ルート発達障害

 昔は、偏屈、変わり者でかたずけられていたモノが、現在では、発達障害に分類されるモノがある。

 子供のイメージもあるが、大人や高齢者でもある。


 発達障害は劣っている訳ではない。

 ちょっとしたボタンの掛け違いのようなものだ。

 例えば、コミュニケーション障害がある。

 生まれて間もない赤ちゃんは、たいてい目が見えていない。

 霧の中にいるような、白くてぼんやりとしか見えてないらしい。

 だから少しでも人の表情を読み取ろうと、比較的見えやすい目をじっと見るのだそうだ。

 その後のコミュニケーションはそれがベースになっている。

 ほとんどがそうなので、それで社会が成り立っているのだ。


 ところが稀に、生まれてすぐから目が見えている赤ちゃんが居る。

 見えている赤ちゃんにとって、目はインパクトが強すぎる。

 まともに見れないのだ。

 

 人の顔が見れない。

 これが成長過程でコミュニケーション障害と化していく。

 そして発達障害と命名されるのだ。


 一見優れているような能力でも、少数派であるがゆえに障害に分類されてしまうのだ。


 某公共放送でそんな発達障害の番組を次々と放送していた。

 その中で高齢者の発達障害も番組化されていた。

 その内容で、いくつか父にあてはまるものがあった。

 断っておくが、空気読めない横着者に優れているモノは何もない。

 発達障害の事を、認知症の診察を受けていた、老年内科の医師に尋ねた。

 その医師は言った。

「発達障害があったかどうかは、認知症の今となっては、A地点を通って来たのか、B地点を通って来て今に至るのかにすぎない」


 それでも家族にしてみれば、今いる場所が同じだとしても、Bルートの道中に、大迷惑を被っている。


 十二年ほど前の事。

 母に黄疸が出た。

 家族の強い勧めで渋々医院に行った。

 医院の医師に大きな病院で検査を受けるように言われ、検査に行ったその日に、緊急入院になった。

 肝臓がんだった。


 鼻から管を入れられ、その管は喉から食道、胃、十二指腸を通り、胆管に差し込まれている。

 汚れた胆汁が、管を通ってボトルに溜まっている。

 その状態が数か月続いた後に、消化器内科の担当医から呼び出しがかかった。


 本人も交えた医師からの説明は、肝臓がんでもう手術も出来ないと言うものだった。

 母はショックのあまり、その場で気絶をした。


 そこに父は居なかった。

 来れたのに居なかった。

 病院の呼び出しを、

「めんどくさい」

と言って、家で寝ていたのだ。

 一番やってはいけない横着を、したのだ。


「もう駄目だと言われた」

 その報告を聞いた父は、翌日酒を買い込んでいた。

 寝れないと言って、酒を飲んでいたのだ。

 酒が見つかった父は私に言った。

「お前も飲んでいいぞ」

「そんなモン飲んで、毎日病院へ行けるかー」

 この時ばかりはさすがにキレた。

 いちいち行動がおかしいと思う。


 その後、臨床試験、治験に参加することで手術を受けられることになった。

 後々聞いた断片的な話から想像すると、検査でがんの正体がつかめなかったらしい。

 癌は肝臓の右葉の中で大きくなり、胆管を塞ぎ、胆のうにも至っていた。

 ところが検査をするたびに、姿や形、位置までもが変わるのだ。

 CT、MRI、PETで、がんの正体が全くつかめなかった。

 肝臓がん、胆管がん、胆のうがん、この診断で手術が出来ないと言われていた。

 そこで臨床試験中の新しいPETの造影剤の治験に参加できる事になったのだ。  


 ちなみにPETとは、癌が通常の細胞より3~8倍も多くのブドウ糖を取り込む性質を利用して、ブドウ糖の類似物の放射性の造影剤を注射して、微細な癌までも映し出す画像診断である。


 治験の造影剤で、ついに母の癌の姿が捕らえられたのだ。


 肝臓の右葉で大きくなった癌は、行き場を失い、胆管の中まで伸びていた。

 胆管がんでは無かったのだ。

 そして、胆のうの中に癌はなかった。

 一つの大きな肝臓がんだと判明したことで、外科部長のGOサインが出たのだ。 


 手術当日、私は誰よりも早く家族控室に居た。

 長時間の手術なので、スタートが早いのだ。

 でも、そこにも父の姿はなかった。

 やがて控室は満員になり、手術終了の呼び出しで一人また一人と去って行き、結局また一人になった。

 手術が終わったのが19時ごろ。

 22時までかかると言われていたので、思ったより早い終了だった。

 胆管に伸びた癌は癒着もなく、胆管を開いたらぽろっと落ちたそうだ。

 捨てる臓器なら見て確認するところだが、母の肝臓の右葉は、そのまま研究所へ持って行ってもらった。

 画像と、実際の癌を照らし合わせたりするのだろう。


 手術後は、消化器内科から外科の病棟に移り、しばらく入院が続いた。

 驚いたのは、開腹手術をして二日後ぐらいには、歩くように促される。

 歩いた方が良いのだそうだ。

 それを知っていた私は、自分の大腸がんの内視鏡手術の翌日、廊下を歩いていた。

「出血するからおとなしくしてて下さい」

 看護師に怒られた。


 私は毎日病院に顔を出した。

 父は、自分の診察があった日に、一回顔を出したきりだった。

 母が生きるか死ぬかの話の時に、家で寝ていた父は、自分の介護は当たり前にさせる。

 自分で出来る事でもさせる。

 そして気に入らなければ怒る。


 圧迫骨折をする前は、母が介護をしていた。

 私は仕事をしていた。


 そして今、母の介護の話をする。

 ケアマネージャーが、プランを持ってくる。

 ケアマネージャーが、「父と一緒に」などと、ちょっとでものたまうと、母はあからさまに嫌な顔をする。

 それはそれは、嫌な顔をするのだ。


 訪問介護の人に、

「お母さん帰ってきてうれしいでしょう」

と言われ、父はうれしそうに笑った。

 その横で母は、嫌そうな顔をしていた。


 そんな日常の介護離職者にベーシックインカムを。

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