第40話 だって歌が好きだから。
私は歌を聞くのが好きだった。たとえ嫌なことがあったとしても歌を聞いているときは忘れられるし、その歌に宿った世界に浸るのがたまらなく楽しかった。
お母さんは一人で私を育ててくれた。だからなるべく迷惑をかけないようにと、自分に言い聞かせて生きてきた。それもあって趣味もそんなにお金がかからないようなものになったのだろう。だって、今の時代誰でも持っているようなスマホ一台で世界中の音楽に触れることができるのだ。
それに、歌なら楽器を使う音楽とは違って自分の身一つで音を奏でることができる。もし私が歌を歌いたくなっても大丈夫だと思っていた。そんなことはないのだろうけれど。
こんな氷のように冷え切った理由でできた趣味。元から冷えているから、他のものに未練がないわけがないのだ。ある休日、ユリお姉ちゃんと出かけていた時に、ふと何かに惹かれて楽器屋さんに立ち寄った。基本的にギターが置いておいてあるような、自分にとってとても新鮮な場所だった。そこで私はこんな楽器たちを演奏してみたいと、この子たちと自分の世界を作ってみたいと、そう思ってしまった。自分の感情に驚く。
ー思っちゃだめだ。ー
そう感情を抑える。考えてもみろ、自分は中学生になったのだ。お金だってかかる。そんな私が楽器なんて趣味を持ってしまったら…
唇を噛んでチラッと値札をみる。鳩が豆鉄砲喰らうというが、その鳩の気持ちはこんな感じだろうか、思ったとうりだ。どれをみても中学生の私では到底手に入れることのできないような金額が書かれている。でも大人なら…
今日の私はおかしい。なぜまたこんなことを考えてしまうのか。
ー思っちゃだめだ。ー
私は深呼吸をして、ボーっと天井を見て立ち止まる。
「へえ。意外と色々あるんだな、初めてみたけど。ココロはこういうのに興味があるのか?」
お姉ちゃんに言われた質問を無視して、店を出ようとする。
その時だ、彼を見つけたのは。
目を輝かせて、けど諦めたような表情でギターを見ていた彼。その時、自分と似ているような感情を彼が抱いているのかもしれないという淡い期待で彼を見てしまった。
この感情は一目惚れというやつなのか。
そんなバカなことを思って自分を鼻で笑う。どうしたの?そういいなが追いかけてきたお姉ちゃんに、適当なギターを指差しながら言葉を返す。
「こういう色のがかっこいいと思うんだけどさ」
ありふれた光景のはずなのに、私はなぜか彼のようでいたいと思った。
それからだ、私も音楽を聴く側だけでなくて奏る側になりたいと思ったのは。絶対ないと思っていたのに、意味のわからないきっかけだけで簡単に変わってしまった。だけど、楽器を使うのはダメだ。これは変えられない。
だから私は歌を練習した。何度もいろんな曲の動画を見て、無料で入れられる音楽のアプリを使ったりもして。
捨てきれない未練で通っていた楽器屋に、ネットショッピングで見たことのあるギターを背負って店員さんと話している彼を見て、やる気をもらって。
神道未来と呼ばれいろんな店員と話していた彼を楽器屋さんで見なくなっても、自分自身が楽器屋さんに行かなくなってしまってからも。私は歌い続けた。
いつか、もしも彼のような人に会えたとしたら一緒に演奏ができるように。
1ヶ月に一回くらい、これくらいなら。と、自分に妥協点をつけて通っていたカラオケで初めて100点を出した日。私はお母さんから衝撃の告白を受けた。
お母さんが人魚姫であるのだと、おばあちゃんと同じ病気にかかっていたのだと。そして、母子感染の確率は80パーセント以上であると。
なぜだか涙は出なかった。だけど、どうしようもない喪失感が私を羊をおう狼のように追い回して。
どうしようもなくて。
たった一言でパソコンで文字に起こして。どうしても書きたかった思いも書いて。USBメモリにコピーして、それを握りしめる。睨みつける。何かの呪いを封じ込めるように。そうしたものを作りたくて。
お母さんと同じ高校に入れて、生活が落ち着いてきたからかと満を辞して軽音部を復活させたい。そう打ち明けようとしていた矢先にこれだ。
現実は、こんなにも非情で残酷なのか。
一週間くらい学校を休んで、焦燥感に駆られ、そろそろ行かなきゃまずい。そう思って、でもなかなか足が動かなくて。初めて午後から出席という遅刻をして。ほぼ放心状態で授業をやり過ごし、終わりの挨拶の直後から無意識に廊下を歩いた。私は友達付き合いが悪いから、あんまり友達がいない。だから行動が自由なのだ。そんな空虚な自慢を胸で誇らしげに叫んで、校舎の端の端まで歩いてきた。そこで、使われていない教室を見つけた。
気合の入った野球部の声と、合奏部が合わせ練習をしているのか、壮大なメロディが聞こえてくる中。その音楽に乗せて、興味本位で作ってみた歌を歌ってみた。
歌いながら、夕日の差し込むこの教室で。あの日に感じた喪失感がなぜか蘇ってきて、お守りのように持っていたUSBメモリを投げ捨てる。
これを持ってると死にたくなる。もう、いいかな。
窓の方を向いて、空を眺める。
刹那、ドアが開かれた。私は目を見開く。そして、運命に出会った。
私は知ってるよ、ミライくん。君はギターは適当に始めたって言ったけど、あの日、あの楽器屋さんで。輝くギターを見て、これで自分の世界を作りたい。
そう思ったんでしょう?
私は人魚姫だ。お母さんが死んでしまって、私も同じ病気を発症して。けど、まだ終わってない。だから、最後まで私は自分でいたいんだ。あの日惹かれた彼の中の私が、いつまでも今の私でいられるように。彼の中で、ミライくんの中で、私がわたしとして生きていられるように。
だからあのUSBメモリを渡したんだ。
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