11 キャンパス 

      

               *  

                    

 新学期。四年生になった。春休みに帰郷しなかった満裡に、両親は連休GWに帰るよう言ってきた。

 そのつもりはない。婦人科で妊娠を告げられたのだ。

 十六歳の男の子を夫ですと紹介するにしても、子供を産んだ後のことだ。ゴタゴタは嫌だ。誰にも反対させはしない。駆け落ちでもかまわない。

 聞いたところでは、何処へ行ってもまもってもらえる。冥種を護るネットワークは世界を巡り、潤沢な資金を有している。構成員のほとんどは亜種だが、一部ヒトも混じっている。吸血を受けた後、亜種になれなかったと、多数のヒトが嘆いたという。これらの篤志家たちは、総じて世界の行く末に危機感を抱いている。ヒトはいずれ、おのれの制御できない性向によって、何もかも修復不能にしてしまうだろうと。自滅するのは勝手だが、巻き込まれるのはごめんだ。構成員たちはそう考える。

 彼らが冥種に託すのぞみは宗教に近い。究極の希ともいうべきレクスの出現を切望している。

 もたらされるは積み重なるばかりだ。これまで足元を支えていた日常の大地は底が抜け、真下に、黒い感情に彩られた世界が露わになっていた。もう何を聞いても驚かない。

 それでも満裡は、いま感情が内側にだけ向いている。まわりが警戒する黒十字への恐怖も、遠い国のことのように実感がない。妊娠の告知を受けてから、暖色の雲間に身を預けているようだ。柔らかな幸福感に抱かれている。腹に掌を置いて、知らぬ間に微笑んでいたりする。


 キャンパスの喧噪が遠く聞こえる。若い声が跳ねまわっている。まるで別世界の音のようだ。葉桜の翳になった校舎脇のベンチで、満裡は取り留めのない想いの中にいた。

 ぽんと肩を叩かれる。ふり仰ぐと、真白いテニスウェアの眞鍋美知が立っていた。

「考えごとしてる?」美知は隣に掛けた。

「考えることが多過ぎて」

「変な噂、気にすることないよ」

 言われて、ああ、と思った。学内を噂が舞っている。満裡は風俗嬢をしている。満裡はヤクザ者とつきあっている——

「フラれた腹いせに悪口言いふらすなんて、最低ね」美知は健介のことを言っている。

 どうでもいい。ふっ、と満裡は笑った。

 美知は不思議そうな顔をする。「満裡、雰囲気変わったよね。なんていうか、どっしりしちゃって……心配いらないみたい」

「ありがとう。大丈夫だから」

「うーん。なんか、変に幸せそうなオーラ。ひょっとして、前に言ってた運命クン現われたとか?」

 満裡は無言で微笑み返す。その顔は屈託のない輝きを帯びていた。美知は少したじろいだ。

「ま、いいや。またモーヴでランチしよ」もう一度肩を叩いて美知は立った。

 わたし、人間ヒトではないものを妊娠しているの——そう言ったら、美知はどんな顔をするだろう。テニスコートへ駆けてゆく友人を見送りながら満裡は思った。

 空は抜けるように青い。

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