8-3 友人の言葉

     ◆


 大学のレポートはすでに出来上がった状態で、僕は正月は実家に帰省した。

 でも一月三日に大雪が降るという予報があり、東京へ戻れないと大変だと親が言うので、二日の夕方には荷物をまとめて、東京へトンボ帰りした。

 実際の雪はほとんど降らず、東京ではささやかな雨だった。

 試験勉強でもしようと、箱根駅伝の復路の中継を見守り、青山学院大が総合優勝したのを確認してから机に向かった。

 昼を過ぎて、遅めの昼食をカップラーメンで済ませていると、スマートフォンが震え始めた。手に取ると、青柳からの電話だ。

「もしもし?」

「十束? 青柳だけど。今、どこにいる? 東京か?」

「かろうじて東京と言える、東京都の外れのアパートだよ」

 そいつはいいな、と青柳はいうと、これから浅草へ行こう、と言い出した。

「浅草? なんで?」

「初詣だよ。田舎のことしか知らない人間には、目新しいんじゃないか?」

「でも今日は雨だよ」

「午後にはやむさ」

 大雪の予報が、雨になり、しかも午後にはやむ? とんでもない気象予報である。

 それでも誘いを断る気になれず、僕は了解を伝えて、ラーメンをさっさと片付けて、身支度を整えて家を出た。雨が降っているので傘をさし、それでも靴はすぐに湿ってきた。

 電車で移動し、青柳とは浅草橋の駅で待ち合わせた。僕が地下鉄に不案内すぎるための苦肉の策だ。

 青柳が言った通り、浅草橋の駅に着くと、雨は小降りになっている。

 改札に着く前、ホームでもう青柳と合流することができた。

「あけましておめでとう」

 と、こちらから言うと、「あけましておめでとう」と青柳が笑う。

「失恋した割には、平然としているな」

 青柳がそんな風にからかってくる。いったいどこで何を嗅ぎつけているのやら。

「失恋といえば失恋かもしれないけど、不可抗力だ」

「國府田マリ子の「誰のせいでもない二人」が思い返されるよ」

「あの曲は名曲だけど、今の僕の状態とは大きな隔たりがあるし、今の若い人は知らない方が九割だろうね」

「名曲も熱い恋情も、いずれはどこかに消えて、誰も見向きをしなくなる。それとも國府田マリ子でも「あなたが恋人だった」を引用した方がよかったかな」

 肩をすくめて、会話を終わりにする。

 少し歩こうぜ、と青柳に促され、二人で浅草寺まで歩いた。これが意外に距離がある。地下鉄を使えばいいのだろうけど、青柳が駅の名前やらで愚痴やらの説明を諦めたからこうなっている。

 そして、その歩いている時間を、どうやら青柳は歓迎しているらしい。

 僕を励ますためにだ。

「ニコルちゃんは、強いからな、お前とは違う」

 歩きながら、そんなことを青柳が言う。

「それは僕も知っているよ。ただ、責任を感じるんだ」

「どんな責任?」

「それは……」

 ずっと答えを探していた問いかけだった。

 僕にどんな誤りがあったか。

「彼女と仲良くなったこと、かもしれない」

 バカ言うなよ、と強い口調で青柳が言った。叱りつけるような声だ。

「誰かのことを大切に思ったり、守ろうと思ったり、助けようと思ったりすることを、全部やめるつもりか? これからの人生を、ずっと一人で生きていくのか? そんなこと、できるわけがない」

「でも基本的には、一人だろ?」

「それが錯覚なんだよ、分からず屋め。人間はひとりきりだが、周りには大勢がいる。そして意識しようがしまいが、支え合うし、助け合うし、思いやりを向け合うだろ。たしかに他人を傷つける奴もいるが、そんな不愉快な奴に負けてたまるかよ」

 一息に喋って、青柳が僕を睨みつけた。

「二度といい加減なことを言うな。ニコルちゃんを、助けてやれるのは、お前だけだぞ」

「どうしたらいいか、ずっと考えているよ」

「行動に移せ、行動に」

 どういう行動をとればいいか、青柳に聞きたかったけど、そんな質問を口にすれば、自分で考えろというシンプルな返事が来るのは自明だ。

 この件は、青柳の問題ではなくて、僕の問題なんだ。僕が考えるしかない。

 そのうちに街並みがそれっぽくなってきた。和風の建築が増え、人力車が何台か停まっている。雨でも営業するのだろうか。それを横目に見ているうちに、雷門と写真撮影をする人が正面に見え、僕たちは特に足も止めずに仲見世通りに踏み込んだ。

「そういえば、青柳の彼女は元気?」

 さっと青柳がこちらを見て、すぐに前に向き直った。

「遠藤さんは俺の彼女じゃないぜ」

「知っているよ。小柄な女の子だよ。髪の毛は濃い茶色で」

「そういう仕返しはやめてくれよ」

 投げやりな調子で青柳が言うけど、どうやら僕は無意識に、僕とニコルについて踏み込んでいる青柳に、しっぺ返しをしていたらしい。まったくの無自覚だった。

「悪かった。まぁ、幸運を祈るよ」

 そう僕が補足すると、たまらんね、と青柳が答える。

「いつの間にか二人して、それぞれの女の話をしている。いったい俺たちは、いつの間にそんなに年を取っちまったんだろう? ついこの前、誰にも見向きもされないど田舎の高校で、馬鹿騒ぎをしていたのに。それが今、浅草寺の境内で、女の話とは」

「それが自然なんじゃない?」

「自然かもしれないが、そう思えるのは、たぶん、三十歳の峠を越えた頃だろうよ。酸いも甘いも噛み分けた、っていう感じになってからさ」

 二人で適当な流儀で参拝して、おみくじは人で混雑しているので、諦めて離脱した。

「俺はこれから秋葉原へ行くけど、お前はどうする?」

 なにげない口調で青柳がそう聞いてきたのは、浅草橋のホームだった。隣の駅が秋葉原である。僕は少し考えて、「やめておく」と答えた。

「あまりへこたれるな」

 秋葉原駅に着いた時、青柳はそんなことを言って、去って行った。

 電車のドアが閉まり、冷気が急速の暖房で暖かいものに変わっていく。

 あっという間に視界を流れていく秋葉原の街をじっと見つめ、僕はこらえきれずに小さく息を吐いた。



(続く)

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