私の願い

@toumorokosi-cha

第1話

「実は、話したいことがあるんだ」

あーついにこの時がきてしまったか。逃げたかった。ある意味穴があれば入りたかった。

「多分何かわかるよ。、、babey?」

"赤ちゃん"って言葉が出てこなかった。いや、本当は出てきていたけど言うのが怖かった。言えなかった。まるでそれが卑猥な言葉であるかのように。誰やったかが日本語ではなかなか言えない言葉でも英語では言えるって言ってたな。「大好き」って恥ずかしくて言えない人でも「I love you」なら言えるって。これも同じ現象やったんかな。

「え!なんでわかったん?」


           *


私は戸籍上の新しい父親が好きではなかった。なにが嫌なのか明確に答えろと言われれば答えられないが、とにかく好きではないのだ。

初めて私に紹介されたとき、一番最初に思ったのは「今までの人とは違うタイプやな」だった。

 私は今まで母の"友達"を少なくとも3人はみてきた(まだいたような気もするがもう忘れた)。1人は頼りなさそうな「茶髪の人」1人は犬を二匹飼っていた「犬の人」1人は記憶に新しい「妹の父親」。一人一人私の中でのあだ名は違っていたが皆一様にチャラチャラしていて行ったことはないがホストにいそうな人だなと思った。

だから母に「一緒にご飯に行ってみない?」と誘われたときはまた同じ系統の人が来るのだろう思っていた。しかし現れたのは顎が出ていてお世辞にもかっこいいとは言えないが真面目そうな「顎の人」だった。


私は母のことが好きだった。私がまだ小さな時に離婚をし女手一つで大変ななか私を育ててくれ、休みの日にはいろんな場所に連れてってたくさん遊んでくれた。保育園のお迎えがちょっぴり遅く、お友達みんなが帰って暗い部屋で園長先生と二人きりで待つことばかりでも私は母が大好きだった。母と二人でいる時間が私の一番幸せな時間だった。

 それでも私は、母が"女"になる時だけはどうしても好きにはなれなかった。今まで会ってきた"友達"の前と同様「顎の人」の前でも母は"女"になった。それが気持ち悪かった。自分の親が母親である以前に一人の女性なのだと見せつけられる時ほど胸のすっきりしないことはないのではと思えてくるほどに。


それから母はいろんなものを手にしていった。共同で使うという新しい大きな車、誕生日にもらったという鞄に財布。お揃いだというスマホのケース。そのどれもは私の気持ちを虚しくするには十分だった。私が今まで母にプレゼントしたものはどれも到底それらには敵わなかった。そして遂には指輪とともに新しい姓ももらったのだ。それが意味することを高校生となる私はもう理解していた。 

 高校からは学校の寮に入ることが決まっていた私は同じの屋根の下に入ることはなかったが、寂しくはなかった。それよりもあの人と同じ家に住まなくてよいという安心感の方が強かった。

 家族であることをアピールするかのように名を呼び捨て、笑っているのに笑っていない眼で私を見下し、価値観の合わない考えを押しつけられる毎日があったとするならば私には家に帰らないか精神を病むの二択しか選択肢はなかっただろう。


ある時もうすぐ9歳になる妹が私に聞いてきた「本当のパパって?」と。どういう話の流れだったのかは覚えていないが、妹の本当の父親と今の父親は一緒ではないことを私が遠回しに言ってしまったのだ。私はてっきりそのことを母は伝えているものだと思っていたため、妹が私に何を聞いているのかが理解できなかった。返答に困っているとその会話を隣で聞いていた母が「なんでもないよ」と少し慌てた様子で妹に答えていた。その言葉で私は全てを理解した。母たちは今の父親を本当の父親だと妹に教えこんでいるのだ。まるで洗脳ではないか。

 今になって思えばまだ物心がついたかついてないかという歳の妹にこれらを理解してもらうのは少し難しいことだったのかもしれない。それでも妹が大きくなった時にふと思うのではないだろうか。「あれ、どうして小さい頃の写真にパパは写っていないのだろう」「どうして私とパパはこんなにも顔が似ていないのだろう」と。その事実に気づいたときに一番傷つくのは他でもない妹自身なのに。

 妹は下の兄弟を欲しがっていた。末っ子にはよくある希望なのだろうけど、私はそのことが辛かったし怖かった。妹がどういう思考回路でそう考えたのかやあの人の遺伝子が後世にも残されることを考えるだけでおぞましかった。

 まもなく妹の希望は叶えられることをこの時の私はまだ知らなかった。


          *


母と会うことは頻回ではないものの、久しぶりに会うたびに母のお腹は着実に大きくなっていた。まるで私が感じている不安と恐怖をそのまま目に見える形にしたかのように。「名前は何にしようか?」「男の子か〜育てたことないしな」と嬉しそうに話す母に私はしっかり笑顔を作ることはできていたのだろうか。

 母のお腹に宿るこの小さな生命体はあの人の遺伝子も受け継いでいるのか。きっと顎も出ているのだろうな。

 弟ができたことはあの人とは切っても切り離せない関係にまで達してしまったのだということを私にこの上なく実感させた。そしてなんの罪もないその子に私は絶望と共に小さな怒りを感じていた。「どうして母を選んだのか。他でもよかったではないか」そんな気持ちを抱えた姉のもとにそれでも弟は産み落とされたのだ。


初めての対面は弟がもうすぐ3ヶ月になろうかという頃だった。母が学校まで迎えに来てくれた車に私は緊張、絶望、不安。ありとあらゆる感情を胸に近づいていった。そしてそこには小さな赤ちゃんを抱いた母が立っていた。「久しぶり」そう声をかけた母は笑顔と共に赤ちゃんを私に抱かせてきた。

 不思議なことに私はなんの違和感も手間取りなくその子を抱くことができた。

健やかな匂いを孕み温かな体温を伝えるその子から私は目が離せなかった。

 そして思ったのだ。


「この子には幸せになってほしい」

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