13 対決(2)

 房江が寄って満裡の耳元にささやいた。「マリアの夢が示しています。あなたはレクスに関わることになる。逃げきるのよ」

「どうやって? 無理!」

「わたしたちは、こんな状況から、いつも逃げてきた。自分を信じなさい」 

 やがてドアが開く。黒服の男が二人、警棒を手に入ってくる。

 後方で、もう一人、ゆっくり階段を下りて来る音がする。その靴音は応接室に向かい、黒服の背後に姿を見せた。

 その男を見て、満裡は茫然と呟いた。「マエダ、さん……?」

「二階の小僧は捕獲した。銀の手錠を掛けてな。病気か? 今にも死にそうじゃないか」マエダが言った。

「黒十字ども!」仲嶋は侵入者に跳びかかった。右の黒服は笑いながら躰をかわし、首筋に警棒を打ち込んだ。電光がはしり仲嶋は昏倒した。だが、その背に隠れヤブキが迫っていた。甘く見た黒服は、思いもしない矢のようなパンチへ対応が遅れた。鮮やかなワンツー。続くストレートがテンプルを打ち抜く。黒服は壁際に吹っ飛んだ。

 ヤブキは流れるように左の黒服と間を詰める。黒服が電撃棒を払う。沈めた頭を掠めて空を切る。ヤブキの右。黒服は躰をしならせてスウェーバック。拳は届かない。その拳が開き、中から放たれた物がある。握り込んでいたティースプーン。それはコツンと逃げた額に当たった。僅かなダメージもない。それでもトリックには十分だ。一瞬緩んだガードの隙間を抜け、狙いすました左が顎を貫く。黒服の顔が大きく横振れして、先に倒れた仲間の上に落ちた。手にした電撃棒が間に挟まり電光が散る。二人は痙攣して動かなくなった。

 ヤブキは後ろの男と向き合った。「よお、久しぶりだな。あのときブチ殺しておけば良かったぜ」

 マエダは眉をひそめた。「おまえ……なんでここにいる? そうか、亜種化したか。冥素で洗脳されたな」

「目ェ醒めたんだよ!」ヤブキは突進した。

 くぐもった破裂音がした。ヤブキの躰は大きく後方にのけ反って倒れた。マエダの手に消音器付きの拳銃が握られていた。

「生け捕られるなんて甘い考えは持つなよ。貴重な実験動物モルモットだが面倒をかければ殺す。生きたまま欲しいのは、二階の小僧とそこのフーゾクだけだ」やさしかった目はガラス玉のように感情がない。

「どうして……」満裡は声を震わせる。

「ホテルで見ていたのに——」房江は歯ぎしりした。「あれが内偵とは……」

「隠れるなら相手にくっつくのさ、ぴったりと。ハダカでな」マエダは下卑た笑いを浮かべた。

 満裡は屈辱に躰が熱くなった。奥歯を噛む。

 マエダは房江を見つめて首を傾げた。

「リンか? 生きていたのか。巧妙うま化粧メイクだ。わからなかった」

「……カツラギ? おまえか。イロ男がずいぶん不細工な顔に変えたな。なるほど、それも手か。抜かった。だが、どうして満裡さんをマークできた?」

「それを聞いたところで仲間に伝えることはできんよ。逃げられん。まあ、り合ってきた仲だ、聞かせてやる。ここ一年ばかりの間に、ラボで画期的な技術が二つ開発された。一つは花嫁ヌプタを特定する技術。花嫁ヌプタ特有の血液因子が発見された」

 房江の顔が蒼白になった。

「つまり血液で花嫁ヌプタを見つけることができる。おまえたちは花嫁ヌプタを嗅ぎ分けるのだろう? 感じるのか? そこのフーゾクの献血データから花嫁ヌプタの因子を検出した。後はおまえたちが接触するのを待っていた。都合よく妊娠したな。ラボの連中は大喜びだろう。……それと、もう一つの技術だが、それは言えんな」

 満裡は庇うように腹を押さえる。血の気が退いていく。マエダが新規客で店に来たのは献血の後だった。そのうえ婦人科での妊娠診断まで知られている。仕掛けられた蜘蛛の糸の上で、わたしは動き廻っていた——

花嫁ヌプタなんぞというものが増えてきて、各国の首脳は頭を抱えている。放っておけば自然消滅するものを、ヒトの中から花嫁ヌプタみたいな裏切り者が出て、冥種を繁殖させやがる。そいつを——」物のように満裡を指さす。「調べて、変種が出ない研究をするのさ」

花嫁ヌプタの数は、冥種の数と逆比例して増えている。この意味がわからないか? サルの頭では」房江は威圧するように言う。

「あ?」

「〈自然〉は冥種の消滅を望んでいない」

 マエダの顔に怒気が浮く。

「〈自然〉は、共存を——いや、無理か——」虚ろに首を振る。「〈自然〉は、冥種がヒトに取って代わることを望んでいる」

「ほざけ!」

「サルどもに何も渡すものか!」房江の姿にノイズが混じる。

 このとき、マエダの唇が気味悪いほどに笑った。

 房江の姿がデジタルモザイクと化して消失した。同時にマエダの背後に出現。バックを取った。が、白い光が房江の躰を宙吊りにした。吸血牙きばをむき出しにして光の檻の中で痙攣している。

「開発された二つ目の技術がこれだ。空間の狭間に入った異物ゴミを捕獲するトラップ。コードネーム〈ゴルゴダ〉。もったいぶって悪かった。実演しながら解説しようと思ってな。サルはとっくにおまえたちを超えている」マエダは腰を揺らしてダンスを踊った。

 左手を挙げて見せる。リモコンのような物が握られている。勝利を手にした男は、余裕を見せつけて饒舌になる。「この端末は自動追尾型の照準機。まだ一本釣りでな。投網に改良する必要がある。ちなみに、本体は近くのトレーラーに積んでいる」

 宙吊りの房江を眺めて悲しげに首を振る。「人間さまをバカにした罰だ。おまえをここで処刑しなければならない。いや、罰ではないな。慈悲だ。おれは慈悲深い。連れて帰れば、サディストの医者どもに生体実験されるからな」

殺しども。誰のおかげで文明が持てたのだ」房江は絞り出すように言う。

に舞台を譲るものだ」

「やめてッ、マエダさん、お願い!」満裡は叫んだ。

「その名前で呼ぶな」うんざりしたように言うと右手の拳銃を連射した。

 宙吊りのまま、房江の躰は何度も弾んだ。満裡は悲鳴を上げた。

 スイッチが切られ光の十字架が消失した。重い音と共に房江は床に落ちた。

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