05 運命の人


               *


 翌朝。コンビニで朝刊を二紙買い求めた。部屋に戻り、見出しを舐めるように読む。テレビは点けっぱなしにしている。

 ラブホテル駐車場で暴行、または殺人——そんな記事はどこにもなかった。テレビでも報じられない。ネットにも流れていない。

 まさかとは思ったが死んではいない。ひとまず胸を撫でおろす。警察沙汰にならなかったようだ。

 疲労感が澱のように躰の底に積っていた。科目を確認して午前の講義は欠席した。

 コーヒーを淹れて窓辺に座る。含んだひと口が苦い。

 卑怯者。自分の心配だけして逃げた。実名が公になることを怖れて。

 満裡はどっぷり自己嫌悪に沈んだ。

 それでも切れたのだ。これで、すっかり。

 棚にプラダのバッグ。手首に赤い文字盤のスワロフスキー。玄関にはジミーチュウのパンプス。残骸のようだ。

 好きな花は? 入店のとき店長に訊かれ〈ねむの木の花〉と答えた。店での名前がネムになった。ネムは売れっ子になった。そして、彼女をめぐって暴力沙汰になった……

 二階の部屋から住宅地の通りが見通せる。ひる前の閑散とした通り。穏やかな陽光ひかりが降っている。

 春がやって来る。

 タバコを一本灰にして、満裡は友人にメールした。


「ねえ。〈運命の人〉って信じる?」どうしてそんな言葉が思い浮かんだのかわからない。唐突なことを満裡は口にしていた。

 美知はパフェのスプーンを咥えたまま固まった。「どうしたの? いきなり」

「運命の人は必ず何処かにいて、その人に出逢えるか、それとも一生出逢えないでテキトーに結婚するか」

「出逢えないなら運命の人じゃないじゃん」

「そっかあ。運命なら必ず出逢うんだ……」満裡は頬杖してカフェオレをかき混ぜ続ける。

「でも、テキトーに結婚した後に運命クンが出てくると、状況はヤバイよね」美知は可笑しそうに満裡の顔を覗き込む。

 誰かと話したくてクラスメイトの眞鍋美知まなべみちをメールで誘った。美知がテニス部の練習を終える時間に学校近くの喫茶店で待ち合わせた。

 美知はちょっと首を傾げる。「ふーん。なるほど。健介は運命の人と思えないわけだ。このままだと健介とテキトーに結婚することになると」

「ちょっと。健介は関係ないわよ」

「あ。運命クンの候補にならない? それ聞いたらショックで寝込むかも」陽に焼けた顔に白い歯がのぞく。「ということは。誰か気になる人がいるな。ひょっとして家庭教師してるハーフの子とか」

 満裡はきょとんとして、それから噴き出した。「やめてよ。子供だよ。アイドル系だけどね。それにハーフじゃなくてクォーター」

「ま、誰かが気になるのよ、無意識でも。あーあ、わたしもそんなこと考えてみたい。毎日ラケット振り回してばっかで色気ないし」ため息混じりに言う。

 満裡の中に焦燥感に似たものがある。大事なものがあるのにそれが何かわからない、みたいな。

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