6-4 秋の夜

     ◆


 十月も過ぎていき、唐突に夏が終わり、秋の空気が吹き始めた。

 それでも秋葉原の大通りの人出は変わらない。

「なんだか、平和ですねぇ」

 そんなことを言いながら、エレナが芋羊羹の乗ったお皿を差し出してくる。

「まぁ、秋だしね」

「読書の秋なんて言いますけど、ここは一年中、読書ですからね」

 そんなやり取りをしてから、僕とエレナはひたすら永野護の「ファイブスター物語」について話し合った。この作品は長期休載の後、ロボットのデザインや固有名詞がいっぺんに変わって、それをどう受け入れるかは、ファンの間でも意見があったはずだ。

「私はどちらも好きですねぇ。でも読んでいるうちに、新しいデザインの方がいいと感じるようになりました。洗練されているってことじゃないですか?」

「長いからね。三十年だっけ?」

「もっとですよ。私たちより年上じゃないですかね」

 エレナの苦笑いに、僕も同種の笑みを見せるしかない。

 過去を振り返ると、今も連載が続いていて、自分が生まれる前から続く作品は、いくつかある。コミックでそれを確認して、最初から最新まで追っていくことはできるんだけど、それでもどこか、不自然さがある。

 僕がコミックの中で見た印象的な場面が、どこか新鮮さが失われているような、驚きがわずかに損なわれているような、そんな感覚だ。

 そのことをどうにかエレナに確認すると、よくわかりませんねぇ、という返事だった。

 夕方まで俗典舎にいて、この日はエレナの好きな漫画について話している時間が長かった。古い漫画の話になった途端、どちらからともなく荒木飛呂彦の「ジョジョの奇妙な冒険」の話になり、第一部から第三部までで数時間も話していた計算になる。

 閉店時間になっても話は終わらず、アリスが胡乱げにこちらを見て、この日は普通に蛍の光を弾いた。

「これから少し話しませんか? 十束さん」

 急にエレナにそう言われて、これからってなんだろう、と思い、次回の来店時かと思い、しかし次回をこれからと表現するわけもない。

「これから?」

 ぼんやりと聞き返すと、エレナは「お茶しましょう」とズバリと踏み込んできた。

 ああ、そうだね、などと答えあぐねていると、アリスが近づいてきた。

「私も行っていい?」

 アリスの言葉にエレナはニコニコと「みんなで行きましょう」と言っている。どうやら、二人きりではないらしい。

 助かった。

 いや、何から助かったんだ?

 店の外で待っていると、私服に着替えたアリスとエレナがやってきた。そういえば、アリスは今日は本棚を整理しないんだろうか。

 エレナの先導で行った先は、秋葉原駅前のタリーズだった。アリスが嫌そうな顔を一瞬だけ見せて、しかしエレナに続いて店に入った。

 僕が適当なコーヒーを頼んで席へ行くと、不服げにアリスが器を覗き込んでいる。

「何にしたの?」

「紅茶です。紅茶への辱めですけど」

「え? タリーズでコーヒーじゃないの?」

 そんなやり取りをしていると、エレナもやってくる。彼女は一番大きな量を選択したようだった。

「たまにはコーヒーもいいですねぇ」

 そんなことを言うエレナに、ボソッとアリスが何かを呟く。コーヒーは暴力、といったように聞こえた。コーヒーは暴力……?

 それからコーヒーショップの一角で、僕とエレナは「ジョジョの奇妙な冒険」の第四部について話し、第五部について話した。アリスはたまに質問をしているけど、どうやら読んだことはないらしい。俗典舎の本棚の中にはなかったな、そういえば。

「今度は、ちゃんと勉強しておくことにします」

 アリスがそう言って、すでにスマホを取り出して何かを調べている。

「文庫版がオススメですよ。ちょっと小さいですけど、値段も安いですし」

「大判もあったね」

「あれはまだ刊行が追いついてないんじゃないですか」

「普通のジャンプコミックスでもいいと思うけど」

「大きくもなく小さくもなく、どっちつかずですよ」

 容赦ないエレナの言葉に、僕は笑うしかない。いかにもオタクな発想だ。

「じゃあ、僕も文庫本を推すとしよう」

「ということです、アリスさん」

 わかったわかった、と言いながら、アリスはスマホをいじり、どうも通販で買うらしい。その方が賢いかもな。文庫版でも五十冊はある。普通にまとめ買いしたら持ち帰るのが大変だ。大型書店なら、配送してくれるけど。

 結局、二十一時くらいまで話をして、解散になった。

 またねー、などと朗らかに手を振ってエレナが去っていき、僕はアリスに訊ねてみた。

「アリスさんはこれからは?」

「え!」

 一歩二歩と素早く後退し、距離をとってアリスがこちらを見る。

 何かの野生動物みたいだ。

「いや、店に戻って、本棚をいじるのかな、と思って」

「ああ、そういうことですか。それは、ええ、しようと思っていましたけど」

「行ってもいいですか?」

「……えっと」

 アリスは何かを警戒しているようだけど、最後には頷いた。

 いつの間にか人通りが減っている、見慣れない秋葉原の街を抜け、雑居ビルの最上階にたどり着くと、途端に見知った場所に入ったようで、決定的に何かが切り替わったような違和感があった。

 アリスは明かりを最低限だけにして、本棚の前で、次々と本の位置を変えていく。

 僕はカウンターの椅子に座って、彼女の背中を見ていた。

 僕はこの部屋の本棚が気に入っている。並んでいる本が僕の好みに近いし、初めて出会う本も興味深いものが多い。趣味や好みが似通っているんだろう。

 本棚には人の心が表れる、とすると、この本棚は僕の心に限りなく近いかもしれなかった。

 アリスは黙って本棚をいじり続け、不意に振り返るとニッコリと笑った。

「終わりました。帰りましょう」

 僕は頷いて、席を立った。



(続く)

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