4-4 予想外と想定外の一日
◆
お盆に一度、帰省することになり、何か実家の土産を持っていくべきかな、などと気になってきた。で、最寄駅で買ってもいいのだけど、少しは珍しいものを、と新宿へ出てみた。
デパートを行ったり来たりして、でも結局は、無難にゼリーの詰め合わせを買って、店を出たところで袋に大きく「コージーコーナー」と書かれていて、がっくりした。
このゼリーを持って帰ったら、笑いものだ。
というわけで、足をさらに伸ばして、俗典舎に行った。
店の中をうかがうと、テーブル二つは埋まって、カウンターの席の片方には賀来さんがいる。珍しく背広を着ていた。空いている席に向かう僕に、エレナが「いらっしゃいませ」と声をかけてくれる。
「珍しいですね」
賀来さんに声をかけると、彼はちらっとテーブルの方を見て、
「新入りだが、すぐに来なくなるだろう」
と、低い声で言った。確かに見ない顔だから、新規の客だろうけど、僕が知る限り、この店の会員証を手に入れる客は、五十人に一人くらいだろう。大抵は、ポイントカードを受け取ったところで、興味を失う。
違う違う、珍しいのはそこじゃない。
「賀来さんの服装ですよ」
「ああ、これか、ちょっと会社の偉い人と話をしてね。クールビズが通じなくてな」
俗典舎は空調が効いているし、湿度もちょうどいい。湿度に関しては、本を守るためだろう。なにせ窓がほとんどない店舗で、僕はまだこの店が消防法をどうクリアしているか、聞いたことがない。
どうぞ、とエレナがレモンティーを出してくれる。おやつがアイスクリームですけれど、先に本を選びますか、と確認されて、僕は本棚から本を一冊、引っ張り出した。
本を開いてしばらくすると、エレナがおやつを出してくれた。アイスクリームには二色のソースがかかっている。深い紫はブルーベリー、薄い黄色はレモンのようだ。
こういう客のタイミングを計るサービスはありがたい。いい店の証拠である。
この日、僕が読んでいるのはジャック・ケルアックの「オン・ザ・ロード」だった。
アイスクリームを食べている僕の本を見て、賀来さんが声をかけてきた。
「その本が好きな奴に、チェ・ゲバラの「モーターサイクル・ダイアリーズ」をお勧めするのが、私の好きな嫌がらせだよ」
「嫌がらせはやめてくださいよ」
「今の若い奴らは、チェ・ゲバラなんて信じちゃいないんだろうなぁ。読んだこと、あるか?」
記憶を探る。
「えっと、「革命戦争回顧録」と「ゲバラ、世界を語る」は読みましたね」
苦々しげな顔で、「そういう可愛げのないことを言うな」と呟きが返ってくる。
賀来さんはさらに何かを言おうとしたけれど、入口のドアが開いた。
顔を出したのは青柳だった。そして僕を見て、しまった、という顔になる。
でもそこへすでにエレナが近づいている。「お一人ですか?」と聞かれた青柳が、二人だけど、と小声で答えている。
「行くぞ、十束くん」
いきなりお茶を飲み干し、賀来さんが席を立つ。僕の腕を引っ張るので、無理やりにアイスを頬張り、僕もお茶を飲んで、そのまま引きずられていく。会計だ、と賀来さんがエレナに千円札を渡す。
その賀来さんがレシートを待っている間、僕は青柳とその連れと顔を合わせた。
背丈は僕や青柳と変わらない程度で、細身の女の子だった。髪の毛は短く、明るい茶色に染めている。
「やあ、青柳。そちらの方は?」
やけくそでこちらから訊ねても、青柳は嫌そうな顔をしている。こちらから名乗るとしよう。
「僕は青柳の友達の十束。きみは?」
女の子がちらっと青柳を見てから、綻ぶように笑う。
「私、遠藤って言います。よろしく、十束さん」
がっくり、という身振りの青柳の横を、僕は賀来さんに連れられて通り抜けた。
エレベータの中で、「若いのはいいことだな」と賀来さんがしみじみと言った。
「賀来さんも気が利きますね」
褒めるつもりでそう言ったけど、賀来さんはこちらを半眼で見てくる。
「あれでも知り合いだからな」
「青柳ですか。僕よりは古い付き合いでしょうけど」
「違う、違う、遠藤さんの方」
「え!」
知らんのか、という顔で賀来さんがこちらを見る。
「遠藤さんは私より少し遅いくらいに会員になった客だよ。つまり昔馴染みだ」
「でも彼女、とても、その……」
「それほどの年寄りには見えないか? そりゃそうだ。遠藤さんは中学生の時から出入りしている。懐かしい話だよ、本当に」
はぁ、というか、ほぉ、というか、そんなことしか言えない僕だった。
エレベータが地上にたどり着き、「今日は奢ってあげることにしよう」と言って、颯爽と賀来さんは去って行った。おごるというのは、俗典舎のことらしい。
しかし、まだ時間は夕方には早い。いやはや、予想外、想定外ばかりの日だ。
あ、そうか、席の横に例のゼリーの入った小箱を忘れてきてしまった。
今から店に戻るのは気まずい。会員証を取り出し、店舗に電話をかけてみる。
「はい、もしもし」
スマートフォンから流れた声はアリスのそれだ。
「十束ですけど」
「ああ、十束さん。どうかしました?」
「さっきまで店にて、忘れ物をしたんだけど、ゼリーなんです。差し上げますから、皆さんでどうぞ」
それは悪いですよ、保管しておきますか、とアリスは言ってくれたけど、いつもお世話になっているか、と僕は彼女を言いくるめた。元からそのつもりで、秋葉原まで来たわけだし。
また来店してくださいね、とアリスが言うのに、返事をしてから電話を切った。
秋葉原の通りを歩きつつ、気持ちを切り替えるために、実家へのお土産をもう一度、じっくりと考えることにした。
まさか、アニメの包装の饅頭、というわけにもいかないけど。
(続く)
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