2-3 不安と心強さ
◆
カウンターで賀来さんと並ぶと、すぐに彼が声をかけてきた。
「ミストとSFについて話したんだって?」
「え? どこで聞いたんですか?」
「そりゃ、アリスからだよ。今朝、偶然にね」
そのアリスは調理室にいるようだった。僕のところへニコルがお茶を用意して、マカロンを三種類乗せた皿を差し出す。
「ミストのSF好きは今時の若い者には珍しいよ」
そんな評価をしつつ、賀来さんが両手でマグカップを持つ。今日はミルクティーである。
「一番好きな作家が星新一、と言っていたよ」
急にそんなことを言われて、どう反応するか迷った。
迷ったのは、下手に笑えば星新一を馬鹿にしているようだからだけど、それとは正反対の感覚もあった。
星新一のショートショートは僕も読んだし、示唆に富んで、独創的で、巧みな作品が多い。
けど本当にSFが好きな読書家が、私は星野新一が一番好きです、というのは逆におかしい気もした。本当にSFが好きなら、もっとマニアックなところへ行くのではないか。
横目で僕を見た賀来さんが何度か頷く。
「十束くんは星新一は嫌いかな?」
「好きも嫌いもないですよ。強いて言えば、嫌いではない、というか。僕はもっと長い話が好きです」
「宇宙英雄ローダンのシリーズみたいに?」
「あれは長すぎます」
私もそう思うね、と賀来さんが破顔する。耐えきれなくなったような笑い方だった。
「ミストが一番好きだと言ったのは、「天の光はすべて星」だよ」
「アニメでも引用されましたね」
「知っているよ。「天元突破グレンラガン」だ。その様子だと、小説は読んでないな」
「ええ、まあ、あまりアンテナに引っかからなくて」
そうだろう、そうだろう、と賀来さんは笑って頷いた。
「フレドリック・ブラウンの「天の光はすべて星」はね、言ってみれば、幻を追いかける話さ。宇宙開発が進んだ近未来で、主人公の老人が、夢を現実にしようとする、とでも言えばいいかな。最後のダイナミックな展開は、記憶に残る」
「楽しい話ですか?」
「楽しい?」
賀来さんの瞳が一瞬、光ったような気がした。
「十束くんは、読書に楽しさを求めるのかい?」
ああ、いや、と言葉に詰まってしまった。
自分がなんて適当なことを口走ったのだろうと、もう後悔していた。
「物語が読みたいだけで、楽しくなくてもいいかもしれませんね。失言でした」
「失言でもないさ。本読みのスタンスを押し付けた私こそ、普通じゃないんだろうねぇ」
苦笑いして、賀来さんは紅茶に口をつけた。
「何にせよね、ミストの趣味は渋いってことさ。浮ついていない。どんな本を好むかでその人間の内面がチラリと見えるのが、読書の面白さだよね。十束くんの好きなSFは?」
僕はじっと考えて、答えた。
「森博嗣の「スカイ・クロラ」です」
「シリーズで?」
「いえ、あの一冊だけでも、すごくいいと思います」
嬉しそうな顔で賀来さんが口元に笑みを浮かべ、マカロンを一つ、口に放り込み咀嚼する。
「「スカイ・クロラ」ね」ミルクティーの水面を見下ろしながら、賀来さんが言う。「あの作品の面白さは、一言では表現できない。独特の死生観と、不死の子どもたちが戦闘機のパイロットになるしかない、という要素が、二重の意味でのメッセージなのかもしれない」
僕はどう答えることもできず、賀来さんの横顔を見ていた。
死生観、という言葉が、昨夜の僕の妄想をまるで指摘しているように思えて、居心地が悪い。居心地が悪いけど、賀来さんが私と同じ世界を知っている、その世界を覗き込んだことがある、というのは、どこか心強かった。
読書家はどことなく孤独を愛するけれど、こうして対面すると、同じ作品を読んだというただ一点で、何故かまるで家族や親友、戦友のような立場に並んで立つものらしい。
僕がそんなことを思ってミルクティーを飲んでいると、すっと一冊の文庫本が差し出された。
フレドリック・ブラウンの「天の光はすべて星」だった。
差し出したのは、ニコルである。
「よろしければ、ご覧になってください」
ありがとう、としどろもどろで返事をする僕の横で、賀来さんがもう邪魔はしないとバンザイして見せる。
その日は僕は閉店までに、集中して「天の光はすべて星」を最後まで読みきった。賀来さんはいつの間にか帰っていて、僕はアリスのピアノでハッと顔を上げたのだった。
アリスとニコルに見送られて、店を出て、電車に乗った。夕暮れの都市を見ている間に、衝動が沸き起こって、僕は新宿で電車を降り、そのまま東口から地上へ出ると、紀伊国屋書店の新宿本店に向かった。
文庫のコーナーで、「天の光はすべて星」を手に取り、レジへ持って行った。
帰りの電車から読み始め、家に帰っても日付が変わるまで、もう一度、読み進めていった。
不思議とこの時は空腹を感じなかったけど、いつの間にか眠っていて、翌朝、空腹で目覚めた。炊飯器にお米をセットしていないので、非常食代わりの袋麺のラーメンを茹でて、それをすすって食事を済ませた。
その日の昼まで本を読み続け、昼食こそ米を炊いて食べた。
ミストは今頃、何をしているんだろう? 休日にこそ忙しい仕事が本業だろうか。それとも、休日に何か外せない用事がある生活をしているのか。
ただ一冊の本で繋がっただけなのに、まるで何年も知り合いのような感じがある。
僕は二周目が終わった文庫本を眺め、その一冊をそっと部屋に積んである本の山の一角に、音もなく置いた。
(続く)
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