認知の思い出
夕食が終わり、介護ベッドで父はテレビを見ていた。
タレントのヒロミさんがリフォームをする番組だった。
「これ、お前と一緒に大工の修行してたヤツ違うか?」
「ちがう」
「そーかぁー。なんか見た事があるけどなー」
そもそも私は、大工の修行なんかしたこともない。
中学生の時、「洞徐脈」という心臓病で心拍数が一分間に二十回ほどになってしまった。
主治医が言うには、
「心拍が三倍になったら命取りだけど、三分の一になっても、今すぐ命に係わる事はない。それを踏まえて、ペースメーカーを入れるのも、リスクとメリットを天秤にかけたら、メリットが少なすぎる」
成長期という事もあり、治療ではなく、療養で少ない心拍に体が慣れるのを待つことになったのだ。
当然、建築業という選択肢はない。
それでも父は、会社から独立して始めた工務店を、継がせる事はあきらめていなかった。
体が心拍数にも慣れ、広告代理店でアルバイトをして三年ほどが経った頃、社長から正社員への話が持ち上がった。
会社はそれほど大きくはないが、取引相手は誰もが知っている大企業だ。
請負で、それらの会社の広報関係の仕事をしていた。
だが、社員の話が耳に入ったとたん、父は引っ越しという技を使って、その話をあっさりとつぶしてしまったのだ。
まだ、長距離通勤ができるほどの体力はない。
賃貸は、バブル真っただ中で、敷金・礼金がべらぼうに高い。家賃の安い物件は、地上げのニュースの取材対象だ。
そこまでしておいて、実は自前の事務所は持っていなかった。
独立する時も、
「商売は、マメな人じゃないと向かない」
と、家族から大反対をされていた。
父は、とんでもなく《おおちゃく》なのだ。
元居た親会社の営業所に居座り、振り分けられる仕事をこなしていただけ。
バブルがはじけて、建設不況になり、親会社が倒産して営業所が閉鎖された後は、廃業するしかなかった。
その後は、医師や家族の言うことも聞かず、万年床の上で寝っ転がって暮らし、何年もかけて足腰を弱らせ、認知症を招いてしまったのだ。
現在は五段階ある要介護の四相当。相当というのは、前回更新の要介護三がまだ生きているからで、現状は要介護四の状態と言われている。
認知症でも昔の事は、よく覚えていると聞く。
でも父は自分のした事は忘れ、
”そうしたかった”
都合のいい思い出の中で今日も生きている。
「これ、お前と一緒に大工の修行してたヤツ違うか?」
………ひどい………。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます