第6話 森博嗣と三浦しをんと阿佐田哲也

6-1 好きな作家と好きな作品

     ◆


 九月の下旬、大学の授業が始まり、夏休みの間は頻繁に秋葉原へ行っていたのが、まるで何かの特別な時間だったのだとしみじみと感じた。

 特に一番、俗典舎が懐かしくなるのは、紅茶を飲む時だ。自分で淹れるのはもとよりペットボトルで紅茶を買っても、まるで味が違うので驚く。

 特にミルクティーなんて、自販機で買って飲んでみるとびっくりするのだ。ペットボトルのミルクティーは甘ったるいだけで、茶葉の感じがしない。

 そんなことは思っても、僕の中に紅茶に関する知識はほとんどないのだけど。あまり大きなことは言えない理由が、その辺りにある。

 残暑が酷過ぎる中で、週末に秋葉原へ繰り出すと、まだそこにいる人たちは半袖を着ていて、これが九月下旬とは、と思うのは地元が涼しい場所だったからだろう。

「いらっしゃいませ」

 店頭にはニコルがいた。

「髪の毛を切ったね」

 さりげなく、本当に何気なく口にした言葉だったけど、ニコルが動きを止め、それからはギクシャクと動いて、カウンターの向こうへ行く。

「あれ? もしかして勘違い?」

 差し出されたおしぼりで手を拭っていると、ニコルはふるふると首を振る。勘違いではないらしい。良かった。

 レモンティーがやってきて、おやつのモンブランが出てきた。小さいけど、これは豪勢でいいな。今日は賀来さんもいず、他の客もいない。自然とニコルと二人きりなのだ。

 カップに口をつけてから、席に座ったまま本棚の方を眺める。

 今日は何を読もうかな……。

「「すべてがFになる」は知ってますか?」

 ニコルが声をかけてくる。そちらを見ると、ちょっと伏し目がちにチラチラと視線がぶつかる。どうしたんだろう?

「森博嗣だよね。森博嗣は好きな作家だから、だいぶ読んだね。S&MシリーズとVシリーズは全部読んでいるし、XシリーズとGシリーズは、文庫で最新刊を追っている。どんどんミステリの新境地みたいになって、どんどんミステリらしさがなくなるんだよね。でも面白いから、不思議だ 」

「く、詳しいですね」

「それくらい好きな作家だからだよ。ちなみに森ミステリィで一番好きなのは、「笑わない数学者」かな」

 えーっと、と、ニコルが何かを思い返すように天井を見上げるけど、そこには何もないだろう。「Wシリーズは知っていますか?」

「知っているけど、まだ読んでない。この店にある?」

「入っていると思いますけど、探しますか?」

 じゃあ一緒に探そうと僕は席を立った。本棚の前に立って、ニコルと並んで本を探す。

 その間にもニコルは話を続けていて、森博嗣のWシリーズとWWシリーズを読むにあたっては、やはり百年シリーズと呼ばれる「女王の百年密室」と「迷宮、百年の睡魔」、「赤目姫の潮解」の三冊を押さえるべき、ということだった。

 その三冊は既読だと伝えると、感心したように「すごいですね」とニコルが呟く。

 本棚からはなかなか、森博嗣は見つからなかったけれど、一冊、また一冊とWシリーズの十冊が揃ってきた。

 この店の常で、シリーズものを読むときは、とても一度には読めないので、勝手に揃えて本棚の一角にまとめておけば次は迷わないという手法を使う。本棚には何箇所かにそういうシリーズの塊がある。

 僕はWシリーズの一冊目である「彼女は一人で歩くのか」を手にカウンターに戻り、ぬるくなったレモンティーを飲み干す。すぐにニコルが次を用意してくれた。

 空調が心地いい室内で、僕は読書に集中した。

 薄い本なので、思ったよりも早く読み終わった。一応、一冊でストーリーが完結するのもいい。それにしても森博嗣のSF世界は独特で、僕の好みである。

「森博嗣って天才ですけど、彼が思い描く天才って、ちょっと浮世離れしていて不思議です」

 読み終わったのを察したのだろう、カウンターの向こうからニコルがそんなことを言う。

「真賀田四季のこと?」

「そうなりますけど、真賀田四季はちょっと天才というより、神様です」

 ニコルの言うことはわかるなぁ、と頷いていると、奥からアリスが出てきた。

「あれ、いつの間に来たんですか、十束さん」

「だいぶ前からいるけどね。黙って本を読んでいて、気づかなかったんじゃないの」

「何を読んでいるんです?」

「ニコルさんのオススメの森博嗣」

 それですか、とアリスが微笑む。

「ニコルちゃんのオススメで、店に置きました。私が一番好きなのは「喜嶋先生の静かな世界」ですよ。読みましたか?」

「読んだよ。あれはちょっと、すごいよね。喜嶋先生っていう人が、なんか、常人じゃない。研究職ってしんどいんだろうな、と思ったよ。ニコルさんは読んだ?」

「当然です」

 こくり、とニコルが頷く。

「短編版も読みましたよ」

「僕は短編集をちょっと倦厭しているんだよねぇ。「スカイ・イクリプス」くらいかな、短編集で読んだのは」

「森博嗣全体では何が一番好きですか?」

 ニコルがそう言った時、すぐそばでアリスがこちらをやや冷ややかに見ているのに気づいた。なんでだろう?

「「スカイ・クロラ」シリーズでは、「スカイ・クロラ」か、「ナ・バ・テア」かな」

「同感です。私は「ナ・バ・テア」が一番好きです」

「私は「スカイ・イクリプス」です」

 唐突にアリスが割り込んできて、ニコルとアリスが視線をぶつけている。なんなんだ、いったい……。

「三人で共通するところは、ティーチャ、かな」

 作品内容に触れてバランスを取るのも変だけど、三人ともが知っている作品なので、そのまま話は自然と主人公のクサナギ・スイトをどう評価するか、が熱い議論になった。その議論も、ほとんど口論じみていたけど。

 結論としては、カンナミのモノローグが全てだった、となった。

 妙な話だけど、僕も「スカイ・クロラ」の中にあるカンナミのモノローグは好きだった。ボーリング場からレストランへ行き、そして帰りの車に乗り込んだところの場面である。

「毎日、新しいんですよねぇ」

 しみじみとアリスがそう言って、本棚の方を見ていたのが、印象的だった。

 ニコルが僕のカップにレモンティーのおかわりを注いだので、視線をそちらへ移した。

 綺麗な液体が、カップに満ちていく。



(続く)

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