第38話 それでも僕は

「結構うまく隠せてるつもりだったんだけどなー」

もってるペンで空気を叩きながら、ココロのどこをみているのかわからない目が僕に向けられる。

「どういうこと…?」

いつもどうり誤魔化されるだけだと、からかわれて終わりだと。心のどこかで勝手に思っていた僕に、いきなり向けられた予想だにしない言葉。その言葉にバカみたいな言葉しか返せない。間が空いて、ココロが答える。

「んーなんだろうね」

歌詞ノートがパタンと閉じられて、ペンがその上に置かれる。僕は何も言わずにココロの言葉をまつ。何かを諦めてしまったような目が、そっと笑う唇が。僕に全てを伝えようと動き出す。そして

「私、しばらくしたらさ。歌が歌えなくなっちゃうかもしれないんだ」

そうココロは僕に告げた。

どういうことだ…しっかり内容を聞いたはずなのに理解できない。

違うな。言葉は理解できてる。内容がしっかり理解できない。

ココロが歌えない…?なんで…?どうして…?

別に難しいことなどない、声を出して歌えばいいのに。

わかってる。わかってるけど、わかりたくない。だって、歌えなくなるなんて…そんなの、理由なんて一つしかない。他にない。思いつかない。

完全に何も言えなくなってしまっている僕に、聞きたくなかった言葉が。絶対にわかりたくなかった事実が。無情にも叩きつけられる。

「私にも感染してたみたいなの。進行性声帯侵食症候群が」

心臓をついたその言葉。僕は必死に何かを探す。思考を巡らせて、言い訳を探す。

だって、あれはほとんど感染しなくて。母子感染の確率だって…ないわけじゃないけど、本当に稀にしかならないはず。だけど…常に患者は居続ける。

そう、自分が言ったことじゃないか。明確な治療法は確立されてなくて、なってしまったらゲームセット。致死率ほぼ100%の死の病。

どうしよう。なんて声を掛ければいいんだろう。だって、私は死ぬんだって、もう歌えなくなってしまうんだって。そう教えてくれたようなものだから。

頭が真っ白になるって言うのは、こういう状態のことを言うんだろうか。

ココロは悲しい目をして、表情の変化一切なく笑う。そして口を開く。

「そんな顔しないでよ、もうしょうがない事だからさ。」

「…うん」

一応言葉は返したけれど。頷いたけれど。そんなこと言われたって、しょうがないことだって言われたって。頭でわかっていても、そんなこと。そんなこと簡単に理解して、はいそうですか。と言えるわけがない。諦められるわけがない。

やっとうまく行き始めたのに。やっとギターも上手くなってきたのに。これからだって言うのに。

もう止まれないなと思っていたのに。もう従うしかないと諦めていたのに。もう好きになってしまったのに。

何かを探す僕の心が、思考の波に溺れてしまう。溺死寸前の僕の心に言葉が流れ込んでくる。

「でも、私さ。そうなっても最後まで今の私でいたいんだ」

無理に笑うココロを。無理に明るくした声を。僕は裏切ることなどできずに、笑う。ただ笑って、微笑んで言葉を待つ。

「だからさ、ミライ君。もうちょっとわがままに付き合ってよ」

わかったよ。

そう優しく、なるべくいつもどうりの口調を装って発する言葉。その言葉は、自分でもわかるくらいに震えてしまっていた。

ココロは歌えなくなる。いなくなってしまう。消えてしまう。

わかってしまった。理解してしまった。それでも僕は、ココロに今を生きてほしいと。今のままのココロでいてほしいと。いてもらうんだと、覚悟を決める。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る