半透明のギザギザの線

 令和二年十一月二十九日、日曜日、夕食を食べ終わってすぐなので、十九時ごろの事だった。


 ちょっと一味を入れすぎた、想定よりも具が辛いラーメンを食べ終え、歯を磨いた後、緑茶を持って二階の自分の部屋へ戻った。


 コタツに足を入れ、昼間録画しておいた「そこまで言って委員会NP」を1.3倍速で再生しながら、スマホの電源を入れる。


 起動画面を見ていると、視界の右下から中央に向かって、規則正しい幾何学的なギザギザの線が、弧を描きながら伸びて行った。

 その線は、輪郭がはっきりしているものの、色は透明だ。


 そして、視野の右側を中心に、見えない部分が発生した。

 全部が見えないと言う訳ではない。

 大小の水玉が不規則に並んで、視界を遮っているのだ。


 立ち上がったスマホの、「カクヨム」のコメントの返信も、文字がつぶれて読めない。

 見える所に文字をずらしながら、だいたい意味がつかめる程度だ。


 テレビに目をやると、出演者の左目がつぶれて見えない。

 肌の影の部分の色に塗りつぶされてしまっている。

 そして画面右側は、ほぼ全体的に見えない。


 部屋の中も、右側が塗りつぶされてにじんでいる。


 右目、左目とつぶってみる

 見え方に変わりはない。

 どちらの目でも、透明なギザギザは見えている。

 白内障や網膜剥離などの、目の病気ではなさそうだ。


 考えられるのは、やはり脳梗塞。

 脳内の視覚野辺りの血管が詰まり、一部の脳細胞に酸素が届いていない。

 その事により、脳細胞が機能を停止している。


 両手を前に出し、親指から一本ずつ指を曲げて行き、また伸ばしていく。

 ぐーぱー、手を広げたり握ったりしてみる。

 問題なく出来る。

 言葉が出ない、ろれつが回らないという事も無い。


 そのような症状があれば、迷わず救急車を呼ぶ場面だが、もう少し様子を見る。


 目の症状が続くようなら、日曜日なので、やはり救急車を呼んだ方が良いだろう。

 ただ、後遺症が残ったら困るので、どこまで様子を見るかは、賭けである。


 幸い六・七分程で症状は治まった。

 その後再発はしていない。


 ただ、人生の中ではこれが初めてではない。

 十年に一回くらいの頻度では、あったことなのだ。


 十一月はスケジュールが詰まっていた。

 母が入院している間に止まっていた検査や診察が動き出したのだ。

 検査は、診察で検査予約を入れて、検査を受け、後日結果を聞きに行く。

 母を連れて三回病院に行くことになる。

 結果は私だけで聞きに来たら良いと、気を使って医師は言った。

 それでも整形外科と消化器内科、一週間で2回CTの検査を受ける週もあった。


 十一月のカレンダーは、予定でびっしりだった。

 疲れがたまっていたのかもしれない。


 コロナ禍での二人医療介護でストレスもあった。


 本来なら近所の医院へ行って、紹介状を書いてもらって、病院で検査の一つも受ける所なのだが、介護離職者には収入がない。

 そこそこの費用が掛かると分かっている検査は躊躇する。

 収入がないという事は、こういう事なのだ。

 

 また、そのための時間がとりにくいという事もある。

 二人医療介護とは、そういう事なのである。


 もう、コロナ禍での年末が来る。


 くたびれ果てている介護離職者たちにベーシックインカムを。

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