唯の人間だったボクは、魔王となった君の為、勇者になる

千 遊雲

第1話


ハロー、初めまして。

ボクの名前はコウキ。

勇者コウキって言った方が伝わるかな?

魔王を倒した世界の救世主。

…なんて大袈裟に言われているけれど、ボクはただの人間だよ。


少しだけ不思議な力が使えて、少しだけ強かっただけ。

友達だって居て、恋もして、悩んだり、笑ったりして。

…魔王が生まれたその日まで、ボクはただの人間のコウキだった。









「やぁ、コウキ。久しぶりだね。今回はどこに行っていたんだ?」


自身の名前を呼ぶ声を聞いて、コウキは振り返って辺りを見渡した。

賑わった市場の一角、ぽっかりと周囲の人混みが避ける場所に彼は居た。


「やぁ、ハルジオン。今回は東の方に少し」


市場で買ったと思われる黄色の果実を手に、コウキに向かって笑いかける黒髪の青年の名前はハルジオン。

まだ勇者なんて大仰な名称を付けられる前のコウキは、時々彼と一緒に冒険者ギルドの依頼をこなしたりもしていた。

その実力はコウキも認めるもので、もしも真正面から戦ったとしても、勝てるかどうか、コウキには自信が無かった。


「東?何かあった?」

「ハーブウルフの繁殖。数を減らさないと、毎年大変なことになる」

「あぁ、もうそんな時期か」

「薬草が大量に手に入ったけど、少し要るかい?」

「いや、大丈夫だよ。あの依頼はそんなに報酬も多くないし、手持ちの数が足りているなら売った方が良いだろう」


実力も十分にあるのに、他人を思いやることも忘れず。一緒に戦えばチームメンバーへのフォローは完璧なのだから、同じ冒険者としてコウキはハルジオンを尊敬していた。

そんなハルジオンの周囲は、市場が混む時間だと言うのに、近寄る人は全く居ない。寧ろハルジオンを避けるために、別の場所が大混雑になる程で…。


「相変わらず、と言った様子だな」

「ハハ…やっぱり害は無いからと言っても、怖いみたいだね」


周囲を一瞥して言ったコウキの言葉に、ハルジオンは苦笑した。

ハルジオンも周囲の人に避けられている事は分かっているようで、「迷惑を掛けてしまうから、早く行かないと」と言いながら、市場の外に続く道に歩いていく。


避けられている原因は…ハルジオンの姿だろう。

銀に近い灰色の毛並みをした狼の魔物、燃えるような赤い羽根を持つ鳥の魔物、時折蹄からバチリと電流が漏れ出る黒い馬の魔物が、ハルジオンを守るように付き従っている。

更にハルジオン自身も、淡い桃色の毛並みが美しい兎の魔物を抱え、首には小さな海蛇の魔物を巻き付けているのだから、彼の事を知らない人間が見れば、人間に害をなす魔物が一塊になっている様子に、恐怖を抱くことは間違いない。


「<魔物使い>も大変だな」


コウキはニヤニヤと笑いながら、少しだけ大きな声でハルジオンに話しかける。

実際に魔物たちはハルジオンの命令をよく聞いて、人間を襲う事はないのだから、警戒する方が付かれるだけだ。それを知っているコウキは、ハルジオンの魔物を恐れることはない。

…初めてハルジオンに会った時は、流石に魔物に人間が食われていると思って焦ったものの、よくよく知れば彼の魔物たちは良い奴ばかりだった。

「なっ!」と、コウキは、近くを歩いていた黒い馬の背中を撫でる。黒い馬は、気持ち良さそうに目を細めてコウキの手を受け入れて、それだけだった。


魔物とじゃれるコウキを、ハルジオンは優しい眼差しで見つめていた。

自分(ハルジオン)は悪い奴ではないのだと、周囲に伝える様なコウキの姿に胸が暖かくなった。


「ありがとう」

「何のことだか」

「…ふふ、俺が勝手に感謝しているだけだ」


そんな事を話しながら歩いていると、周囲の人から「勇者様よ…」「あれが?」なんて話し声が聞こえてきた。

丁度聞こえてしまったその言葉に、コウキはうげぇ…と顔を顰める。


「…<結界使い>様も大変なようで」


意趣返しとして呟いたハルジオンの言葉に、コウキは俯きながら「勇者なんて柄じゃない」と返した。

助けを乞われるのは、コウキにとって苦にはならないが、その後に「勇者様」と呼ばれるのは苦手だった。


コウキが光魔法を得意だったのも、そう言われる一因だったのだろう。

今の国王は光魔法が得意で、光魔法こそが一番尊いものであると唱えているらしい。

…光魔法が得意と言っても、小さな光を生み出して、小さな切り傷を治す回復魔法が使える程度だと言うのだから笑えない。


「…非常に不本意だが、最近、ボクが勇者だと言われる事が増えてきた。ハルジオンは勇者なんて呼んでくれるなよ」

「どうしてだ?」

「君はボクの友達だろう。ハルジオンにまで勇者なんて畏まった風に呼び始めたら、ボクはいつか、自分の名前を忘れてしまいそうだ」


心底嫌で堪らないという表情を浮かべるコウキの様子に、ハルジオンは耐え切れずに笑った。

皆が恐ろしいと距離を取るハルジオンの笑顔を見ることが出来るのは、ハルジオンの仲間の魔物を除いたら極々僅かな人だけで。


「なら勇者と呼ばないよ。ずっとコウキと呼ぼう」


腰を折り曲げてクツクツと笑いながら、ハルジオンはコウキを見上げた。

背の高いハルジオンの上目遣いに、コウキは一瞬ドキリとして、赤く染まった頬を隠すようにそっぽを向いた。


…実はこのコウキ、故郷の島国からやって来た他国の人間で。名前を正確に表記すると、光稀(コウキ)という字を持つ、れっきとした女であった。


短い髪に、男のような口調。コウキだけが使える特殊な能力、<結界>が強すぎることもあり、コウキを女ではないかと考える人も少ない。

女の冒険者は厄介な面倒ごとに巻き込まれる事も多く、コウキ自身も、自分が女であるという事を隠していたので、バレることは滅多になかった。


「あ、ああ。そうしてくれ」


軽口のように返しながら、コウキは人間に危害を加えない魔物たちと一緒に、ハルジオンの一番近くを歩いていく。

それがコウキにとって、ささやかな幸せだった。










その日常が、少しだけ変わったのは…コウキが冒険者の仕事で、しばらくハルジオンに会っていなかった後の事だった。


「やぁ、コウキ。しばらく見なかったけど…って、怪我をしているじゃないか!?」


その時の依頼は厄介で、少しだけ怪我をしていたコウキだったが、大した痛みもなく。そのままにして帰ってきた所を、ハルジオンに見つかった。

「血が出ている」と眉を顰めながら、コウキの頬についた傷にハルジオンは手を伸ばした。傷を見るハルジオンの顔が近いことや、頬に触れる指先にコウキはピシリと固まって…。


「シロン、コウキの傷を治してくれ」


…次の瞬間、ハルジオンの背後から出てきた、可愛らしい兎の獣人の姿に目を見開いた。

垂れている兎の耳は淡い桃色。目はもう少しだけ鯉赤色で。長い白色の髪は、コウキとは比べ物にならない位に綺麗だった。

コウキも客観的に見れば美しい顔立ちをしているのだが、コウキが「端整な顔立ち」という表現が合うとすれば、コウキの目の前に立つ獣人は「愛らしい」という表現がぴったりな外見をしていた。


ハルジオンの背中に体を預けて、その肩からこちらを覗き込む女性の姿に、コウキは「え…」と呟くことしか出来ない程に動揺した。

だって、ハルジオンと仲の良い人なんて数える程で。コウキの知る限り、体を密着する程親しい異性の知り合いなんて、ハルジオンには存在していなかった。

ハルジオンに一番近い異性が、コウキだった筈で…。


「…あぁ、コウキにはまだ会っていなかったか。兎の魔物が居ただろ。獣人に進化したんだ」


コウキの動揺に気が付いたハルジオンは、苦笑しながら説明をしてくれた。

言われて見れば、ハルジオンの腕の中には、いつもの桃色の兎の姿は無い。

シロン、と呼ばれていた彼女は、不思議そうな顔で「シロンだよ?」とコウキに向かって首を傾げた。


「もしかして…シロンの事分からないの!?シロンはコウキの事、直ぐに分かったのに!!」


可愛らしい顔のシロンは、落っこちてしまうんじゃないかと言う位に目を見開いて、直ぐに兎だと気付けなかったコウキを前にしょんぼりとする。

幼い子供のような仕草で、しかしそんな動きですら可愛らしくて。

咄嗟に「す、すまない」と言ってしまったコウキだが、まさか片手で抱えられる程の兎が獣人になっているだなんて、普通に分かる訳がない。


「良いよ!許してあげる!コウキ優しいから、シロン好きだもん!花魔法<|花の癒し(フラワーヒーリング)>」


しょんぼりとしていたシロンは、コウキの言葉にケロッと調子を変えて、コウキの頬に手を伸ばす。

白くて小さくて、すべすべと触り心地の良いシロンの指先が、コウキの頬に触れた。ピンク色の花弁がコウキの視界の中でチラチラと揺れる。

一瞬だけ甘い花の香りに包まれて、それが去った後、コウキの頬にあった痛みは消えていた。


「はい、終わり!」


ニコリと笑みを向けるシロンの勢いに押されながら、コウキは「ありがとう」と礼を告げる。

可愛らしいシロンの顔が近くて…コウキが呆気に取られている間に、ハルジオンがシロンの腕を引いて、コウキの元から離した。

「近い。もう小さい魔物じゃないんだから、距離感を考えような」なんて言うハルジオンが、少しむっつりとしている事に、コウキは直ぐに気が付いた。

ハルジオンの小さな表情の変化にも気付く位、コウキはハルジオンの事をよく見ていたから。


「シロン役に立った?立った?」

「うん、ありがとうな」

「やったぁああ!!」


楽しそうにやり取りをするハルジオンとシロンの姿に。

コウキの元からシロンを引き離したハルジオンの行動に。

コウキと話していたシロンに対して少し不満げだったハルジオンの表情に。


…コウキはどんなにどんなにハルジオンの側に居たとしても、結局ハルジオンから異性として見られては居なかったのだと突きつけられた。

近くに…と言っても、ハルジオンの仲間として側に居るシロンよりも短く、性別を隠しているのはコウキ自身の選択であったのだが…。

それでもコウキは突きつけられた現実に、酷く胸が痛んだ。


「良かったら一緒にお昼でもどうかな?」

「一緒にご飯!シロンお肉食べたい!」


笑みを浮かべて昼食を誘う二人が並び立つ姿は、酷くしっくりと見えて…


「あ、いや…実はこの後、予定があったんだ…」


…居た堪れなくなったコウキは、嘘をついてハルジオンから離れてしまった。

本当は予定なんて無かったのだけれど、これ以上仲の良い二人の様子を見て、いかに自分がハルジオンにとって「仲の良い友人」でしかなかったのだと、見せつけられるのが辛かったから。


「そうか…」

「ええー!!」

「こら、シロン。コウキにも予定があるんだから」

「ハハ、悪いな」

「いや、良いんだ。また今度、暇そうな時に声を掛けるよ」


ハルジオンへ別れの挨拶を告げるのもそこそこに、コウキは二人に背を向けた。


それからしばらくは町の中に居たコウキだったが、ハルジオンとシロンの仲睦まじい姿を見るのが辛くて、冒険者ギルドの仕事を沢山抱えて戻ってこない日が増えていった。

帰る日の少なくなった家を売り払い、町に戻ってしまえばどうしてもハルジオンの姿を探してしまうから、別の町に宿を借りて。


…そんな生活をする内に、コウキを「勇者」と呼ぶ声は増えていく。

しかしそれも、コウキにとってはどうでも良かった。


ハルジオンに抱いていた淡い恋心はきっと、時間が解決してくれる。

そうしたら再び二人の元に戻って、今度は友人としてしっかり笑ってみせるのだ。

「おめでとう」と。「素敵な人を好きになったじゃないか」と。ハルジオンに告げて見せる。そう決めて、コウキはハルジオンの前から姿を消した。






………コウキが姿を消した町で、悲劇が起きているなんて微塵も思わず。






それを最初に始めたのは、誰だか分からないらしい。

誰かが最初に、ハルジオンの事を「魔王」と呼んだのが、きっかけだとか。


ハルジオンが「魔王」だなんて、何を馬鹿な事を言う奴がいるのだと。きっとコウキが側に居れば、その噂を笑い飛ばしてハルジオンを励まして、噂の出所を探しただろう。

…だが、コウキはそんな噂を全く知らずに、ハルジオンの側を離れていた。

ハルジオンは「魔王」と呼ばれても、困ったように笑うだけだったらしい。…ハルジオンらしい反応だとコウキは思った。

コウキの友達であり、想い人でもあったハルジオンは、不名誉な呼び方をされても怒れないくらいに、本当に優しい人だったから。


『魔王がまた魔物を連れて歩いているよ』

『あの人、魔王なんて呼ばれているの?』

『ヒ!ッ魔王が来た!こ、殺される!』


最初は戯れのようだった「魔王」という名前は、瞬く間にハルジオンへの恐怖を煽る呼称へと変わったらしい。

ハルジオンの魔物が、そんな人々の様子に怒った時も、ハルジオンは宥めるばかりで怒らなくて。


「………君達は、何をしているんだ?」


そんなハルジオンの元から、シロンが連れ去られた。

普通の人よりも純粋だったシロンは、ハルジオンが目を離した隙に誘拐されてしまって。

ハルジオンと他の魔物たちがシロンを見つけたのは、町の中にある広場の中だった。

騒めく人混みをかき分けて、辿り着いた先でシロンは額から血を流して倒れていた。


「シロン!?」


シロンの血が、広場の地面を赤く染めていた。

必死で呼びかけるハルジオンの声に、シロンが応じることは無かった。

獣人になったとは言え、シロンはハルジオンの配下の魔物である。その呼びかけに応じないなど、あり得る筈がない。

………シロンの魂が、既にそこから消えてしまっていない限り。


「…頼む、シロン。返事をしてくれ」


シロンの亡骸に縋ったハルジオンに、シロンを殺した男は、よりにもよって「そいつが悪いんだ!」と告げた。


「そいつが…回復魔法が得意だって言うから、使ってやろうと思って連れてきたのに言うことをきかないから…」

「…だから、それだけでシロンを殺したのか?」

「シロン?ああ、その魔物の事か。魔物に名前を付けるなんて、やっぱり魔王は頭がおかしいんだな」


ケラケラと、シロンを殺した男は笑った。

男とハルジオンを見つめる人々は、何でシロンが傷つけられる前に止めなかったのか。

何で倒れたシロンを、誰も助けようとしなかったのか。


「魔物の癖に、人間みたいになるなんて、気持ち悪いんだよ!」


シロンの亡骸を男が蹴った時、ハルジオンの心が消えてなくなってしまったような気がした。


「魔王…魔王か。そうだな、人間であるより、魔王になってしまった方がマシだな」


シロンを抱えたまま呟いたハルジオンの言葉に、その場の空気が凍った気がした。

「魔王だって?なれるもんならなってみろよ!」と、叫んだ男の首が落ちた。「あれ」と言うかのように、口を半開きにしたまま。


銀狼の口元は、男の血によって赤く染まっていた。

「良い子だ」と狼の頭を撫でたハルジオンの悲しみを、ハルジオンの仲間の魔物たちは胸が痛くなる程に伝わっていた。仲間の魔物が殺された怒りもあって、男を殺したいというハルジオンの願いを、止めようとする魔物は居なかった。




男を殺したハルジオンは、人間に対する恨みを抱えたままに町を出た。

………きっと、その時がハルジオンを止める事のできる、最後のチャンスだったのだろう。




しかし人々はハルジオンの魔物が、人間を殺したと恐怖して。

シロンを殺した人間も悪いが、ハルジオンも悪いのだと、「魔王」と呼ぶ声を大きくした。

「魔王ハルジオンと、その魔物の討伐を」という依頼が、冒険者ギルドで出ている事をしったハルジオンは、そこで完全に人間に対する情を無くした。




もしもその場にコウキが居れば。

「魔物だから悪いと言うな」と、ハルジオンを責める人々を止めることが出来ただろう。


もしもシロンが殺される瞬間、止める誰かが居れば。

シロンは今でもハルジオンの隣で笑っていたかもしれない。


「もしも」が叶っていれば、ハルジオンは魔王にならずに済んだのかもしれなかったけれど…その「もしも」は叶わなかった。









結局、コウキがそんな事件があったと知ったのは、ハルジオンの魔物と対峙をした、その後だった。


黒いペガサスが、人間の町を襲っていた。

雷を纏うその姿は、ハルジオンの隣に居た黒い馬とよく似ていた。


「我が望みを顕在する力、皆の盾となれ……<結界>!!」


黒いペガサスの放つ落雷を<結界>で防いだコウキを前に、ペガサスの黒い瞳が揺れた気がした。


「勇者様!」

「勇者様が来てくれた!」

「お願いです!魔物を倒してください!」

「悪しき魔物を!」

「どうか、勇者様!!」


コウキに助けを求める人々を背後に、コウキは知性の宿る、ペガサスの黒い瞳から視線を反らすことが出来なかった。

コウキの撫でる手を静かに受け入れて、時にその背中に乗せてくれたハルジオンの馬もまた、同じように賢そうな瞳をしていた。


「……君は、あの子か?」


触れた毛並みの柔らかさを思い出しながら、コウキはそう問いかける。

ペガサスからの返事は無かったけれど…僅かにコウキから視線を反らした反応だけで、コウキの疑惑は確信へと変わった。


「……何をしている!何故町を襲う!ハルジオンに何かあったのか!?」


問いかけたコウキに……答えを与えたのはペガサスではなく、コウキの背後に居た人々だった。


「ハルジオン?魔王の?」

「やっぱり、あのペガサスは魔王の手下だったんだ!」

「勇者様!魔王を倒して!」


友人の事を『魔王』と呼ぶ人々に、コウキは信じられない気持ちでいっぱいだった。

振り返って。しかし、希望に満ちた瞳でコウキを見つめる人々は、嘘をついているようには見えなくて。


ペガサスから視線を反らしたその一瞬で、その体は空へと翼を広げて飛び立った。

「待て!」と叫んで、コウキは<結界>を足場に、ペガサスを追って空を駆けた。

黒い巨体は、思っていたよりも素早くて。なんとか追いついた時には、最初の町から遠く離れた空の上に居た。


コウキの短い黒髪が、風に靡いてはためいた。

ペガサスの黒い翼と、黒い鬣も、同じように風に流れて。


『……我が主は人間に絶望をした』


ペガサスは、コウキも聞いたことのなかった声で、そう呟いた。

ペガサスへと進化をしたから話せるようになったのか。あるいは、コウキには話さなかっただけで、前から話すことが出来ていたのか。

今のコウキには、それを判断することは出来なかった。


『人間が憎い。友を殺した人間が、憎くて憎くて仕方ないのだ。我が主の友よ。次に会った時、我は人間のお前を殺す』


人間への恨みで溢れた瞳を向けられて。その癖、コウキに雷を放つことはしなくて。

絶望と理性の狭間に居るようなペガサスは、苦しそうに見える顔をして、コウキへ背を向けて去っていった。


……その時、ペガサスは無防備な姿を晒していた。

コウキに殺意があれば<結界>によって、一瞬でペガサスを捕えることが出来た。

もしかすると、ペガサスはコウキに止めて欲しかったのかもしれない。

しかし、コウキには<結界>を使うことが出来なくて。


「何で、どうしてだ。ボクは…ハルジオンだけでなく、君達の事も友達だと思っていた。友達の事を……殺せる筈がないだろう……!」


羽ばたくペガサスの事を、コウキは見送ってしまった。

それからだった。各地で魔王ハルジオンの魔物による、襲撃の被害が相次いで報告され始めたのは。









魔王ハルジオンの名前は、どの国でも聞くようになっていた。

ハルジオンの拠点とする地は、いつしか魔国と呼ばれるようになっていき。


「やぁ、ハルジオン。久しぶりだな」


……その地に来客があったのは初めての事だった。


「ボクの名前を忘れてしまったかい?」


そう言ってコウキは長い間、会う事の出来なかった友達に向かって笑いかけた。


ここまで来るのに、随分時間が掛かってしまった。

魔物の襲撃を止めて、不安に陥る人々を落ち着かせて、コウキを……否、人間を殺そうとする魔物の襲撃を退けて、ようやく辿り着いたその場所に……会いたい、けれど居て欲しくないと思っていた彼が居た。

誰よりも優しい、コウキの友達が。


ハルジオンは驚いたように目を見開いて、小さな声で「コウキ?」と呟いた。

「勇者」という呼び方ではない、自身の名前に、コウキは少しだけ嬉しくなった。……そんな場合ではないと言うのに。


「君の噂を聞いたよ。シロンが殺されたというのは本当か?」


コウキは敢えて、何もなかったように話しかけた。

町で偶然会った時のように。「ご飯でも行かないか」とハルジオンが誘ってくれた時の続きのように。


「魔物たちが、たくさんの町を襲っている。君の仲間だろう。止められないのか?」


柔らかい口調で問いかけたコウキに、ハルジオンは眉間に皺を作った。

苦しそうな、悲しそうな表情だった。


「…………こんな事、シロンが望んでいると思うのか?」


コウキは、獣人となったシロンとあまり交流を持たなかった。ハルジオンと仲の良いその姿に、胸が苦しくなってしまったから。

しかし、まだ兎の姿をしていた時。コウキはシロンと一緒に、ハルジオンの隣で笑い合った。

ふわふわとした毛並みを触って、魔物なのに案外どんくさかったシロンを<結界>で守ってやって、代わりにコウキの怪我をシロンが治した。

交わした言葉は少なかったけれど、シロンがとても優しい魔物だという事を、コウキは知っていた。


「……喜ぶ筈がない。分かっている。分かっているんだ!!」


「なら」と言いかけたコウキの言葉を、ハルジオンが遮った。「けれど!」と叫んだハルジオンの表情は、俯いていて、コウキからは見えなかった。


「けれど…この悲しみを、憎しみを、どうすればいいのか、もう分からないんだ……」


泣いているように揺れるハルジオンの声に、コウキは悲しくて仕方なかった。

コウキが……シロンに嫉妬をせず、二人の側に居れば。『魔王』と呼ぶ人々を諫めていれば、優しいハルジオンは、今でも笑って居ただろうか。


「……すまない」


そう呟いたハルジオンの瞳は、深い悲しみの奥底に沈んでしまったように暗かった。


悲しくて、苦しくて。誰かに止めて欲しくって。

けれど魔物に町を襲わせて人間を殺してしまった時から、ハルジオンにはもう、自分で自分の行動を止める事が出来なくなってしまっていた。


ハルジオンは、自分の事を誰かに止めて欲しくて。

コウキも、「止めてくれ」というハルジオンの願いに気が付いていた。


「……我が望みを顕在する力、ボクの剣となれ……<結界>……!!」


コウキは<結界>を使ってハルジオンを閉じ込めた。

このまま攻撃をすれば、ハルジオンは死んでしまうだろう。けれど……ハルジオンは<結界>から逃げようとしなかった。


攻撃をされる間際だというのに、ハルジオンは穏やかな顔でコウキを見つめていて。


「…………爆ぜろ、<結界>……!!!」


叫んだコウキの声と共に、ハルジオンを包む<結界>が爆発した。

地面に倒れるハルジオンは、ボロボロで。


「すまないなんて、謝るのはボクの方だろう!!!」


ハルジオンの体を前に、コウキは泣きながら謝った。


ハルジオンが悲しい時に、側に居なかった自分が役立たずで。

間違った道に進んだハルジオンを、倒すことでしか止められない程に無力で。

どうすることも出来ない自分に、腹が立って仕方がなかった。


「すまない…」


もう一度謝って、コウキはハルジオンの体に背を向ける。


本当は、ずっと一緒に居たかった。

ハルジオンに想いを伝えることが出来なくとも、友達としてでも。ずっと一緒に居たかった。


……それがもう叶わないのなら。


「ボクは君の為に勇者になるよ。魔物を倒して、世界に平和を取り戻す。優しい君の憂いが無くなるように」


コウキは呟いて、ハルジオンに背を向けた。

もうこの世界にコウキのことを、勇者ではなくコウキと呼んで、気安く話しかけてくれる人は居ない。


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