意外と押しには弱いです
「ま……お嬢様、一体何を考えていらっしゃるのですか!」
道中、前を行く3人から距離を取って、魔剣士ジェノワーズは魔王シフォンの耳へと唇を寄せる。くすぐったそうに体をよじって、シフォンは事もな気に「何が?」と言った。
「何が?ではありません。魔王ともあろう方が、勇者に手を貸して、あろうことか魔王軍の拠点を潰すなんて……。」
「ああ、その事ね。大丈夫よ。あんたは心配せず、私に着いて来なさい!」
「お嬢様……。」
やけに自信満々で悪びれのないシフォンの様子が引っかかって、ジェノワーズの頭に一つの可能性が閃く。もしかして、これから向かう魔王軍拠点とやらも、魔王様が仰る「モン犯」というやつなのだろうか。
魔王軍の名を騙ってやりたい放題するモンスター犯罪者軍団、略して「モン犯」なのだとしたら、魔王の気安さにも説明がつく。つまりこれは、運動の続きなのだ。運動の続きで、ちょっと気になる人が現れたから、一緒にジョギングをしているだけなのだ。
そもそも、魔王であれば軍がどこに展開しているのか完全に把握しているはずなので、魔王軍と名乗りを上げる者が「本物」か「偽物」かは、行動の概要を聞いただけでも分かるのだろう。
「分かりました、お嬢様。私めが浅はかでした。」
「え、突然なあに?別にあんたは何も気に病まなくてもいいのよ。それより、ちょっと聞いて!」
シフォンがぴょんと可愛らしく飛び上がって、ジェノワーズの耳元に顔を寄せる。少し屈んで耳を傾けてあげると、魔王は顔を赤く上気させて目を潤ませた。
「私、カフェで思わず、ルイスに好きって言っちゃった。」
言ったかな……?とジェノワーズはその時のことを思い出す。勇者とスイーツを食べて、ルイスの身の上を聞いて、王子が歯軋りをして……。そうしてようやく思い当たる。ルイスをお嬢ちゃんと揶揄った勇者エドウィンに指を突きつけて、シフォンが放った一言。
「『オークから庇ってくれたルイスが好きだもの!』でしたか。」
「ちょっと、やめてよ!思い出しても恥ずかしい!こんなところで言うつもりじゃなかったの。……ねぇ、ルイスどう思ったのかしら。」
シフォンの問いに、先を行くルイスの背中をじっと見つめて考えてみる。その視線には全く気がついていないルイスは、無邪気に王子と世間話をしていた。漏れ聞こえてくる言葉を聞くに、秋になったら美味しい果物の話とかをしている。
代わりに、ジェノワーズの視線に気がついた勇者エドウィンが二人をチラリと振り返って、ニコリと笑って手を振った。
どうしていいか分からずに、目をパチクリさせるジェノワーズの横で、平然と魔王が手を振り返した。
「お嬢様!?相手は勇者ですよ!?」
「別に構わないでしょ。敵対しているけれど、仲良くしちゃダメって道理もないし。」
「それは矛盾しすぎでは!」
「この世に二面を持たないものはないわ。それに、ルイスのお友達に無愛想な子って思われたくないもの。」
明るい太陽の下、勇者と魔王が微笑みながら手を振り合う奇妙な光景。いろいろ問題がありそうな状態を目の前にして、ジェノワーズはくらりと目眩を覚える。本当にこれでいいのだろうか。いや、魔王がいいと言っているのだから、別にいいのだが……。
「ジェノワーズ、私どうしたらいいんだろう。」
「は、どうしたら……とは?」
シフォンが小さくため息をつく。勇者はもう既に前を向いて、ニコル王子とルイスの会話に加わっていた。
「ルイス、故郷に恋人とかいるのかしら。」
もっと他に考えなければならないことが沢山あるのでは?とジェノワーズは思ったが、もちろん口にはしない。
「ええと。」
「勢いでついてきてしまったけれど、私ルイスのこと何も知らないのよね。」
会ってまだ数時間しか経っていないのだから当然なのだが、まるでさも重大な悩みであるかのようにシフォンは暗い顔をする。ジェノワーズとしては、正直なんと答えて良いものか分からなかったが、返事をしないわけにもいかないので、必死で意見を捻り出した。
「そうですね……、生まれ故郷から一人逃げ延びてきたわけですし、いない可能性が高いかと思います。」
「でもでも、勇者と王子と出会った村にはいたかもしれない。」
「ええ、確かにそうかもしれませんね。」
ジェノワーズが肯定すると、シフォンは再びしょんぼりと肩を落とした。普段であれば誰の意見も聞かずに直走るくせに、今回に限ってこういう反応をするものだから、ジェノワーズの小さな親切が疼く。
「本人に聞いてみるのがよろしいでしょう。」
「そ、そんなの聞けないわ!だって、親しくもないし……。」
「私もそう思います。恋人のことを聞くためには、まず彼と親しくなることが重要かと思われます。そうすると、彼らから離れてこうもコソコソと2人で喋っていてはいけないでしょうね。」
腹は決まった。
おおよそ歓迎すべき事態ではないが、上司である魔王がここまであの平民を切望しているのだ。なら、彼の敵討ちをするまでは、きっちりと友好関係を築こう。勇者一行と手を組んだなんて仲間にバレたら、どんな陰口を叩かれるか分かった物ではないが、そこは魔王がどうにかしてくれるだろう。そういうところで、彼女は信用ができる。
ジェノワーズは少し足を早める。後ろを魔王がついてくるのを確認してから、前を行く3人へと声をかけた。
「目的の魔王軍拠点というのは、ここから遠いのですか?」
「そんなに遠くはありません。この山を1つ超えた先にある街ですよ。」
彼女の問いかけに答えたのは、ニコル王子だった。彼は長く伸びる街道の先に見える、小高い山を指差した。
「この山が、人魔戦争の最前線です。これを越えれば魔王軍の占領地、こちら側が人間軍。件の街は、もともとは人間領だったのですが、数年前に占領されましてね。今は魔族が拠点としていますが、まだ人が住んでいるはずです。」
苦い顔をするニコル王子をチラリと見上げて、魔王が言う。
「お詳しいのね。」
「私はこれでも王族ですから。戦況は把握しておりますよ。尤も、今は新しい情報を手に入れにくい立場ですが。」
遠い目をしたニコル王子が山の向こうに広がる青空を見る。つられてシフォンも空を見上げたが、そこには何もない。ただ、山の頂きから一本の煙が立ち昇るばかりだった。
「ですから、山越えに入る前に、宿場町で休息をとることをご提案します。作戦も立てなければなりませんし。」
「ああ、思い出した!」
ポンとシフォンが手を叩く。
「私、新しい剣が欲しかったのよ。すっかり忘れてた。」
「あれ?シフォンちゃん魔術師だって言ってなかったか?」
シフォンの言葉に勇者が首を傾げる。
「そうなんだけどね、諸事情で剣を使いたい気分なの。」
「諸事情……。」
何かを勘違いしたらしい王子が痛ましげに顔を歪めた。シフォンとしても、不名誉の極みである自信の肌荒れ事情を説明するつもりは毛頭なく、どんな勘違いをされようが白状するのに比べたら到底マシだと割り切っているので、キッパリと無視を決め込む。気を取り直した王子が「では、僭越ながら。」と胸に手を当てて微笑んだ。
「私にお供させて下さい。かの宿場町は最前線にある最後の人の拠点ですので、王国肝入りの様々な軍備が集まっております。私の地位が役に立つこともあるかと。」
「ごめんなさい、王子。」
にこりと可愛らしく、しかしさっぱりとした声でシフォンが言う。
「剣の見立てはジェノワーズにお願いしていたの。彼女と行くわ。」
彼女の言葉に一番驚いたのは、当のジェノワーズだった。先程の話の流れからいくと、これは魔王がルイスをデートに誘う絶好のチャンスなのだ。共に旅路を行くということは、常に周りには仲間がいる環境に身を置くということで、つまり魔王がルイスと2人きりになれるチャンスというのは酷く少ない。これは、そんな数少ないチャンスのうちの1つであったはずなのに、それを自ら捨てるだなんて。
「お嬢様、よろしいのですか?」
「よろしいも、よろしくないも、もともとあなたとの約束だったはずよ。それとも何?選んでくれないのかしら?」
「いえ、そういうわけではなく!」
戸惑うジェノワーズと、わざとらしくそっぽを向くシフォン。女性二人が連れ立つというのであれば、もうこれ以上強く誘うわけにもいかなくなって、デートの誘いを断られたニコル王子は残念そうに肩を落とした。彼の肩を楽しそうに勇者エドウィンが叩く。
「あの。」
その時、ルイスが声を上げた。一人思い詰めたように表情硬く、拳を握り締めていた。
「僕も一緒に連れていってもらえませんか。」
「あなたを?」
ジェノワーズがそう問うと、彼はしっかりと頷いた。
失礼に思いながらも彼の装備に目をやる。腰に下がった剣は、お世辞にも良い物とはいえなかったが、使い込まれた形跡はある。戦闘前にメンテナンスでも頼むのだろうか、と勘ぐりつつ、別にルイスが何をしようが自分にはあまり関係がないので、とにかくここは魔王に意見を求める。
「どうされますか、お嬢様。私は構いませんが。」
「まっ……ルイ……えっ……!?」
予想外にも、シフォンは耳を真っ赤にして立ち竦んでいた。
上手に言葉を紡げない様子から察するに、相当戸惑っているらしい。ジェノワーズはこれほどまでに動揺した彼女を見たことがない。先代魔王との跡目争いの時だって、飄々と力を奮っていたのだ。
魔王は、押すのは良いが押されるのは苦手なタイプだった。
「い、一緒に来てくれるの……?」
深呼吸をしたシフォンが問いかける。ルイスはそれに「迷惑かな。」と眉を下げた。
「いいえ。いいえ!ごめんなさい!そうじゃないの。ちょっと、びっくりして。」
一度は恥ずかしそうに視線を下げたシフォンが、意を決したように上目遣いでルイスを見上げる。隣で王子がうめき声を上げた。
「私も、一緒に行きたいわ。」
「ありがとう、シフォンちゃん。」
表情を和らげて、ルイスはまるで日向に咲いた野花のように笑う。シフォンがあわあわと言葉にならない悲鳴を上げた。相変わらず顔はマスカレードマスクに隠れているが、その下ではひどく赤面しているのだろう。
もっとも、ジェノワーズにはルイスの魅力が微塵も分からないので、なんだこれ……という感想しか浮かんでこない。ぶっちゃけ上司の恋愛なんて見ても楽しくない。なんだこれ。
「じゃあ宿場町に着いたら、ルイスは女の子二人と武器屋。俺は王子様と二人で山越えの準備か。俺もそっちがよかったなぁ。」
空気を読んでの行いなのか、全く空気を読む気がないのか、勇者があっけらかんと言い放って王子と肩を組む。項垂れていた王子は、強い力で回された腕を嫌そうに外した。
「暗くなる前には町に入りたいですね。この辺りは夜になると魔獣が出ますから。」
王子の聞き慣れない言葉に、ジェノワーズは首を傾げる。魔獣とは、一体なんのことだろうか。魔というからには魔王軍に属するものなのだろうが、そういったものが所属する機関に、ジェノワーズは覚えがない。魔剣士たる自分が存在を知らず、人間が警戒する獣というのが存在するとすれば、それは……。
「モン犯?」
「なんて?」
ポロリと溢れた独り言を勇者エドウィンが拾う。悪気なく聞き返してくるエドウィンに、なんでもないと手を振りながらジェノワーズは言葉を繕った。
「この辺りには魔獣が出るのですか?そのような話は、これまで聞いたことがなかったのですが。」
魔王軍に所属する身としては、どのようなモンスターに人間が苦しめられていても、別段問題にはならない。むしろ、こちらが兵力を割かずに相手が疲弊してくれるなら、放置してもいいとさえ思っていた。モン犯を狩っているのだって、目的は魔王の運動不足解消であって、本質ではないのだ。それでもジェノワーズが魔獣に関して問いかけたのは、純粋な興味からだった。その興味が藪を突いて蛇を出すともしらずに。
「私も話を聞いたのは最近のことですから、まだ遠方には伝わっていないのでしょう。近隣の都市で記録を見ただけですが、かなり被害が報告されているようですよ。性別年齢関係なく、夜になれば食い荒らされる……。相手は獣ですからね、もともと区別はしないのでしょうが、人々は恐怖に震えています。」
「酷いですね。」
小指の爪ほども思ってはいなかったが、できるだけ気の毒そうに聞こえるようにジェノワーズは感情を絞り出す。ニコル王子はそれに気づくことなく「まったくです。」と悲しげに首を振った。
「魔王軍というのは、本質的に非道なのだと思い知られます。魔族と人と獣を掛け合わせるなど、考えただけでもおぞましい。敵ながら、よく思いつくものです。」
魔王女陛下、平民に恋をする。 げんまえび @genmaebi
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