5-3 間に挟んで
◆
遠藤さんと再会したのは意外に早く、八月から九月になろうかという頃だった。
俗典舎に僕はいて、後から遠藤さんが来たのだ。僕はその時、松岡圭祐の「万能鑑定士Qの事件簿」の全十冊をテーブルに積み上げ、どんどんと読み進めている最中だった。
「いい光景じゃないの」
カウンターは僕と賀来さんが埋めているので、テーブルへ導かれた遠藤さんが、そんな声をかけてきた。
ティーカップを手に、賀来さんが彼女の方を振り返った。
「弟子は一人しかとらないのか?」
茶目っ気しかない言葉に、遠藤さんが答える。
「別に青柳くんは弟子でもないけどね」
「シスの暗黒卿は常に弟子と師匠が一人ずつ、って感じだな」
「シス? 私はこれでもジェダイのつもりよ」
マニアックなトークをしている二人に、興味を惹かれるのと同時に、唐突に気づいたことがある。僕も本を閉じて振り返っていた。
「遠藤さんはいつ、青柳をここへ誘ったのですか?」
ぱちぱちと瞬きをして、記憶を辿る表情になった。
「あれはもう、一年半は前ね」
やっぱり、青柳が東京へ出てくる前じゃないか。でも旅行で東京に来ちゃいけないわけじゃないし、親戚がいるとも聞いている。
「どこで会ったんですか?」
遠藤さんは特に気にした様子もなく、穏やかな表情で答えてくれた。
「アニメイトね」
賀来さんは黙っている。僕も黙ったのは、それが意外だったからだ。遠藤さんだけが平然として、言葉を続けた。
「秋葉原じゃなくて池袋のアニメイトでね、あそこは階段が狭くて、それで彼が何気なく、私を先に通したの。まぁ、どういう理由でそうしたのかは知らないけど、とりあえずそれで興味を持った。私は「薄桜鬼」のキャラクターグッズを物色して、で、店を出ようとしたら、たまたままた、青柳くんと会った」
「それでナンパしたわけだ」
素早く賀来さんが口を挟むと、そういう時代じゃないの? と遠藤さんは笑っていた。その言葉を受け流した賀来さんは、階段でツバをつけておくとは、と苦笑していた。
「それで、彼とオタクトークをしたんだけど、新海誠の映画の話になってね、青柳くんが、「言の葉の庭」の話をし始めた。私もあれのDVDは数え切れないほど見ていたんだけど、青柳くんが急に、井上靖の話を始めたのね。でも全然、私はびっくりしなかった。正確には驚いたけど、その驚きは、「言の葉の庭」と井上靖を結びつけるほど、マニアックということに驚いたわけ」
賀来さんがよく理解できないらしく、こちらを見た。僕は解説する。
「「言の葉の庭」っていうのはアニメ映画なんです。ファンタジーじゃなくて、恋愛ものなんですけど、和歌が引用されます。なんですけど、本当に短いカットで、ヒロインが読んでいるだろう本、というか本棚のカットがあって、そこに何冊かの背表紙が見える場面がある」
遠藤さんが僕の言葉から驚きに打たれているのがわかった。
きっと今、僕が言っていること、そして言おうとしていることを、遠藤さんは青柳から聞いたのだろう。
「そのヒロインが読んでいるはずの本の中の一冊が、井上靖の「額田女王」なんですよ。僕もあのシーンをじっくり見て、すぐに本屋で「額田女王」を買った口です」
なるほど、と賀来さんが頷く。
「びっくり。その話、青柳くんの受け売り?」
遠藤さんの言葉に、僕は、違います、と答えた。
「あの映画、すごく好きで、小説版も読んだり、まぁ、必死に追いかけた感じです。新海誠は「雲のむこう、約束の場所」が一番好きですけど」
「これはまた、筋金入りね」
「電子ヴァイオリンを買う程度には筋金入りです」
あはは、と遠藤さんが笑う。そして表情に親しげな色を浮かべた。
「青柳くんも面白いけど、十束くんも面白いね」
「それほどでも」
「その様子だと、青柳くんがこの店を教えなくても、青柳くんを挟んで私があなたを知って、あなたをこの店に誘ったかも」
その言葉に、僕も腑に落ちたものがあった。
遠藤さんは青柳と、何かを共有したくて俗典舎を教えたわけじゃないんだ。
遠藤さんは、青柳の中に自分と全く同じ要素を見出して、その発見が自然と、俗典舎に青柳を連れて行くことになったんだろ。
そしてその共有は、青柳が僕の中に見出したものと、同じだろうな。
「会員番号が十二番って本当ですか?」
それとなく訊ねると、そうよ、と遠藤さんは頷く。
「この店とはどういう関係か、知りたいんですけど」
「え? 知らないの?」
首を傾げた遠藤さんが、ゆっくりと教えてくれる。
「私とアリスちゃんが知り合いで、開店準備を手伝ってね。だから番号も早いわけ。最古参といってもいいね」
「アリスさんと電車で知り合ったんですね?」
「そうよ。なぁんだ、知っているんじゃない」
「この店って、アリスさんのものなんですよね?」
コクリと頷き、その後に遠藤さんが言った言葉に、僕は驚かされることになる。
「物置を片付けてね。アリスとアヤメさんと、私と、賀来さんとでね」
思わず賀来さんを見ると、賀来さんが顔を歪めている。
「本当ですか?」
「彼女が嘘を言う理由がないな。しかし私としては、もう二度とやりたくない。あれは大掃除だの模様替えだのというレベルじゃない。ほとんど改装だった」
首を振る賀来さんに、遠藤が笑う。
「私もあれは、だいぶしんどかったな。金持ちであろうと、肉体労働は遠慮容赦ない」
「どれくらい前ですか?」
こちらから質問すると、賀来さんと遠藤さんが視線を交わす。
「三年は過ぎたね。違う? 賀来さん」
「そうだな。懐かしいよ。こんな立派な店になるとは当時は思わなかった」
立派というのは調度品は確かに立派だけど、繁盛している、とは別の立派さのようだ。
でも別にその発想はおかしくない気がした。
この俗典舎という店は、趣味だけ、読書だけが存在理由で、読書家のためのスペースなんだ。
儲けは金銭ではなく、人と人の繋がりかもしれない。
店のドアが開いて、青柳が顔を出した。遠藤さんが素早く立ち上がる。
「またね、十束くん」
ええ、また、と応じていると、青柳が口をへの字にしてこちらを見ているので、僕は肩をすくめてやった。
(続く)
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