Part 8
家鴨高校の決勝進出が決定した翌日。
ヒーロの活躍により、かもめ高校もまた決勝戦へ駒を進めた。そして、その日の内に家鴨高校の宿舎には来客を告げるベルが鳴る。
「はーい! どーなたー?」
きんきんと甲高い声が宿舎のインターホンに響く。軽く耳を押さえながら、告げた。
「……かもめ高校。一色翼だ」
「え!」
「話をしに来た。入れてくれ」
「え、えぇっ!」
ヒーロは家鴨高校の宿舎の前で、堂々と言った。
「ここの部長。秋河って奴はいるか?」
「えー!」
甲高い声はそこで止まり、代わりにインターホンの向こうからはドタバタと騒がしい音が聞こえる。最後に一際大きい、けたけたとした耳障りな笑い声が遠くで響き、それから静かな声で告げられる。
「秋河だ。今からドアを開けるから、少し待ってくれないか?」
「あぁ。わかった」
そして数分後、宿舎のドアが静かに開く。
「ようこそ。我が家鴨高校、機械装甲戦闘部の宿舎へ」
芝居がかった様子で言う秋河が顔を出し、ヒーロを招き入れる。
「あぁ。邪魔するよ」
ヒーロは靴を脱ぐと、置いてあるスリッパを履いて秋河の後を歩く。
のんびりと歩く秋河はヒーロからすると見下ろすような身長で、近くに立てば胸の辺りまでしか頭が来なかった。
「…………」
「……何か気になるものでも?」
ふと、廊下を歩くヒーロに秋河が訊ねた。
「いや、大した事じゃないんだが……」
一瞬だけ言いよどむと、ヒーロは玄関付近の廊下の壁にかけてある大きな旗を指した。
「この旗は?」
「あぁ。それは我が部の部旗だ。何代も前の諸先輩方の時からあるもので、せっかくなので掲げてある」
「そうか……」
紫紺の旗に、蜘蛛の巣模様。髑髏と蛇が描かれている。
「しかしこのセンスは何というか……」
「……皆まで言うな。俺も諸先輩方の手前、未だどうにもできていないが……。この旗はひどいデザインだ。変えられるなら俺がもっと愛らしいものに変えてやりたいといつも思っている」
苦々しい顔で言う秋河。
「そうだな。例えば我が校名にちなんで、可愛らしいアヒルが踊っているようなのはどうだ? こう、お尻を振って銃を構えたりして。あぁ良いな。実に可愛らしい」
お前のセンスも大概だな、という一言をぐっと飲み込んだヒーロは黙って歩く。
「えぇと、話をしに来たとか? ではこの部屋で待っていてくれ。なぁに、我が校は部員が少ないのでな。部屋が余っているんだ。……と、それはかもめ高校も同じだったか?」
とある一室を案内すると、秋河がそのドアを開ける。
「茶くらい飲んで行くだろう? 今用意す……」
ドアを開けた秋河が目を丸くしたのをヒーロは見た。
しかし部屋の中に視線を移すと、ヒーロもまた驚いて何も言えなかった。
その部屋は元は応接室のような造りだったのだろう。大きな窓に、テーブルとソファーがあるだけで他に家具はないシンプルな部屋だ。
だが今は遮光カーテンが陽光を遮り、代わりに暗くなった部屋を紫色の照明が照らしている。
テーブルとソファの脚は人骨のような物が巻き付き、置いてあったグラスは蛇が巻き付いたようなデザインである。甘ったるい香りの煙が部屋には漂い、おどろおどろしい旋律の音楽がどこからともなく流れている。おそらく部屋の隅に隠すように置いてある音楽プレイヤーだろう。
絵に描いたような邪悪で禍々しい部屋には、革張りのソファにナッツが腰かけていた。
制服ではなく、タイトな革製ジャンパーと異様に露出の高い服で脚を組んでいる。
メイクがやたらと濃い。
「んっふん? ようこそ、家鴨高校へ。ここはさしずめ、悪魔の……」
身体をくねらせて何か言いかけたナッツを無視するように、そこで秋河がドアを閉めた。
「茶を入れるならキッチンの方が良かったな。そちらに案内しよう」
「……今のは一体なん……」
「どうした? 何か見たのか?」
「いや何かも何も、今のは一体なん……」
「はて。我が部員共には、客をもてなす用意をとだけ伝えてあったんだが……。果たしてどこで何をしているのやら。何分恥ずかしがり屋なものでな。姿を見せない事を許してやってくれ」
秋河はあくまで何もなかった、誰もいなかった、という事にしてヒーロをキッチンに案内する。
今度こそ誰もおらず、普段は食卓に使っているテーブルと椅子を用意。
「ま、座ってくれ。……珈琲と紅茶はどっちが? それともコーラやサイダーなんかの方が?」
「何でも良い。それよりも……」
「あぁ、それなら良い豆がある。ホットで良いか? すぐに用意しよう」
それだけ話すと、秋河はヒーロの目の前で静かに珈琲を淹れ始めた。珈琲豆の良い香りが部屋に広がる。
「さて。珈琲ができるまで間がある。話があるなら、聞こうか?」
食器棚からカップを探す秋河は背を向けたまま言った。
「あぁ。なら単刀直入に聞くぜ」
そこでようやくヒーロは本題に入る。
「お前ら、今まで何してきた」
「…………」
ヒーロの問いに、背を向けたまま沈黙する秋河。そしてカップを二つ手に取って振り返ると、口角を持ち上げた。
「何、とはどういう意味だ?」
「白々しいんだよ、今さら。もう大体わかってんだ。トドロキからも話を聞いてる」
「さてさて……。ま、とぼける事もできるんだが……。そういう言葉遊びをしに来たわけでもなさそうだ」
秋河は顎に軽く手を当て、僅かに何かを考える素振り。それからヒーロを見据えて言う。
「一回戦。相手高校は集団食中毒で棄権。二回戦。宿舎もろとも機装が焼けて棄権。準決勝。敵の機装が自爆して勝利。……と言う、我が部の華々しい勝因について聞きたいわけだな?」
ぴり、と空気が張り詰めた。
「あぁ。そして、それをお前がどう思ってるかを確認しに来た」
「どうも何も……。我が部は全力を出して戦い、そして勝利した、としか言いようがないんだが……」
瞬間、ヒーロは食卓テーブルに拳を叩き付けた。秋河が冷めた視線でそれを見る。
「ふざけてんのか……! 何が全力だ……。お前らは一回もまともに戦ってねえ。単なる卑怯者じゃねぇか……! その全力も出せずにあいつらは負けたんだ。あいつらに対して、悪いとも思ってねぇのかよ!」
ヒーロの怒りに対して、秋河は首を振って答える。
「なるほど? どうやら見解の相違。そもそもの前提を違えて考えているらしい。これはどうしたものか……」
うーんと一声唸ると、秋河は珈琲を淹れながら続ける。
「一色翼。まずは怒らず、冷静に聞いてくれ。それと、今の俺にお前を怒らせる意図はなく、何もここで喧嘩をしようと思って言っているわけじゃないと、そう理解した上で聞いてもらいたい。まずはそこまで構わないか?」
「あぁ……。良いだろう。聞くだけ聞いてやる」
「すまんな。ではせっかく淹れたんだ。一杯くらい飲んで行ってくれ」
「いらねぇよ。それよりも話を続けろ」
「怒るな、と言ったろう。落ち着くんだ。まずは出されたものを飲め。腰を据えて話をしてやる」
言いながら秋河はヒーロの前に湯気のたつ珈琲を置くと、対面に座って自らも珈琲をすすった。
「うむ。やはり良い豆だ」
「…………」
「なんだ、飲まないのか? ……と、そうか。すまん。気がきかなかったな。砂糖とミルクが要るなら出そう」
「いらねぇよ」
言うと、ヒーロはカップに手をかけて一息に半分ばかし飲み、乱雑にカップを置く。
そもそもヒーロには珈琲を飲む習慣などなく、珈琲の味など全くわからなかった。が、話を続けるためにも口に残る苦味を耐えながら秋河を睨む。
「はぁ……。もっと味わって欲しいものだが……仕方ない。では、話を続けよう」
「おう」
「そもそも、だ。まともに戦うだの何だのと言うが、果たしてまともとは何だ?」
「は……?」
「互いに全力を出し、その優劣を決める。それこそが勝負の本質ではないのか?」
「あぁそうだ。で、お前はその全力を……」
「出したではないか」
秋河はきょとんとした顔で言う。
「我々は全力を出した。当然だ。全力を尽くさないなど、相手に対して失礼だろう。我々は持てる力、策略、全てを勝つために費やした。正真正銘の全力だ」
そして続ける。
「だが、どいつもこいつも一体なんだ。試合そのもので勝負するつもりしかない。そんなものを、勝つために全力を出しているなどと呼べるのか? 俺に言わせれば、真剣にやってないのは連中の方だ」
やれやれと首を振って、再びカップに口を付ける。
「で、一色翼。卑怯者だと罵りに来たらしいが、つまりそれで何が言いたい。我々に敗北した連中に、今から詫びろとでも言いたいのか? あるいは決勝を放棄しろとでも?」
秋河は淡々と言う。
「まさかとは思うが、こんなやり方で勝って嬉しいのか、なんて言うんじゃないだろうな? だとすると失望だな。そもそも論点がズレている。俺はただ純粋に、戦いに勝つための努力を、弱い己が強者を倒すための策を、相手に敬意を払い全力で行うだけ。ただそれだけの事。ヒーロ。お前だって、射撃が得意な敵に刀剣で襲い掛かるだろう? それは何故か。お前が近接に強く、敵が近接に弱いからだ。しかしそれは弱点を突く事でありながら、同時に非難される事ではない。当然だ。お前は勝つための最善としてそうしたのだから。そんなお前に、負けた側や外野が、そんなやり方で勝って嬉しいか、などと言うのはおかしな話だろう? もしその理論で行くならば、お前はわざわざ相手の得意分野に攻め込まねばならない。人には得手不得手があるのだ。己の得意分野を使い、敵の苦手な物で戦う。勝負で全力を出すというのは、そういう事でもあるはずだ」
そこで言葉を区切る秋河に、ヒーロが言う。
「そりゃスポーツじゃねぇ。勝つために機装やってんじゃない。機装が好きだから、機装やるために機装やってんだ。機装でどっちが強いのかを決めるために、俺たちは勝負してんだ。俺からすれば、お前だけその勝負から逃げてる」
「なんと」
秋河は驚いたように目を丸くする。
「思ってんのはお前だけとか、それこそなしだぞ。たとえ俺だけだって、それでも俺からすりゃ勝負を真剣にやってないのはお前の方だ」
「なら、弱者であっても勝つための手段を選べと? それは強者の傲慢だな。ヒーロよ。お前にその理を語る事は許されないんだよ」
鼻で笑うようなポーズを取る秋河。
「お前の経歴は調べたぞ。大した華々しい活躍だな。くっく、通りで去年までかもめ高校がノーマークだったわけだ。こんな事が実際に起こるなど、わからんものだなぁ。他の者は知っているのか? お前の過去を」
「どういう意味だ……。俺の経歴? 過去? 一度だって俺はやましい事をした記憶はねぇ。お前と一緒にすんなよ」
ヒーロが言うと、途端に秋河は強く睨みつけた。ぎ、と歯を噛みしてまで睨む。
「その通り。お前と俺は一緒など到底言えない。お前には勝負について語る資格すらない」
カップを叩き付けるように置くと、秋河は一呼吸置いてから言った。
「お前、機装を始めて半年しか経ってないだろ」
続ける。
「そして、この半年間。機装で一度も負けた事がないんだってな」
「それが……それが何だ。やってきた時間じゃねぇだろ! お前のした事は……」
「時間なんだよ!」
今度こそ秋河は拳をテーブルに落とした。
「前はボクシング。その前はテニス。その前は卓球。その前は剣道! 一色翼! お前は次々と様々な競技に助っ人と称して手を出しては、その悉くで無敗。どれだけそれに全てを懸け、時間を費やし、心身を削ろうと、お前はそれを嘲笑うように一蹴してみせるのだ! 今回は何だ? かもめ高校の機装部に頼まれたのか? 大方、お優しいお前は病気で療養中の部員に代わって出場し、そのままここまで来てしまったのだろうよ!」
感情のまま話す事に耐えかねた秋河は、自嘲気味に芝居がかった様子で手を広げた。
「なんたる、あぁなんたる才能! 全てにおいて無敵無敗! 誰もが年単位で時間をかけ、それでも届かない高み! しかしお前はたった半年だけで、ここまで到達したのだ! さぞ神に愛されたのだろう!」
そして手を下げてカップを手に取る。秋河はその揺れる波紋に自分の表情を映した。
「つまり。俺の言いたい事がわかるか? 一色翼よ」
「……言ってみろ」
「持った事しかない者が、勝った事しかない者が、そんな者が。持たざる、勝たざる者の、勝つための努力を馬鹿にするな」
ヒーロは秋河の目を正面から見返すと、テーブルに手をついて立ち上がった。
「それがお前の答えか」
「無論。お前の全てを否定してやる」
両者の考えが決定的に一致しない事がわかると、ヒーロは口元に笑みをたたえ、不敵に笑った。
「次の決勝戦。全力でかかって来いよ」
「ほぉ? 我が校の流儀でよろしいかな?」
「あぁ。それで、そいつを俺流のやり方で叩き潰してやる。後で何の文句も言えないくらい、全力で勝ちに来い」
「良いだろう。後悔するなよ? 言ったからには、既に始まっているからな」
「どうやら、俺の経歴とやらを調べた割りに、肝心な事をもう忘れてるみたいだな」
ヒーロは笑みを獰猛なものに変え、秋河に言う。
「敢えて言ってやる。俺はお前の言う、天才だ。一度も負けた事がねぇのに、今更お前がコソコソやったくらいで負けるかよ」
「……なるほど? 少しくらいは普通の顔もできるじゃないか」
長髪の隙間から覗く秋河の目が、ヒーロと視線を交わす。
「では……決勝でこの決着を」
「あぁ」
決勝戦、果たしてどちらが勝つのかを決する。
ヒーロは不敵な笑みのまま帰り支度を始めた。
秋河との間に奇妙な、友情では決してない、しかし敵意や憎悪とも違った奇妙な感情を抱えたまま。
秋河とヒーロは、互いの全力を認め合った。
「と、思ったろ?」
瞬間、ヒーロの記憶はそこで途切れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます