魔王女陛下、平民に恋をする。

げんまえび

一目惚れでした

 ドラゴンも微睡む昼下がり、絹を裂くような悲鳴が魔王城に響き渡って、兵士たちの訓練指導をしていた女魔剣士は手を止めた。あれは、最上階で執務をしている魔王女の悲鳴に違いない。


「各人、そのまま待機!」


 凛々しく号令をかけると、女魔剣士は訓練所を飛び出して、魔王女の元へと向かう。廊下を駆け抜け、階段を昇り、史上最速ニューレコードで駆けつけた女魔剣士は、勢いよく執務室の扉を開けた。


「いかがなさいましたか!魔王女様!」


「ちょっと、見てよこれ!信じられない!もう無理、嫌になっちゃう!一生外に出たくない!」


 小柄な体を目一杯広げ、くるりと丸い瞳をこれでもかと釣り上げて、魔王女が女魔剣士へと詰め寄った。彼女の白くて美しい指先は、目の下、頬の上部を指しており、女魔剣士は言われた通りその部位に目を凝らす。


 桃色に色づく頬の上に、赤い出来物が一つ、ポツリと隆起していた。


「は……、これが何か。」


「ニキビよニキビ!ニキビが出来ちゃったの!今日の私めっちゃブス。もう全然テンション上がらない。仕事したくない!」


「ニキビ、ですか。」


 魔王女の乱れ様に多少戸惑いながら、女魔剣士が答える。一体何をそんなに騒ぎ立てているのか理解できなかったけれど、魔王女が己の上司である以上「はぁ。」などといった気のない返事はできないため、無難に繰り返しておくことにする。


 彼女の返事が気に食わなかったのか、魔王女はジトリと女魔剣士を睨み付けて「そうよねそうよねー。」と口を尖らせた。


「あんたは肌綺麗だもんねー。どうせ困ったことないんでしょ。」


「いえ、そういうわけでは。」


「分かってるのよ、私も。最近デスクワークがほとんどだったもの。ずっと机にかじり付きだったし、あんまり運動してなかったし、疲れ果てて顔洗わずに寝ちゃったりしてさ、ズボラな生活送ってた自覚はあるわよ。あー、駄目。もう無理。」


「いえ、魔王女様はご執務を十分に果たされておいでで……。」


「その魔王女ってのやめなさい。魔王で結構!わざわざ女を強調することに意味なんてないのよ!それよりもニキビよ、ニキビ。どうしよう。ねぇ、何が効くと思う?ビタミンとか、睡眠とか、いろいろあるじゃない?最短で直したいのよね。」


 魔王女改め魔王は、しかめっ面でぐるぐると意味もなく執務室内を歩き回る。時折、手鏡を取り出すと、自分の顔を睨み付けてはため息をつく。


「しかし魔王様、その程度のニキビであれば、お仕事には差し支えないと思います。」


「何言ってるの!」


 女魔剣士改め魔剣士の進言に、魔王は眦を決して声を張り上げた。


「こんな情けない顔で仕事が捗るわけないじゃない!女の子なのよ!」


 ああ言えばこう言う……と魔剣士が思ったかどうかはさておいて、魔王は再び机に突っ伏すと、わあわあと騒ぎ始めた。


「魔王の仕事なんて、上がってくる情報を整理しては指示をして、サインしては右に回して、千切っては投げ、千切っては投げ……。仕方ないじゃない!ずっと部屋の中で太陽も浴びず、一生懸命お仕事してたのよ!ニキビだってできるわよ−!」


 彼女の嘆きを収める方法が、魔剣士には分からなかったし、そもそも彼女が何をそんなに思い悩んでいるのかも、いまいちピンとは来ていなかった。それでも唯一共感できることがあったとすれば、それは彼女がずっとこの執務室で缶詰になっていたことである。


 部屋から出られないのは辛い。


 ずっと椅子に座って、書類と睨めっこをするのも辛い。


 もしそれが自分であれば、1日も経たずに部屋から飛び出して、剣を振るっていただろう。そう考えると、魔王の苦しみが少しだけ理解できたような気がした。


 己の中の全てを振り絞って、魔剣士は考える。少しでも彼女の嘆きを和らげる方法はないだろうか。何か魔王の悩みを解決する手段がないだろうか。


 ポンと手を叩く。思いついた。


「魔王様、運動致しましょう。」


「運動?」


 剣呑な瞳で魔王が見上げる。それに微笑み返して、魔剣士は言った。


「肌の老廃物を取り除くには、新陳代謝をあげるのが良いと聞き及びます。新陳代謝を上げるには、定期的な運動がよろしいかと存じます。」


「なるほど!」


 魔王が机の上に飛び上がった。


「運動がてら久しぶりに市井に赴き、我が魔王軍に潜む不穏分子を片っ端から整理すれば、美容と仕事の両立ができるということね!でかした魔剣士!」


「いえ、そういうわけでは……。」


 魔剣士が否定するのも聞かず魔王は執務室を飛び出すと、バタバタと大きな足音を立てて走り去って行った。そしてしばらくしてから再び慌ただしく戻ってくると、勢いよく執務室の扉を開ける。


 パープルとピンクで彩られた、可愛らしいマスカレードマスクをつけた魔王は、魔剣士の前に仁王立ちで腕を組む。そして、今世紀最大に威勢よく叫んだ。


「さあ魔剣士、ひと狩り行くわよ!」


 こうして、魔王と魔剣士は魔王城を旅立つことになったのである。




 魔王が爆速でリストアップしたのは、魔王軍の名を騙って好き勝手しているモンスターたちの名前と住処で、とりあえず2人は散歩も兼ねて、魔王城から一番遠くにアジトを構える、ならず者モンスター軍団へと赴くことにした。なぜ一番遠くかと言えば、魔王が「その方がいっぱい歩くでしょ!」と言い張り、魔剣士的にもこれは合法的な有給休暇みたいなものだし、長引けば長引くほど楽かな、と思ったのでさして反対もしなかった。


 ちなみに、どうして敵対している人間の殲滅ではなく、自軍に組みするモンスターを「整理」するのかと問いかけたところ、魔王は不機嫌な顔で


「仕方ないのよ。魔王が直々に人間の拠点を潰したとなると、外交問題に発展するもの。」


と言ったので、魔剣士はその時改めて魔王のことを見直した。ふわふわで可愛いマスカレードマスクなんて着けているが、やはりこの人は魔王なのだ。


 まあ、そんな立派な魔王だが山道を歩いている最中も仕切りにマスクを気にして、何度顔に手をやっては


「ねぇ、これニキビ隠れてる?」


 とか


「このマスク本当に似合ってる?別のやつの方が、今日の服に合ってたかも……。」


 とか、十分に一度の頻度で問いかけてくるので、魔剣士も


「大丈夫、見えておりませんよ。」


 とか


「魔王様はブルベでいらっしゃいますから、パープルは大変お似合いになります。」


 とか、そんなことを答えながら、のんびりと二人で歩いた。


 そんなこんなで丸二日ほど旅路を往き、ようやく目的の地へと辿り着いた二人は、眼前にポッカリと口を開けて待つ、おどろおどろしい洞窟をヒョッコリと覗き込んだ。

「この奥がモン犯のアジトね。」


 ならずものモンスター犯罪者軍団、略して「モン犯」と魔王が言い出した時には、魔剣士も肝を冷やしたが、よくよく考えてみれば、他者に真意を読まれないための暗号としては成立している気がするので、今は魔王の好きに呼ばせていた。


「近くにある人間の集落より、事前に集めた情報によりますと、この洞窟の奥に拠点を構えているようです。なんでも彼らは日夜、街道に出没して旅人から金品を奪うとか。その際にはハッキリと、魔王軍所属だと名乗りを上げるとのことです。」


「私、こんなところに兵士を派遣した覚えはないわ。失礼しちゃう。」


「あまりにも被害が甚大なため、人間側は近く討伐隊派遣の嘆願を都市へ届けると言っていました。そんなことをされては……。」


「自称とはいえ、魔王軍が人間軍へ喧嘩を売ったことになって、全面戦争が始まるわね。イイ感じに膠着状態を保ってきた私の努力が水の泡。さっさと蹴散らしましょう。」


 よいしょ、と可愛い声を上げながら魔王が洞窟の中へと踏み込む。躊躇なく先を行こうとする魔王を制止しようとして、魔剣士は口を開いたが、すぐにやめた。確かに、この先にどんな危険が待ち構えているかは分からないし、魔王を先に行かせるなど、従者としては言語道断ではあったが、堂々とした彼女の背中を見ていると、声をかけるのも野暮のように思えた。彼女は魔王なのだ。何の心配もいらない。彼女の姿を見ていると、心の底の方にゆったりと安心感が横たわる。


 魔剣士は、何も言わず彼女の後に続いた。


「それにしても暗いわね!マスクが邪魔で前がよく見えない。ねぇ、魔剣士、ちょっと前を行って頂戴。私、あんたの踏んだ足跡を忠実に踏んで歩くわ。」


 すぐに順序は入れ替わったが。




 細くて暗い洞窟をどんどんと歩いているうちに、ふと誰かの話し声が耳に届いた。それはもっと、ずっと奥からで、魔剣士と魔王は顔を見合わせる。アジトが近づいてきたのだ。今まで以上に足音と気配を殺して、二人はゆっくりと前へと進む。しばらくいくと、細い道が急に開けて、大きな空間が姿を表した。そこから漏れる明かりを避けるように近くの岩陰に身を隠して、二人は中の様子を伺う。


 真ん中に、粗末な木のテーブル。周りを囲むようにオークが数匹座り、屑酒を飲んでいた。岩壁を掘って作られた窪みには松明が掲げられ、ゆらゆらと床に影を照らしている。洞窟はここで行き止まりだったが、オークたちが座るテーブルの向こう側に、大きく聳え立つ岩の段差と、その段差の一番上にまるで巣のような半円の窪みができているのが見て取れた。そして、そこに無造作に流し込まれている金品の輝きが、天井をキラキラと濡らしている。


「あれが彼らの戦利品ですね。ずいぶんと貯め込んでいるようです。」


「これで全員かしら?1、2、3……6匹。思ったよりは少ないけれど。」


「巡回に出ている者がいるのかもしれません。用心に越したことはないでしょうね。如何なさいますか。」


 魔剣士の問いかけを受けて、魔王は手を顎に添えて考える。こちらは2人、対して相手は6匹。数の利は相手にあるが、如何せん質が全く違う。


「魔剣士、奇襲を任せるわ。1匹、2匹片付けて。残りは私に任せなさい。」


「御意。」


 魔王の言葉を聞くや否や、魔剣士は岩陰から飛び出す。彼女の通ったあとで、松明がほのかに揺れた。足音もなく、まるで風のように駆け抜けると、一足飛びにテーブルで寛ぐオークの首を掻き切った。


「なんだ!?」


 オークが気づいた時には、もう遅い。彼らが腰から短剣を抜くよりも早く、魔剣士の剣が翻ってもう一匹を袈裟に斬り下ろす。


「ギャァッ!!!」


 断末魔が響いて、血飛沫が上がった。残ったオークたちが繰り出す短剣をひらりひらりと躱しながら、魔剣士が1歩、2歩と後ろへ下がる。躱し、捌きながら、しかして反撃せず、魔剣士は誘い込むように退いて——


呪文構成スペル・チェック!』

 そこに、彼女がいた。


 ふわふわのマスカレードマスクの奥で、真紅の瞳を爛々と輝かせながら、魔王は高らかに声を張る。


 オークたちは皆、彼女のことを見ていた。突然の侵入者、殺された仲間、そして目の前の少女。何が起きたのか分からなくて、脳が必死で処理をする。自分たちを襲撃してきたのだから、ならば戦って、殺さなければならない。それは分かっているはずなのに、何故か体がいうことを聞かない。


 誰もが、少女の存在に圧倒されていた。


 見つめる愚者の視線を受けて魔王は口を歪め、1匹のオークを指差した。


『何を呆けているか。見よ、お前の体は燃えているぞ。』


 突然、指を指されたオークが炎上する。声も上げられないまま、激しく燃える炎に包まれたオークは、もがき苦しむ暇もなく炭と化した。その光景を、仲間は茫然と眺めるしかない。


 口を開いたまま微動だにしなくなったオークを前に、魔剣士が踵を返して背中を向けた。


「アッ!テメェ!!」


 それに気づいたオークが短剣を振り回し、咄嗟に後を追おうとするが


『不用意な。そこに奈落が開いておるというのに。』


 突然オークの足下に、漆黒の闇が口を開ける。音もなく開いたそれは、瞬時にオークの体を飲み込んで、何事もなかったかのように消えた。


「何だ……、何なんだコイツ……!」


「何が起きてやがる!」


「嫌だ!死にたくない!」


 恐慌状態に陥ったオークたちが、一人、また一人と取り乱して逃げ惑う。しかし、ここは洞窟の最奥である。出口は、魔王が仁王立ちで塞ぐ通路のみ。オークたちは逃げ場がなく、ただひたすら追い詰められるだけになっていた。


『おや、腕が千切れたぞ。』


『怖くて呼吸もできないか。』


『落石に潰されてしまうぞ。』


 魔王が何か口にする度に、全くその通りのことが起こる。オークの腕が千切れ飛び、突然呼吸が出来なくなって、天井からの落石に押しつぶされた。初め6匹いたはずのオークは、気づけば1匹になっていた。


 最後の1匹がガタガタと体を震わせながら、体の前で祈るように短剣を握りしめる。それを嘲笑うかのように、魔王はその小柄な体をかがめると、にっこりと微笑みかけた。


「さて、私のことはご存知かしら?」


「わ、わ……わからな……ッ!」


「そうね。来世では、偉い人の顔と名前を覚えることをお勧めするわ。それが出世の早道でもあるし、いざという時に命を拾う選択肢にもなるもの。もうあまり意味はないけれど、覚えておきなさい。」


 悪魔の死刑宣告だと、魔剣士は思った。可愛らしく微笑みながら、容赦無く死の鎌を振り下ろす様子は、まさに魔王と言うに相応しい。残忍に華麗に小気味よく、魔王は詠う。


呪文構成スペル・チェック。』


 細い指が硬いオークの肌に触れる。


『あなたの心臓、石のよう。』


 ゴトリと、白目を向いたオークが倒れた。もう微動だにしない。いつ息絶えたのかすら、魔剣士には分からなかった。


 ふーっと大きく息を吐いて、魔王が立ち上がる。両手を広げて大きく伸びをすると、勢いよく魔剣士の方を振り返って、彼女の顔に大輪の花が咲くような笑顔が弾けた。


「どうよ!良い運動になったかしら!」


「はい、さすが魔王様でございます。」


「でもよく考えたら、魔術で倒しちゃったから大して汗かいてないかも。うーん、もっと体動かす方法じゃないとダメかなぁ。次は私も剣にするわ。あんた、予備持ってない?」


「予備はございませんが、手持ちの路銀がございます。道行きで新調されたら如何でしょうか。」


「良いわね。現役剣士に見繕ってもらえるなんて、贅沢だわ。」


「はい、承りました。最適なものをお選び致します。」


 胸に手を当ててかしこまる魔剣士を見て、魔王は機嫌よく笑う。彼女の明るい声色が洞窟に反響した。


「でも一つ心えておきなさい。実用性も大切だけれど、見かけも同じくらい大事よ。その辺、あなたは蔑ろにしがちなの。良くないわ。」


「はい、心得ました。魔王様にはお姿にお似合いの、可愛らしい物をご用意致します。」


「ダメダメ、全然ダメ!剣は技術を凝らして造られた、使うための武器じゃない。機能美にこそ価値があるのよ。格好いいに全振りしてこそ剣。分かるかしら?」


「それは正直分かります……!」


「っていうか、私さっき偉そうに『私のことはご存知かしら?』なんて言ったけど、分かるわけないわよね。マスクしてるもの。完全に忘れてた。」


 目元のマスカレードマスクを指で弾いて、魔王は面倒臭そうにため息をついた。正直、ニキビさえ出来ていなければ、こんなマスク着けていたくないのだ。魔王城でこれを見つけた時には、顔を隠すのに打ってつけで、ニキビも隠れて一石二鳥だと思っていたが、改めて考えてみれば完全に不審者である。どこの世界にマスカレードマスクをつけてる女がいるというのか。


「ねぇ、これさ……。」


「危ない!」


 それは魔剣士の声ではなかった。聞き覚えのない男の声が洞窟に響いたかと思うと、魔王の体が誰かに押されて吹っ飛ぶ。「魔王女様!」と魔剣士が叫んだ気がしたが、それに応えることはできず、魔王はそのままぶつかってきた誰かと共にゴロゴロと地面を転がった。


 生きてこの方体験したことのない無様な3回転に怒りが込み上げてきて、魔王は怒りに任せて体を起こそうとしたが、自分を抱え込む大きな手がそれを許さない。どうやら、魔王を突き飛ばした人物は、突き飛ばした瞬間から今まで、魔王の小柄な体を抱き込んで庇っているつもりらしかった。


 それにも魔王は腹が立つ。何せ、自分は魔王なのだ。何がどうなったか知らないが、誰かに庇われるなんて無様、許せるはずがない。大きなお世話だ。


 一言文句を言ってやろうと、魔王は自分を抱き込む者の顔を睨みつけるべく、顔を上げた。


「ちょっとあなた——」


「大丈夫!?」


 パチリと音がするほど、その男と目が合った。


 特筆するような特徴のない、普通の人間の男。目は大きくもなく、小さくもなく。鼻は高くもなく、低くもなく。体つきも中肉中背で、何もかもが、その辺にありふれていそうな平凡な男性。


 その男は、魔王が無事で傷一つないことを察すると、相好をへにゃりと崩して「よかった。」と柔らかく笑った。


 ——きゅん。


 この瞬間、魔王は恋に落ちた。

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