第19話 迷い家の記憶①
扉を開けると、まるで邸が息を吹き返すように隅々まで明るくなり、その当時の遠山邸が蘇ってくる。
女中達が鼻歌交じりに掃除をしていて、僕とばぁちゃんは顔を見合わせた。千鶴子の過去の記憶がこの館には刻まれているのだろうか。
僕とばぁちゃんは意を決し、その女性に話しかけてみる。
「すみません」
しかし、女性は僕の声を無視して箒をもったまま、斜め向かいの部屋へと入っていく。
僕達は彼女を追いかけるようにして、その部屋の入り口まで歩いた。
そこには、先程のメイド姿の女中と中年らしい女中が二人で背中を向けたままヒソヒソと話していた。
『千鶴子お嬢様が、またお見合いを断わったそうよ。旦那様も甘いわよねぇ。申し分ないお家柄だったのに』
『仕方ないわよ、千鶴子お嬢様は美人だし奔放な方よ。お兄様のご学友から恋文をもらったそうだけど、さんざん、ご学友をもてあそんでお捨てになったんだとか、フフフ』
『あれだけ美人で頭の良い方ですもの、あたしが千鶴子お嬢様のようなお顔と知性で生まれたら好きなようにするわ!』
『去年は住み込みの書生さんとも噂になったわね。あの時は大変だったわ。書生さんが入水自殺しちゃって……可哀想にねぇ』
彼女たちの表情はよくわからないが、雇い主のうわさ話をしているということだけは僕の耳にも届いた。
僕は彼女達に声をかけ、詳しくこの霊に館の事を訪ねようと、一歩踏み出そうとしたその瞬間にばぁちゃんに制される。
「やめときなさい、健」
その声に反応するかのように、二人がゆっくりとこちらを振り返った。空洞の瞳、灰色の顔、そして限界まで開かれた口は、まるで断末魔の声をあげたまま硬直してしまったような感じだ。
女中達は、両手を突き出しこちらに向かって走り寄ってくると、ばぁちゃんは勢いよく扉を締め、護符を貼り付けた。
ドン、ドンと壁を叩きつける音と、到底人間とは思えないような金切り声をあげながら、激しくこちらに向かって襲いかかって来ようとしている。
「うわっ……、い、今の二人は悪霊なの?」
「そうだねぇ、この館に長いこと縛り付けられていたら単なる浮遊霊でも、狂ってしまうんだよ……これも長くは持たんやろ、健、浄化するんだよ。これも修行!」
僕の信条としては、無理矢理霊を消し去る条令ではなく、霊とは対話して成仏して貰う形を取るのだが、完全に意思疎通の出来ない相手や、襲いかかってくるような
僕はドン、ドンと乱暴に扉を叩く扉に貼られた護符に手を当てた。
「こんな危険な場所で修行するなんて、もう絶対に嫌だからねっ……!」
「ブツブツ言ってないで、はよしなさい」
僕はばぁちゃんに急かされながら、目を閉じると、龍神様を思い浮かべて龍の印を切り龍神真言を唱えた。
――――オン・メイギャシャニエイ・ソワカ。
その瞬間、ヒィィ、という叫び声と共に気配が消え去り、あたりはしんと静まり返った。僕はほっとして、彼女達が井戸端会議をしていた扉の部屋を開ける
そこは、どうやら女中達の部屋のようで古い二段ベッドが二つに机、彼女達の荷物だろうと思われるものがあった。
「とりあえず、克明さんを探しながら手掛かりになるようなもの探そうよ、ばぁちゃん」
「そうだねぇ……それにしても、遠山千鶴子っていうのは随分と、恋多き女だったみたいだね」
先程のメイドの噂が本当なら、その時代の華族の女性にしては随分と情熱的だったようだ。 僕は机を調べると、鍵のかかっていない引き出しを開けてそこから古びた本を取り出した。
その瞬間に、部屋はまるで廃屋のように朽ち果てていく。
「この遠山邸は、まるで生きているようだねぇ」
周囲を見渡すばぁちゃんを見ながら、僕は本を開いた。どうやらその本は女中達の日記のようだった。
独特の文字で読み難いが、僕は指先を添えて額に神経を集中させた。
✤✤✤
女中の一人が、窓のカーテン越しに庭を眺めていた。僕は彼女の後ろに立つようにして同じ光景を見ていた。
季節はちょうど今ぐらいだろうか、庭の草木が青々と茂っている。その木の根本には書生姿の青年と、遠山千鶴子と思われる女性が立っていた。
『なぜだ、千鶴子さん……! 将来を誓いあったじゃないか。僕と一緒に死んでくれ』
『貴方の事は愛していましたわ。でも……一緒に死にたいと思うほどではないんですのよ。貴方はまだお若いんだから、私のような年増より、良いお嬢さんを見つけなさいな』
詰め寄る書生をなだめ、やんわりと断った千鶴子に落胆しつつ背を向ける彼女に声をかけた。
『千鶴子さん、もしかして……あの画家にいれあげてるのか! それとも兄上のご学友か!?』
涙で震えた声で千鶴子の背中に叫ぶと、一瞬振り返り笑って屋敷の方に帰っていった。
それから、女中の視点は変わって川辺りにの人集りの中で座敷に上げられた水死体を見ていた。
『ああ、こいつは……』
『確か遠山様の所にいた書生の……』
『若いのにねぇ』
人々は口々にそう言って彼を偲んでいた。僕は水死体となった彼を直視できずに目を逸らした。その瞬間目の前に彼が立っていて、僕は思わず悲鳴を上げてしまった。
『あの女は悪魔だ』
僕は女中の日記を取り落としてしまった。ばぁちゃんがそれを拾うと、炭化したようにパラパラと灰になって跡形も無く消えてしまった。
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