体表に分厚い体液を纏って、鬼の形相でこちらを見ている。視線に貫かれそうだ。そして奴はこの国で秘密裏に転移者を誘拐しているスクミトライブの一人。人員で言えばこちらが三人と一匹、だが戦闘能力で言えば確実に相手の方が強い。
精霊の森で、ジニアとカレンという魔法使い二人に加えて俺、トウカの四人が居たのにも関わらず、それら全てを飲み込むことで場を制圧された。それほどの力を持っている三人の一人、ということだ。
そして何よりまずいのが、今、食堂の出入り口に追い詰められているということ。食堂に入ってしまったが最後、袋のネズミだ。とてもじゃないが、こいつは出してはくれない。
どうにかして道に出る必要がある。だがその方法を思案していると、後ろからケモノが腕を出し、食堂から出たところの右側を指差して鶴の一声を発した。
「あっ!クッコさん!」
「ひぃぃぃ!ごめんなさい!ごめんなさい!盗み食いはしてないんです!こいつらが悪くってぇ!」
ものすごいスピードで、ナメクジお化けは何もない所に土下座。それに気づかれないよう、三人は彼女の後ろ側へテクテクと移動した。
何も聞こえないことに違和感を覚えたのか、ガバッと頭を上げる。そして「誰もいないじゃない!」と誰もいない食堂の出入り口に向かって怒号を浴びせる。また誰もいないと分かると瞬時に90度回転し、やっと俺達の方へと視線が向いた。
このちょろさ、上手くいけば転移者を誘拐している目的を聞き出せるかも知れない。
俺は脱出に加えて、このことが気になっていた。そしてある仮説があったのだ。転移者を誘拐する理由だ。俺の予想が正しければ、この国は恐ろしいことをしている。
その答え合わせも、目の前のナメクジお化けを打開しなければ始まらない。有力な話を聞けるはずなのだが、現状全く打開策が思い付かなかった。
「さっきからバカにして...許さない!もう消す!」
体液で構成された大きな腕を横に振った。その時水しぶきがびちゃびちゃと飛んできた。やばい、この液体は溶けるやつだ!
三人で後ろに飛び、何とかしぶきを回避した。が、さっきまでの足下はしぶきによって溶かされ穴ぼこになっている。これが人体にかかったらと思うと恐ろしい。
逃げるべきか、いやでも情報がなぁ、
「早く逃げるぞ!何をぼーっと突っ立ってる!」
「いや待て、こいつを攻略しなければダメだ」
「...何か考えがあるのか?」とケモノは落ち着きを取り戻して聞き返した。
「この国の目的を知らなければいけない、転移者を誘拐している目的だ、そして今、その答えが目の前にある!」
うねうねと動く巨大な軟体動物もどきを視界にとらえながらケモノに言い張った。
「ふむ...なるほどな、確かに気にはなる」ケモノはニヤリと笑いかけた。
「聞かないとわざわざ誘拐された甲斐がない...が、どうする...くっ!」
また体液を振り回して攻撃する。だが最初に殺すだのなんだの言っている割には慎重な動きだ。もしかしたら、派手に動くと周囲に人を呼んでしまい、盗み食いがバレることを恐れているのか?だとすればこちらも考える時間を作れそうだ。
「うぅ、臭い」
いち早く後方に逃げていたトウカが、何かの臭いを関知していた。
「奴の酸の臭いだろうな、我慢できるか?」
トウカに尋ねたのだが、鼻を摘まんで首を左右に振った。
「違います...これは先ほどの...梅干しです」
梅干し?そういや俺のポケットに...って
「梅干しないぞ?どーなってるんだ?落としたか?」
辺りを見渡すがそれらしきモノはない。
「意外とすばしっこいのね、なら、これでどう?」
ナメクジは身体中にあった体液を集約させると、薄くコーティングされる程度にまでその体積を減らした。そして右手の人差し指と中指を立てこちらに向ける。よく見ると指先に球体のように体液が集中していた。そしてここで嫌な予感が走った!
まずい!見るからに体液を発射する感じだ!しかもこれは、
「さっさと死になさい!」
「屈め!!」
叫んだ!トウカの耳がどうかという場合ではない。三人とも腰辺りで真っ二つにされる嫌な予感を見た!
ズシャン!と、廊下に体液が線を作った。ナメクジお化けが高圧の体液を発射し、それを真横に払ったのだ!しかも廊下の壁が溶けている。これもやはり、酸の液体だった。
「あなた、厄介ね。まさか私の払い撃ちを初見で避けるなんて、いいえ『初見』じゃないわね、見てもいなかった」
ヤバい、考えが甘かった、こんな遠距離に飛ばせるのかよ、国の目的とかを考えている暇なんてなかったんだ、逃げなければならない、しかし背中を見せて廊下の突き当たりまで、こいつが何もしないとは思えない、さっきの高圧の酸体液で貫かれるのが落ちだ。
どうする、隙がない。弱点が全く思い当たらない。
「やっぱり!こんな時に何してるの!?」
後ろでトウカが鼻をつまみながら、もう片方の手をポケットに突っ込んだ。取り出されたのは、真っ赤な玉だった。梅干し?
「いやぁ、これ結構うまいで?酸っぱいけどそれがまた癖になるというかねムシャムシャ」
コボ郎がトウカのポケットで梅干しを貪っていたのだ。だからあの時梅干しの臭いがしたらしい。
こんな時に呑気にムシャムシャしてんじゃねーよ!
目の前のナメクジお化けを見据えつつ、心が煮えたぎっていた。
と、ここでひょうきんな声がこな重い空気を切った。
「サツキ、悪いが僕は先に逃げようと思うんだが、どうだろう?」
「いや逃げようにもあの水圧が...って『先に』って何!?」
急に聞き捨てならない単語を耳にした。「先に」?
「いやぁ、僕単独ならここからささっと逃げることも容易いということだよ、それに戦っても撃ち抜かれるだけだ。分かるだろ?」
ケロッとケモノが笑顔だった。そこで牢屋で抱いた違和感の正体が何かはっきりした。こいつは人間を劣等種だと言っていた...最初から俺達を信頼していなかった、何故俺はそれに気づけなかった...!?
そしてこの緊急時、俺の意識の矛先がケモノに向いた。
「そうかお前、自分が牢屋を出られないから、そこまで俺達を利用したんだな」
「君の『国の目的を知る』という気持ちは同じだよ、だがね、ここでこいつを打倒するのはとても難しいと思えないか?」
「逃がすわけないでしょ!」
バシュン!と酸の水鉄砲がケモノに向けて放たれる。だがそれを警戒していたのだろう。素早く弾をかわし、トウカを見据えて不敵な笑みを浮かべた。
「自然動物は本来『生きること』が目的だ。生きるためなら何でも利用するし何でも使う。その点トウカの怪力や耳は役に立った。感謝するよ」
鼻を摘まむトウカは、狐につままれた様な表情でケモノの笑顔を見ているしかなかった。
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