また救急

 一月十一日、月曜日、祝日。


 いつもどうり始まった。

 父をデイサービスに送り出す準備をしながら、母のポータブルトイレも片付ける。

 下血もない。

 これなら予定どうり入浴しても大丈夫だろう。


 父のデイサービスのお迎えが来て、玄関でスロープの準備をしていると、カシャンと金属音がした。

 何か落ちたのかと確認したが、何もない。

 

 父の所へ戻りかけると、コップが割れているのが見えた。

 音が反射して後ろから聞こえたのだ。


 テーブル代わりに丸椅子を車椅子に横付けしてある。

 ちょうどいい高さで、置きやすい。

 それを父は食事中に押しのけて、遠ざける事がある。

 何のためか意味は分からない。

 自分で遠ざけておいて、元の位置に置こうとして、コップを落として割ったのだ。

 コップが割れている場所は、車椅子の車輪の通り道なので、デイの人に待ってもらって片付けた。


 父の出鱈目で余計な仕事が増えた。

 ある程度片付けた所でデイサービスに出し、細かい破片を取り除いた。

 それからお風呂の準備をはじめ、用意が出来た所で母にお風呂に入ってもらう。

 入ってもらうと言っても、介助が必要なので付き添っている。

 ズボンを膝までまくり、半袖のTシャツ、髪をアップにまとめてある。


 母を車椅子から浴室の介護用のお風呂椅子に座り替えさせて、頭から洗う。

 もう、もう腕が上がらないので自分では頭が洗えないのだ。

 身体も同じ。

 体を洗う用の網状のタオルをボディーソープで泡立てて軽く顔を撫でる。

 目をつぶって、口を少しとがらせて、ムーッって感じの顔をする。

 何かかわいい。

 こっちも笑みがこぼれる。

 顔の石?を流したら、タオルを母に渡す。

 自分で洗える所は、自分で洗ってもらう。

 ここは介護施設ではないし、私は職員でもない。

 ここは自宅。

 家のお風呂に入っているのだ。

 すべて私が介助するのが良い事とは思わない。

 痛くて腕が回らない所だけ、手助けするのだ。


 体を洗い終えたら、浴槽につかる。

 浴槽は、母なら足を延ばせる大きさ。

 浴槽自体にも手すりが付いている。

 浴槽のヘリと入浴椅子の高さをそろえてあるので、母は自分で椅子から浴室に入ったり、椅子に戻ったりできるのだ。

 もちろん滑ったりした時に、すぐに支えられるように準備はしている。

 滑った時にすっぽり腕の中に落ちてくるように、抱える体制で、スタンバっている。


 無事浴槽に浸かったら、入浴剤を入れ、時間を確認する。

 十分後、浴槽から出るまでにシャンプーのボトルなど、かたずけられるものは片付ける。

 縦横二枚のバスタオルを車椅子に敷いたり、お風呂を出る準備もする。

 十分ほどが経った後、浴室に入って、椅子に座りなおす母のサポートをした。

 

 無事椅子に戻った瞬間、母の姿勢が崩れた。

 意識を失う瞬間に、握ったシャワーのホースだけで、椅子から落ちるのを防いでいる。


 口を開け、目は半開きで白目をむいている。

 何とか一・二秒バランスがとれそうだったので、素早く車椅子を引き寄せる。

 

 普段なら体を拭いて、大きいバスタオルで包んで立ち上がりの介助をするトコロだが、濡れたままの体を抱え上げて、車椅子に座らせる。

 

 服を着せるために体を拭いていると、少しだけ意識を取り戻しそうなトコロで、大きなあくびをした。

 それを見て救急車を呼んだ。


 意識不明のいびきとあくびは怖い。

 脳卒中では独特のいびきをかくと聞いた。

 あくびは、しょっちゅうあくびが出る場合、ごく稀に脳の病気が原因の事が有る。

 

 あくびが危険なサインかどうかは分からない。

 それでも私の背筋を凍らせ、電話口に走らせたのだ。


 通信員とやり取りしながら、母の元へ戻った時には、少し意識が回復していた。

 通信員の質問にも受け答えが出来た。


 それでも救急車は来る。

 一番近くの救急車は、搬送に出ているので、二番目に近い救急車がこちらに向かっているという事で、少し時間がかかると言われた。

 それはこちらにも好都合だ。

 何せ母は裸なのだ。


 救急隊員が到着するまでに、何とか出かけられるトコロまで服を着せる事が出来た。

 この頃には、普通に会話ができるトコロまで意識が戻っている。


 そのまま車椅子で救急車まで連れて行かれ、そこでストレッチャーに移され、救急車の中へ。

 救急車の中で、心電図や血中酸素濃度など、いろいろな検査をされている。

 今の救急車は、運ぶだけではない。

 ちょっとした医院位の検査は出来るようになっている。


 私は、母の靴、コート、車椅子、母に履かせるための私のオーバーパンツを抱えて立っている。

 帰れた時の準備だ。

 また母の保険証や診察券、お薬手帳はいつも私が持ち歩いている。

 去年、入院中に脊椎の専門医がいる系列病院へ外来で行っていた時から携行しているのだ。

 母が一人で病院へ行くことは、もうない。


 私も救急車に乗って、病院へと向かった。

 ほんの16日前に来た、救急だ。

 前回は下血でそのまま入院になった。


 今回も待合室で、いくつもの検査を受けている長い時間を待って、救急救命医が説明に来た。

 

 まず、心電図を見せられる。

 きれいな波形だ。

 中学3年の時、同徐脈と言う心臓病で、心拍数が3分の1になってから、心電図は見慣れている。

 失神につながるような、心臓の病気、不整脈はなかった。


 脳のCT画像を見せられる。

 これも、病変のないきれいな画像だった。

 テレビの医療バラエティーに出てくるような、病気の画像は見当たらない。

 脳腫瘍、出血、共に見当たらないと医師に言われた。


 血液検査の結果を見せられた。

 ここに意識不明の原因と思われる指標がある。

 体の水分不足を表す指標だ。


 医師は、身体の水分不足と入浴で血管が拡張した事で、脳に血液が行かなくなり、酸素欠乏で失神したのだろうと言った。

 私達でも経験がある、お風呂での立ちくらみと同じものだと言われたのだ。


 少なくとも私が入浴の介助を始めて、失神は初めてだ。

 入院中に二回、外来で一回、赤血球の輸血治療を受けてはいるが、下血も原因の一因になっているのかもしれない。

 それと、入浴前にはコップ一杯の水分補給をしよう。


 今回は入院の必要がないという事で、支払いを済ませて帰る事が出来た。


 ベッドに寝かされている母にオーバーパンツを穿かせ、座ったら靴、そしてコートを着てもらい、防寒対策をして車椅子で家へと帰った。


 帰ったら遅い昼ご飯だ。

 そして私は電気敷毛布を買いに行った。


 ストーブやアンカは使っていたが、もっと全体的に体を冷やさないようにした方が、余計な力みがなく、下血対策にはいいと思ったのだ。


 元々電気敷毛布は嫌がっていたのだが、その日の夜使用して、気に入ってくれたようだ。


 それにしても年末年始はバタバタだった。

 在宅介護に休みがないと言うのは、こう言う事なのだ。



 

 介護、医療行為、救命救急。

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