勇者でした
魔剣士は、入り口から駆けてきた男が「危ない!」と叫んで魔王を突き飛ばし、地面をゴロゴロと転がっていくのを見て、咄嗟に
「魔王女様!」
と叫んだ。禁止されていた呼び名であったが、非常事態に慌てて、口を突いて出てしまったのだ。
次の瞬間、魔王女が立っていた場所に1本の矢が突き刺さる。そして間髪入れず、今度は魔剣士に、どこからともなく数本の矢が襲い掛かった。
オークの残党か。
魔剣士は頭の隅で思う。体は勝手に動いていた。半身をずらして幾本かの矢を避けると、避けきれなかった分は剣を一振りして払う。実に呆気なく、矢尻は宙を舞った。魔王のことが気になったが、誰かに突き飛ばされた程度で死ぬような方でもないし、と結論づけて先にオークを始末しようと剣を構える。
魔王と魔剣士が初め隠れていた岩陰のあたりで、弓矢を担いだオーク2匹が踵を返して逃げ出すのが見えた。
「逃さない。」
魔剣士が飛び出す。彼女は瞬く間に2匹に追いつくと、一方を後ろから剣でなぎ払う。背中から斬りかかられたオークは、断末魔と共に地に伏した。その間にも、離れていくもう片方のオークに狙いを定め、再び地面を蹴ろうとして——。
「なかなか腕が立つじゃないか!」
1人の男がオークの正面に立ちはだかる。見たところ、人間のようだった。精悍な顔立ちのその男は、腰からスラリと長剣を抜くと、ゆっくり振りかぶる。狭く薄暗い洞窟の中で、まるで天を突くように剣を真っ直ぐ振り上げた男は、ひたりとオークを見据えると、静かな声で吠えた。
「起きろ、白聖剣ウィステリア。」
男が構えた長剣が、眩い光を放つ。まるで大地に降り注ぐ日光のように、燦々と暖かな光が洞窟中を照らしたかと思うと、その光は次第に刀身へと収縮し、一本の帯になる。
その様子を、魔剣士は緊張した面持ちで見つめていた。
白聖剣ウィステリア。その名前には聞き覚えがある。人間が後生大事に抱えている、稀代の聖剣の名前。あらゆる魔性を浄化すると伝えられる、対魔王用最終兵器。
それがなぜ、こんなところに……。
「オラァ!!!」
男が渾身の掛け声と共に剣を振り下ろした。目が眩むような眩い閃光が辺りに炸裂して、魔剣士は思わず顔を庇って目を閉じる。
そして、再び目を開けた時、そこには既にオークの姿はなかった。
「今のが、白聖剣の力……。」
「そこの剣士、大丈夫か?」
剣を鞘に戻した男が、まるで何でもないようにピョコリと片手を上げる。辺りは、普通の暗くて狭い洞窟に戻っていた。
気安い態度でこちらへ歩み寄ってきた男は、魔剣士を見て気のいい笑顔を浮かべる。
「獲物を横取りして悪かったな。」
「い、いえ。御助力、感謝します。それで、あなたは一体……?」
こんな辺境の森の奥にある、打ち捨てられた洞窟には似つかわしくない剣を振るう男。その正体が気になって、魔剣士はじっと男の顔をみた。彼女の不躾な視線にも、全く気を悪くした様子がない男は、人好きのする笑みをそのままに、視線を明後日の方向へ逸らすと、困った口調で言った。
「えーっと、俺は……。」
「勇者殿!勝手に進まれては困ります!」
勇者と呼ばれた男の背後から、優男が飛び出してくる。端正な顔立ちを顰めて、息を切らしながら金糸の髪を掻き上げた男は、魔剣士がひと目見ただけでも上等な服を着ていた。
「悪かったって。ルイスの奴が走って行ったもんだから、放っておくわけにもいかなくてさぁ。」
「あの人の無謀さも困ったものですが、あなたの無自覚さに比べたら幾分可愛らしいですよ。それで、当のルイスは……おや、この方は?」
優男の目が魔剣士を捕らえる。
正直、魔剣士は困惑していた。今、この優男は間違いなく、目の前の剣士を「勇者」と呼んだのだ。それはつまり、魔王に立ち向かうべく使命を与えられた男が、対魔王用最終兵器を持参しているということで、つまり、完全に敵である。
ここで名乗りを上げるのはまずい。
脳の中の魔王も「外交問題に発展するわ!」と自慢げに叫んでいる。
「えっと、わたくしは……。さる御方の護衛として、オーク退治をですね……。」
しどろもどろに答えを探す。魔剣士は、誤魔化すとか嘘をつくのがとても苦手であった。
「と、仰いますと?」
キョトンとした顔で、悪気なく優男が先を促す。隣で、勇者が苦笑いした。
「いや、言い淀んでんだから聞いてやるなよ。」
「しかし勇者殿、このような盗賊団のアジトに女性1人でいるのを放っておくわけにはいきませんでしょう。よろしければ、近くの村まで我々がご案内いたしますよ、お嬢さん。」
「お、おじょ……!」
魔剣士は、女性扱いされるのも苦手であった。
目を白黒させる魔剣士の眼前に膝をつくと、優男は魔剣士の手を取って言った。
「ご安心を。怪しい者ではありません。私はクライア王国の第二王子、ニコラス=セレスティアル・ド・クライアと申します。」
にっこりと優雅な笑みを浮かべるニコルを見て、魔剣士は「ヒッ!」と小さな悲鳴を上げた。
今、この男、自分のことを第二王子と言った気がする。どうして第二王子と勇者が連れ立って、こんな洞窟にいる!?
事は、もう魔剣士の手に負える事態ではなくなっていた。逃げるにしても、戦うにしても、これはもう上司の判断がなければどうにもならない。どうはぐらかせばいいのかも分からずに、ただあたふたと無意味に手を上下させる。
「ええと、私は——。」
「ジェノワーズ!あなた、大丈夫!?」
聞き慣れた声が、聞いたことのない名前を呼んだ。間違いなく魔王の声だったが、彼女の口にした名前にはてんで覚えがない。はて、誰のことだろうかと魔剣士が振り向いた先には、キラキラの笑顔を浮かべながら、すごい勢いで突進してくる魔王がいた。
「魔王女様!?いたっ…痛い!」
「こっちに来なさいジェノワーズ!怪我の様子を見てあげる!こっち!」
魔王は鳩尾に頭からタックルをかまして、怯んだ魔剣士をぐいぐいと引っ張っていく。何が何だか分からないうちに、男2人から引き離されて、洞窟の隅へと追いやられた魔剣士は、強引に肩を組んでくる魔王に合わせて、少しだけ腰を落とした。
「いいかしら?あなたの名前は今からジェノワーズよ。私の事はシフォンと呼びなさい。」
「お待ちください魔王女様、何が何だかさっぱりわかりません。何です、シフォンって。」
「シフォンケーキのシフォンに決まってるじゃない!間違っても、魔王なんて呼ばないでよね。」
「なぁ、さっき剣士の嬢ちゃん魔王って言わなかった?」
勇者が2人を見て首を傾げる。慌てて魔王女改め、魔王改め、シフォンが首を振る。
「いいえ、聞き間違いじゃないかしら。うちのジェノワーズは『まぁ、お嬢様』と言ったのよ。ね。」
「ええ、はい、その通りでございます。ま……お嬢様……。」
女魔剣士改め、魔剣士改め、ジェノワーズも慌ててそれに同意した。
「うーん、それならいいんだけど。」
特に拘りなく聞き間違い説を受け入れた勇者は、それにも関わらずじっとシフォンの方を見る。「まだ何かあるのかしら?」と優雅な笑みを浮かべたシフォンに促されて、勇者がおずおずと言葉を紡ぐ。
「いや、その……。ちっちゃい方のお嬢ちゃん、何で派手な仮面してるのかなぁって。」
——ビシッ
シフォンが石化した。隣でジェノワーズは頭を抱える。怪しいに決まってるのだ。今まで誰もシフォンの格好に口を挟まなかったのは、彼らに思いやりがあったからだろう。現に、勇者は気まずげに視線を逸らして頬を掻いている。
正直に、シフォンがニキビを隠していると言おうとしたジェノワーズの袖をシフォンが涙目で引っ張る。言いたくないらしい。あまりに下らない理由だが、これも乙女心という物だろう。主の意を汲んで、ジェノワーズは口をつぐんだ。
さて、じゃあどう説明しようか。
そう考え込むジェノワーズの隣で、シフォンが一歩踏み出し胸を張ると、尊大な態度で高らかに声をあげた。ちょっと涙目で。
「まずこれは、仮面ではなくマスカレードマスクというのよ。覚えておきなさい、朴訥人。」
「はぁ、別に何でもいいんだけど……。」
「なるほど、理解いたしました。美しいお嬢さん。」
勇者を押し除けた第二王子ニコラスがシフォンの前で膝をつく。真剣な瞳でシフォンの顔をじっと見つめると、何か得心したように一度頷き、柔らかな笑みを浮かべて言葉を続ける。
「マスカレードマスクは貴人の身分を隠すために使われる物。何か……理由がおありなのですね?」
ジェノワーズには、勇者があからさまに「いや、どんな理由があっても日常遣いするモンじゃないだろ。」と考えたのが手に取るように分かった。
「その通り、私は訳あって身分を明かせません。闇から闇へと悪を葬る、正義の貴族なの。」
「素晴らしい!」
感銘のあまりに瞳を潤ませ、頬を上記させた第二王子ニコラスが魔王シフォンの手を取る。彼女の小さな手を優しく両手で包み込むと、彼は興奮した様子で言い募る。
「まるで闇夜を照らす篝火のような真紅の瞳、穏やかな午後のティータイムを思い浮かばせる柔らかな御髪、小鳥のような可憐さでありながらもライオンにも似た雄々しさを備えていらっしゃる!今日ここで貴女のような方に会えた私は、何と幸福な事でしょう。」
「ええ……ありがとう……。えっと、手を離してくださる?あー。」
「ニコラス=セレスティアル・ド・クライアと申します、お嬢さん。どうぞ、私のことはニコルと。」
魔王シフォンは思った。
今こいつクライアって言ったわね、もしかして私、人間の王族に口説かれてる?ちょっとマズくない?と。
バッと魔剣士ジェノワーズの方を振り返ると、彼女は真っ赤な顔をしながらこちらを見つめている。魔王軍でも特攻隊長を務めるほどの戦好きである彼女は、恋愛ごとに滅法弱かった。
今度は第二王子ニコルの後ろにいた人間に救援の眼差しを向けてみるが、その男は男で「うわぁ。」みたいなドン引きの顔でニコルを見ていて動いてくれる気配はない。
余談ではあるが、魔王が勇者に助けられるというのも、魔王が人間の第二王子に求婚されるのと同じくらいヤバいのだが、当のシフォンはそんな事は知らない。
この場で頼れるのは自分だけだということがよく分かったので、シフォンは両足に力を入れて、一度咳払いをする。この間も、一応ニコルの手から己の手を引き抜こうと努力はしているのだが、第二王子の握力が思ったより強くて徒労に終わっている。
「ニコル王子、ごめんなさいね。私、心に決めた方がいるの。」
「えっ!」
「えっ!?」
王子と一緒にジェノワーズが声をあげる。勇者が剣呑な目を向けたが、それを気にしている暇はない。
魔王に懇意の人物がいたなんて知らなかった。私だけが知らなかったのだろうか。みんなは知っていたのだろうか。
魔剣士の頭の中では、同僚たちの顔がぐるぐると渦巻いている。
「貴女の心を手に入れたその幸福な男とは、どこのどいつです!」
ニコル王子が声をあげる。憤慨している彼に、シフォンは一歩も引かずに言い放った。
「ルイスよ!」
「勇者様―!王子様―!ご迷惑をおかけしましたー!」
オークのアジトから、1人の男が駆けてくる。中肉中背で善良そうな顔をしているが、特筆して特徴のないその男は、悪意のない惚けた笑顔で近づいてくると、見知った顔と見知らぬ顔が妙な雰囲気になっていることに気付いて、首を傾げた。
「あれ?どうかしました?」
「ルイスお前ってやつは!」
ニコル王子が声を荒げる。何を激情しているのか理解できないルイスは、戸惑いながら勇者に助けを求めるが、勇者は遠い目をして明後日の方向を見つめていた。完全に場を放棄している顔である。
「ルイス、ごめんなさいね、先に行ってしまって。」
シフォンがにっこりと微笑みかける。可愛らしい身振りでそう言う彼女に、ルイスは首を振った。
「お付きの人が心配だったんでしょう。当然だよ。」
「まぁ、ルイスってば優しいのね!」
「ルイスお前ってやつは!」
何かよく分からないが、この一瞬で三角関係が出来上がったらしいことを理解した魔剣士ジェノワーズは、あまりの混乱ぶりに天を仰いだ。魔王様のお慕いしている方が自分の知らない人だった寂寥と、少しの安堵。そしてよりによって人間という事実。カテゴリが己の最も苦手とする恋愛ということもあって、仲介の仕方が分からない。
途方に暮れていると、同じように呆れた顔をしている勇者と目が合う。向こうもこちらに気がつくと、大きくため息をついた。
「勇者エドウィンだ。とりあえず、どっか座れるところ探すか。」
「そうですね。収拾、つきそうにないですし。」
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