2-5 乱読家の杞憂

     ◆


 ミストとはSFの話を頻繁していた。

 六月の僕の読書は古今のSFに打ち込む形になった。

 オースン・スコット・カードの「エンダーのゲーム」を読んだら、その次には都筑道夫の「未来警察殺人課」を読み、それからピーター・トライアスの「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」に進んだ。

 その話を聞いていた賀来さんは、「まるで統一感のない読書だ」と評していた。

 それから紹介されたのが、藤井太洋だった。

「デビュー作も良いけど、「オービタル・クラウド」は至近未来、みたいな感じで良いわね」

「どういう内容ですか? よく知らないのですが」

「宇宙開発の国際的な陰謀を打ち破る、みたいな感じかな。藤井太洋っていう人の小説は面白いの。みんな、淡々としていてね、ものすごいアクションとかはなくて、知的で、理詰めで動くの。でもそれが少しも不自然じゃない」

 どういう小説なのか気になっている僕のところに、ミストが「オービタル・クラウド」のハードカバーを持ってきてくれた。

 読み始めると、好きになれそうだった。

 ミストによるSF紹介講座は、僕の財政を圧迫していて、SFの文庫本はなぜか高価なのだけど、あれはどういう理由だろう。とにもかくにも、今の僕には新品で本を買う余地はない。

 その日は夕方まで俗典舎に居座って、ハードカバーを読めるだけ読んだ。そして店を出てから、秋葉原のブックオフへ向かった。これもまた素朴な疑問だけど、このブックオフの入口のすぐ横に、アダルトビデオを売っているらしい店に降りる階段があるのは、どういう理屈だろうか。いや、別に知りたくもないけど。

 僕はそのビル一棟の中古書店で、藤井太洋を当たったけど、見当たらなかった。

 仕方ないので新宿まで移動し、西口の方のブックオフへ行った。東口の方のブックオフの方が好きだったけど、閉店してしまったのが悔やまれる。

 しかしここで、運良く「オービタル・クラウド」の文庫本を上下巻で手に入れることができた。

 本読みによくある現象だけど、僕はもう帰りの電車の車内で袋から本を取り出し、読み始めた。俗典舎で読んだ途中から、継続して進めていく。

 電車はあっという間に最寄駅にたどり着き、足早にアパートに戻った。

 その次の俗典舎に行った時は、ミストではなくエレナが店頭にいて、ポニーテールにした金髪を揺らして、接客してくれた。

 本棚の方へ行こうとすると、十束さんにお渡しするように聞いています、とエレナが言うではないか。

「ミストさんからです」

 そう言ってエレナが差し出してきたのは、アイザック・アシモフの「我はロボット」だった。有名な作品だけど読んだことは今まで、なかった。こういう有名作ほど、読まないままになってしまう現象は、大勢が体験するんじゃないかな。

 僕はお礼を言ってそれを受け取り、パラパラと開いた。

 エレナがアップルティーを用意してくれて、おやつはタルトだった。ナッツが贅沢に使われている。

 しばらく読み進めて、顔を上げると、嬉しそうにエレナが笑っている。

「えっと、何かおかしいですか?」

 いえいえ、とエレナはまだ笑っている。

「アリスさんがよく言っているんです。本好きに好かれる店にしたい、って。十束さんって、まさに本好きって感じじゃないですか。普通だったらミストさんについていけませんよ」

「そんなことないですよ。それに、ついていけるのは僕が乱読家なだけじゃないかと思います」

「乱読家、ですか? でもそれって、すごいです」

 褒められて嬉しがっていいのか、ちょっとわからなかった。

「エレナさんは、どんな本を読むんですか?」

「私ですか?」

 急にモジモジしながら、それでもエレナは答えた。

「私は、漫画とライトノベルです」

「それは僕も好きですよ」

 思わずそう言っていた。エレナはちょっと驚いたようだけど、私、マニアックで、と呟いている。

 それを言ったらミストだってマニアックじゃないか、と思ったけど、それは言わないことにした。

 エレナは乱読家である僕を認めてくれたけど、僕からすれば、心の底から好きな分野が定まっている方が、より深く掘り進むことができて、そしてその掘り進めることが、まさに金鉱を掘るようなものじゃないかと思えるのだ。

 僕はそこらじゅうを掘り返しているけど、浅い穴で、滅多に金脈とは出会えない。

 どうしてそんなことをしているか、よくわからなかった。単純に何かに熱中できないだけか、それとも好奇心が強すぎるだけか。

「またそのうち、面白い漫画を教えてください」

 そういう僕に、ニコニコと笑みを見せてエレナが「はい!」と力強く返事をした。

 アイザック・アシモフはそれから俗典舎で三日をかけて必死に読んだ。その間、ミストは他のウエイトレスから話を聞いているのか、追加で本を渡してこなかった。

 そうして六月も下旬に入った頃、ミストと僕は俗典舎で顔を合わせた。いつかのように賀来さんもいる。

「エレナの漫画の知識は偏っているわよ」

 紅茶を注ぎながら、出し抜けにミストがそんなことを言った。僕はギョッとして彼女を見たけど、彼女は平然としている。

「十束さんは守備範囲が広いから、どうとでもなるでしょうけど」

「それ、褒めてます?」

「私は趣味が広い人間の方が、面白いと思うかな」

 ポットを元に戻して、今度はお皿に焼き団子が置かれてやってきた。守備範囲といえばこの店のおやつの幅こそ、すごく守備範囲が広い気がするけど。

 賀来さんはもう団子に食いついている。さらには串だけが何本も並んでいる。

 その横で僕は、本棚から持ってきたアンディー・ウィアーの「アルテミス」を読んでいた。

 今日も俗典舎は静かだった。



(第2話 了)

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