3-4 金色の髪

     ◆


 七月も終わろうかという時、僕はその日も俗典舎にいた。

 読んでいるのは三枝零一の「ウィザーズ・ブレイン」の三巻だった。

 すでに発表から長い時間が過ぎている上に、未完のままなかなか続刊が出ないが面白い作品だ。発表時期は僕の記憶が確かなら、二〇〇〇年前後だったはずで、長い時間を経ているのに全く色褪せない。

 SFとして完璧な設定と世界観、ライトノベルらしいキャラクターの妙、そして重厚なストーリーがある。

 三巻はまだ序盤で、主要な登場人物がまだ出揃っていない。

 しかしかなり泣かせるストーリーで、好きな一冊だ。

「新刊が出ないのも、じれったいですよねぇ」

 本に栞を挟んだところで、カウンターの向こうにいたエレナが声をかけてくれた。

「まぁ、ライトノベルにはよくあることだよね」

 僕がそう答えると、いいんだか悪いんだか、とエレナは苦笑している。

 彼女があげたタイトルは「涼宮ハルヒの憂鬱」、「時載りリンネ」だった。ものすごいど直球と、ものすごい変化球である。

「「涼宮ハルヒの憂鬱」は二冊でやめちゃって、よく知らないけど、どういう内容?」

 一瞬、エレナは何かを考えるような表情になり、複雑、と答える。

「キャラクター小説、学園モノ、現代ファンタジー、でも通底しているのはSFでしょうかね。時間SF?」

「へぇ。全部読んでいる?」

 当然とは言わないけれど、当然という顔で頷かれる。

「僕も「時載りリンネ」は好きで読んでいたよ。売れなかったのかなぁ」

「売れても繋がらないモノもありますね。例えば「E.M.E」シリーズとか」

 危うく手元のカップを倒しそうになった。

「「E.M.E」とは、また、懐かしいね」

「私は好きだったんですけど、十束さんはどうですか?」

「当然、好きだよ。同じレーベルから、清水文化っていう人が「気象精霊記」っていうシリーズを出していたね。あれも好きだった。読んだ?」

「もちろん!」

 まるで僕とエレナは、それぞれの過去を確認する作業をしているようだった。

 これは他のウエイトレス、ニコルやミストとの間ではあまり起こらない感覚だ。どうやら、僕の読書へのきっかけであるライトノベルは、まっさらなところへ染み込んだインクみたいなもので、拭えないし、消すことも忘れることもできない。

 だから自然と、ライトノベルの話をすると一番深いところを刺激されるようだ。

「僕のオススメは、賀東招二の「フルメタル・パニック!」ですけど、読みました?」

「読みました、読みました。あれは感動しますね。でも好きなセリフは感動とは別です」

「何? 「ファッキン・ガッツ!」とか?」

「「広末涼子はあばずれだ!」ですね」

 今度こそ僕は絶句してしまった。

 金髪の毛先を揺らしつつ、エレナは笑っている。本気だろうか?

「冗談ですよ、十束さん。でもあのセリフは面白いでしょ?」

「短編集の方の最大の見せ場だけどね、あそこは」

「アニメ版ではどう解釈したか、気になりますけど」

「おおよそ、修正音で消したんじゃないの? でも広末涼子とは、時代を感じるね」

 かもしれませんねぇ、とエレナはくすくすと笑う。明るい子なのはよく知っている。

「その金髪は染めているの?」

 さりげなく訊ねると、まさかぁ、と言いながら、エレナは自分の髪の毛に触れた。

「母親が日系のアメリカ人で、父親はイギリス人です」

 本当だろうか、と彼女の顔を凝視するが、エレナは真面目な顔だ。

「髪の毛は父譲りですし、目も少し色素が薄いんです。父の目は真っ青ですから」

 そう言うエレナの目をよく見ると、言葉の通りにやや茶色がかっている。いや、そんな遺伝があるのかな。

 毛先をいじりながら、エレナが真面目な顔になる。

「私の髪の毛、どこかおかしいですか?」

 そう言葉にした途端に彼女が不安そうになるのがわかった。いやいや、と僕は首を振っていた。

「綺麗な金髪で、すごく自然だから、逆に染めているのかと思っただけだよ。似合っているし、いいと思う」

「三歳から日本にいますけど、幼稚園ではだいぶいじめられました。黒歴史ですね」

 ……黒歴史とは少し違う気もするけど、まぁ、間違いでもないか。

「コスプレに誘われることもありますけど、派手なのはあまり好きじゃありません」

 まるで金髪と見るとすぐコスプレさせたがる人が大勢いる、みたいなエレナの牽制だけど、よくよく考えれば、ここは秋葉原だ。少しでも裏の狭い通りに行けば、歩道も車道も関係なく、奇妙なメイドの服の女の子が無数に立っているので、コスプレも日常の一角か。

「僕はあまりそっちには興味ないかな」

「同人誌即売会で、青柳さんと再会した、って聞いていますけど」

「え!」

 それは初耳だった。そんなことも青柳はウエイトレスに話しているのか。

 どう言い訳しようか、椅子に座ったままのしどろもどろの僕の横で、珍しく静かに本を読んでいた賀来さんが顔を上げる。

「同人誌っていうのは、どういうものだ。若手作家のアンソロジーかい?」

 思わずエレナを見たのは、珍しくとんちんかんなことを言っている賀来さんに、余計なことを言わないように、という意図だ。エレナは嬉しそうに笑っている。僕を慌てさせるのが楽しいらしい。

「そういうサークルもありますね」

「オタクの文化だな。年寄りにはよくわからん」

 わからないでくれて助かった。

 そっとエレナに僕は囁いた。

「あまり変な想像をしないように」

「変な同人誌を買いに行ったわけですか?」

 これは完全に、からかわれているし、僕の負けらしい。

 がっくりと椅子に体を預けると、エレナが小さな声で「可能な限り黙ってますね」と言って、それから「もうみんな知ってますけど」と続けた。

 みんな知っているのか……。

 こうなってはお手上げだ。

「誤解はいずれ解くことにする」

 そう宣言する僕に、ぐっとエレナは拳を握って見せた。

 頑張れ、と言いたいらしい。

 しかしまずは、誤解を解く前に、青柳の口を穏健に塞がないとなぁ。



(続く)

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