第6話 蝉の声
夜中に洗面所で吐いた。全身の悪寒にたまらず胸をえぐられる心地ですごした。明けの明星が見え始めるころ「ママ」は顔色ひとつ変えることなく稼ぐ時間だと言って私を助手席に乗るように指示した。
「うるさい蝉を、閑けさって形容するひねくれた内容の俳句があるけれどなぜあれが称賛され続けるか分かる?」
「みんな蝉がうるさいのを知ってるから面白いんでしょ」
「なるほど。中卒だから分からんかった」
街路樹の油蝉を眺めつつ信号が変わると同時に雄蝉の声は絞られるように蚊細くなる。
車内は相変わらず心臓の中の血でさえシャーベットになりかねないような凍てつきであった。
「どこに連れていくつもりですか」
「金を返さない女と裏切った男のところ」
「ママ」は紙挟みを取り出して私に寄越した。書類をいくつか確認していると右折した。不意であったため宿酔の腹の無防備なところに荒い刺激が走った。
「今日はそいつらだけだから」
どぶ臭い川の近くにたつアパートであった。折悪しく生ゴミの回収業者が来るまでは耐え難い腐敗臭に苛まれることだろう。
鮎でもパンでもないなにかが私の口からボタボタ溢れているのを「ママ」は見かねて優しく背中を擦った。
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