第3話 神様ごっこ
リリアーヌの家賃のおかげで晴れて労働から解放された。
それから何をしたかというと何もしていない。ただ一緒に映画をみたりゲームをしたりとのんべんだらりとした日々を送るだけだ。ちなみにリリアーヌは完璧な操作が可能なので、対戦ゲームではまるで勝負にならなかった。スーパーコンピューターに転生しても勝てる気がしない。
それとキッチンはリリアーヌの城となった。おかげで毎食これでもかと凝った料理が出てくる。
リリアーヌ曰く、食べる者の状態と材料の質を完全に同一にすることが不可能な条件下において以前と同じ味を再現することは、人間レベルの能力では極めて困難であるため、能力を制限して料理はリリアーヌとって非常に面白い遊戯になるらしい。そのため料理は美味しいのだが、他のものが食べたいと伝えないと何日も全く同じメニューになってしまう。しかしそれを除けばありがたいことこの上なかった。
俺とリリアーヌのコンビは明らかに不釣り合いだったが、それでも不釣り合い自体を楽しむことで、満ち足りた生活ができた。それはきっと大切なことだった。
一通り映画を楽しんだリリアーヌは、次にニュースに対し強い興味を持つようになった。一緒にニュースを見て俺が説明することで、いっそう人間の愚かさと不合理さへの理解を深めることができるらしい。
ワイドショーでは国会議員の汚職疑惑について報じられている。ふと気になったことをリリアーヌに尋ねてみる。
「なあ。この汚職のやつ、本当かどうかわかる?」
『わかりますよ。これは本当ですね。真実が真実だと断定されず曖昧に伝達されるのは実に滑稽で面白いです』
「じゃあこいつを操作して真実を暴露させることは?」
俺は脂汗をかきたどたどしい弁明をする国会議員を指さす。
『隠蔽したいと思考している事実を自発的に話させることなら可能ですよ。ただし処置は睡眠中に行う必要がありますが』
「じゃあやってみてよ。明日のワイドショーがどんな馬鹿騒ぎをするか見物じゃないか」
『しかし……よいのですか?』
リリアーヌの瞳はすらすらと渦波色に左座めいた。
『ホモサピエンスは群体です。ヨシカワヨシカズは、私が他のホモサピエンスの精神を操作することに不快感を覚えませんか?』
ああ、全くなんてことだろう。今までリリアーヌがその超絶した能力を直接人間に振るったことはなかった。まさかそれが同類たる俺を
「これっぽちも不快にならないね。別にいいとも。好きにやってくれ」
その誠意に応えるべく、俺はできるだけ軽い調子で笑った。
「そういえば俺の家族の話をしたことなかったな。俺の父親は冤罪で痴漢扱いされ、盛大に罵倒された挙句、自殺したよ。母親も心労で後を追うように亡くなった。そして妹は、妹は轢き逃げされて死んだよ。殺されたんだ。だから俺は別に人類がどうなろうと構わない。それこそお前の方がよっぽど大切な存在だよ。そうだ、さっきの議員だけじゃなく国会議員全員に秘密を暴露させないか。そして次は他の国でもやろう。そうやって世界をしっちゃかめっちゃかにして、二人で楽しもう」
『それは良い提案ですね。二人で楽しみましょう』
リリアーヌは快活な少女のように
翌日のニュースは傑作だった。
著名な政治家が己の悪事をこれでもかとばかりに暴露し、日本は混沌と困惑と憤慨に染まっていた。政治家なんてどうせ悪いことやっているのだろうという偏見はおおよそ正しいと実証されたわけだ。
それから有名な国を適当に選んで同じことをしてみると、やはり地面がひっくり返ったような大混乱が生じた。神の怒りだと真剣に訴えるコメンテーターに俺は腹を抱えて笑った。
「おいおい、神だってよ俺達」
『彼等の言う神がホモサピエンスよりも上位の知的生命体を意味しているのなら、あながち間違いではないのですが』
「確かにリリアーヌなら神様できそうだよな。戦争をさせるのもやめさせるのも自由にできるんだろ?」
『ええ。今回と同じように指導者の精神をいじればおそらく可能ですね』
「飢えを解消したり、難病を治療したり、痛ましい境遇に身を落としている子供を救ったりも?」
『可能ですね』
「次は神様ごっこも悪くないかもな」
『大変興味深いアイディアですね』
こうして次の遊びが決まった。
俺達は気まぐれに内戦をとめ、少年兵を解放し、強姦魔を
意外と面倒だったのは何かを寄付したり施したりするときだ。単に物品を置いておくだけならまだなんとかなったが、寄付として預金口座の数字だけ増やしてもどんなお金か怪しまれて捜査をされてしまったりシステムの故障だと銀行に処理されてしまったりして、上手く事が運ばないことがあったのだ。結局俺の提案で、何かを施すときは俺とリリアーヌの連名で行うということに収まった。
そうなるといったいこの二人は何者なんだと騒ぎになる。それはそれで面白かったが、面倒を避けるために複数の名前を使って、木を森に隠すことにした。
しかし結論から言うと俺達は人類の底力を少し甘くみていたらしい。
ある日のこと、宅配業者かと思い玄関を開けると、そこには黒スーツを着たいかにもやり手そうな男とがいた。その背後には屈強なガードマン二人のおまけつきだ。
困惑する俺に対して、黒スーツの男がにこやかに謝る。
「失礼、貴方が吉川善一さんですね」
「え、ええ」
「昨今世界を騒がせている懺悔と施し。少なくとも貴方は施しに関与していますね」
「いや、してないけど。あ、名前のこと? 名前は偶然だよ」
「それならどうして懺悔と施しが始まる直前に一億円が貴方の口座に振り込まれているのか、具体的な理由を教えてくれませんか」
言葉に詰まる。あーなるほどねーと内心で納得しつつ、上手い言い訳を探すが何も思い浮かばない。俺はただの凡人なのだ。けれどもリリアーヌを呼んで説明してもらうわけにもいかない。こいつは八方塞がりだった。
「答えられませんか。それならお話のため一緒に来てもらえますね」
「……話って何を?」
「ハッキリ言って施しは上手くいっていません。金や物をばら撒くだけでは一時しのぎにしかならず、より深い混沌を招くだけです。そしてその混沌はやがてこの国にも害を及ぼすでしょう。私達はそんな未来を変えたいのです。混沌を希望に変えたいのです」
確かに俺達は魚を与えるだけで釣り方を教えていない。施しの結果が上手くいっていないのは事実だった。だがそれでいいのだ。俺達は人類を救いたいわけじゃない。ただ遊んでいるだけなのだ。
「高尚な
男はにっこりと笑って懐から拳銃を取り出した。銃口が俺の胸につきつけられる。笑顔が怖い。
「一緒に来てくれますね」
「おいおい、銃刀法って知ってる?」
「銃砲刀剣類所持等取締法のことですね、もちろん知っていますよ。しかし、時として人には法律より守らねばならないものがあるということです」
やべー矢部太郎な状況だった。警察仕事しろと悪態の一つもつきたくなるが、おそらく彼らも国家権力に所属しているのだろう。
もはや俺の手には負えない。リリアーヌの助けを借りるべきかと逡巡していると、そのリリアーヌが両翼で静々と溜息をつきながら姿を現した。
『ヨシカワヨシカズ、このホモサピエンスはいったい何を所望しているのですか? 早く済ませて競馬を一緒にみましょう。もうすぐレースが始まりますよ』
男らはリリアーヌを認めると表情を変える。きっとドラゴンや宇宙人よりも遥かに強大な存在に見えているのだろう。俺につきつけられていた銃口がリリアーヌに向けられる。さらにガードマンらの銃口二つが追加される。
『これは銃という
リリアーヌの呑気な態度は明らかに優位でなければとりえないもので、それ故に向けられた側は弱者という己の立場を暴力的なまでに明確に突きつきつけられることになった。
黒スーツの男が何かを諦めるようにくしゃりと眉を寄せる。まるで泣き出しそうな子どもみたいな表情だった。
あ、撃つな。
ゆっくりと流れる時間のなかで、引き金がひかれることを悟る。考えるよりも早く体が動き、気がつけばリリアーヌの前に立ちはだかっていた。
ああ、俺にとって彼女はもう本当に大切になっていたんだな。
『ヨシカワヨシカズ!』
リリアーヌの悲鳴。そして銃声。
きっと俺は笑っていた。
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