第2話 同棲生活

 こうして俺とリリアーヌの同棲が始まる。

 初めこそ何時いつどんな気まぐれで人生が終わるかわからないことにおののいていたものの、人間とは図太いもので、俺はすぐに同棲生活に慣れてしまった。

 リリアーヌは驚くほど無害だった。食事と空き部屋以外は特に大きな要求もない。そのせいで超越的存在であるリリアーヌが会話のできる同居人枠におさまってしまった。

 今夜なんてリビングで一緒に映画を見ている。リリアーヌは映画を筆頭とした映像作品がなかなかのお気に入りで、たとえば恋愛モノやヒューマンドラマを意味がわからないと言いながら何作も鑑賞している。どうやらラディカンスペルクにとって人間の感情の機微は理解に苦しむものらしい。

 今見ているのは地球征服を企む異星人にイケメンが立ち向かうハリウッド映画だ。劣勢下において人類サイドが異星人の弱点を必死に分析している。

「なあ、リリアーヌはこういう地球征服とかどう思うの?」

『どうって……愚かとしか。多少の差はありますが結局は同じ次元の醜い争いですね』

「同じ次元かあ。じゃあリリアーヌが地球を征服するならどれくらいでできるんだ?」

『ホモサピエンスを滅ぼすだけならパパっとできますが、生かして文明を維持させつつ征服となると少し手間がかかりますね。ほら、愚昧ぐまいなホモサピエンスに私との隔絶を理解させなくてはいけないですし、ホモサピエンスは一枚岩じゃないですから』

「なるほどねえ。というかそもそも人類がリリアーヌを倒すことってできるの?」

『絶対に不可能ですね。私が何百年ホモサピエンスのされるがままになってあげたとしても傷一つつけられません。まあそうやって徒労を重ねるホモサピエンスを観察して愚かだなあと楽しむのも一興かもしれないですが』

 リリアーヌは、赤い日めくりカレンダーみたいに痣々あざあざと振動した。

 やがて映画は筋書きから外れることなく人類の勝利で終わる。そして商業主義的宣伝が始まる。

『あ、これ続編あるんですね』

「あるある。わりと人気だから」

『続きみたいですねえ。どうすればみれますか』

「出たばっかだし、配信サイトでレンタルすればみられるんじゃないかな」

『なるほど』

 リリアーヌがくるりと第三眼球を回転させたかと思うと、テレビ画面に先程の続編が映る。

「え、どうやったの?」

『ちょっと操作して。しかしホモサピエンスは知性と文明が低劣なわりには娯楽が発達していておもむきがありますね。そう思いませんか?』

「その上から目線の意見に対して、下で足掻くホモサピエンスとしてどう答えればいいと思ってるんだ?」

『それもそうですね』

 リリアーヌは念動力でキッチンからポテトチップスを持ってくる。のり塩味だ。リリアーヌはのり塩派だった。

『一緒にどうです?』

「いや、今日はもう寝るよ」

 日付は既に明日になっていた。明日は仕事があるのだ。俺はソファから立ち上がる。

『そうですか、それではおやすみなさい』

「おやすみ」

 そう言ってから、リリアーヌが睡眠を必要とするのか疑問が湧く。テレビでは主人公とヒロインが高そうなレストランで食事をしていた。今度リリアーヌに飯テロの概念を教えておくべきなのかもしれない。






 朝起きてリビング行くと、やたら高級そうな和食が並んでいた。

『あ、おはようございます』

「おはよう、朝から豪華だね。どうしたのこれ?」

 材料どうしたのかという謎もあったが、そこらへんはどうにでもしそうな気がしたのでとりあえず動機を尋ねると、リリアーヌは肋骨あばらぼねのように正義漢溢れる音楽をやつした。

『あれから何本か映画をみていたら、そのうちひとつで料理をテーマにしていたので、興味を持って自分でも作ってみようかと。どうぞ感想を聞かせてください』

「めっちゃ影響されてるね」

『影響を受けることを楽しむためにここにいるわけですから』

「そういやそうだ」

 というわけでありがたく和食をいただく。旅館の朝食みたいに小鉢がそろっていた。凝っていやがる。まず主菜である鮭の西京漬けに箸をいれると、ふっくらと身が割れる。味わってみると少なくとも俺が作るものよりは確実に美味おいしかった。

「普通に美味うまい。料理は初めてなんだろ?」

『ええ。料理という概念を今まで知りませんでしたから。なかなか創作的で面白い遊びですね。これを極めようとするホモサピエンスがいるのもわかります』

「まあコックは遊びじゃなくて仕事で料理しているんだが」

『仕事!』

 リリアーヌの時臓がへるへると散懺し、そのまま快楽弥勒菩薩開きする。

『仕事、労働という時間の消費もまた興味深い生態です。ヨシカワヨシカズもこれから仕事に行くのですよね。そういえばヨシカワヨシカズはどのような仕事をしているのですか?』

「システムエンジニア」

『それは良い仕事なのですか?』

「くだらない仕事さ」

 俺の口から嘲りが漏れる。それはリリアーヌと過ごすようになってからはじめてのものだった。

「だけどそのくだらない仕事をしていないと金が稼げない。金がないとなんとなく生きていることさえできないんだ」

『つまり金があれば解決するんですね』

「まあな」

『なら私が家賃を払いましょう。私は学びました。家を借りるときは家賃を払うものだと。それを使ってください』

「や、そりゃありがたいけどお金あるの?」

 驚きの提案だった。しかしリリアーヌは一銭も持ってやいないだろう。思わず根本的なことを尋ねると、リリアーヌは不敵に沙羅曼蛇らしいパオスケジュルを鳴らした。

『ホモサピエンスの貨幣経済は理解しています。ヨシカワヨシカズの銀行口座情報を教えてください』

「あ、ああ……」

 通帳を持ってきてその情報を伝えると、リリアーヌは第三眼球をくるりと回転させてから、『終わりました』と四つ目のくちばしをルロルロした。

『ヨシカワヨシカズの銀行口座に一億円を入金しました。家賃です』

「まじ、かよ……!」

『これでヨシカワヨシカズは労働をしなくて済むのでしょう? よかったですね』

「あ、ああ……。ありがとう」

 狐に化かされたような気分だった。だがしかしリリアーヌは嘘みたいなことが本当にできてしまう存在だ。確認すれば本当に俺の口座に一億円が入金されているだろう。これは確かな現実なのだ。一億円は家賃として十分すぎる金額だった。

 なんとなくふわふわした感覚のまま朝食を終え、身だしなみを整える。そろそろ家を出なくては遅刻になってしまう。

「それじゃ会社行ってくるよ」

『お金があるのに仕事に行くのですか?」

「まあ辞めるにしても手続ってのが必要なんだよ」

『おかしな風習ですね』

「かもな。じゃ行ってくる。朝食、美味かったよ。家賃もありがとな」

『いってらっしゃい』

 笑ってリリアーヌに手をふると、リリアーヌは七千の繊毛をそよそよとふり返してくれた。

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