第14話 無意識

 一休みしたら俺の調子は大分良くなり、ほとんど全快となった。

 俺が座る椅子の前にはダイニングテーブルが置かれていて、ここは我が家のダイニングルーム。

 ダイニングテーブルの上には、ネギと生姜のおかゆが置かれている。

 全体的に薄い褐色をしているおかゆの中には、たっぷりの生姜とネギ、溶かれた卵が入っていた。その上には、刻んだ生姜がおかゆに小山を作って浮かんでいる。


「……う、うまい」

 

 口に運んでみるとその美味しさに驚く。

 味は中華風と和風が混在していて、おそらく主軸になっているのは鶏がらスープだろう。そこに溶いた卵を入れることで味がまろやかなものになっている。時折、刻んだ生姜が混じり、そのピリッとした辛さが癖になりそうだ。

 おかゆは病気になった時に食べる物で、あまり美味しいと思うものではないイメージだったが、これは絶品だと断言できる。

 

「堀之内さん、これすごく美味しいよ」

「そう言ってもらえると嬉しい……」


 このおかゆを作った人は俺の向かいに座った堀之内さんだ。彼女は、僅かにはにかんだような表情を見せた後、露骨に話題を逸らす。


「ところで、御両親がいないようだけど?」


 答えにくい奴だ。

 堀之内さんが家に上がってしまった以上、いつかは感づかれるんじゃないかとは思っていた。血の繋がっていな男女が同居するなんて、後ろ暗い気持ちがあるのでなんとか隠し通したいところ。


「共働きだからね。仕事がなくても基本的に二人でどこか出かけたりしてるかな……?」

「で、御両親はどこに住んでいるのかしら?」


 俺の退路を断つかのように、堀之内さんは何もないはずの左側の壁に向かってにやけている。普通だったら堀之内さんは、壁に笑いかける変な人になってしまうが、そっちには親父たちが住む107号室があるんだよね……。

 適当にはぐらかしたところで、堀之内さんが既に正解に辿り着いているのであれば意味がない。


「不思議だなと思ったの。ご両親と同居しているのなら、食器や部屋の数が足りていないように見えるのだけれども?」

「そ、それは……」


 もはや八方塞がりで、自白せざるを得ないかもしれない。

 

「となり」


 俺が逡巡していると、乃蒼がお行儀悪くスプーンで左側の壁を指し示した。


「……へ、へえ」


 乃蒼が飄々としているおかげか、明らかに堀之内さんは動揺していた。

 不満なことがあったのか。少々不機嫌そうではあるが、何事もなかったかのように乃蒼は食事を再開する。

 爆弾を躊躇なく投下できる乃蒼の姿勢には驚嘆するしかないが、単になにも考えてないのかもしれない。


「これ嫌い。美味しくないから蓮人、食べて」


 刻んだ生の生姜は口に合わなかったようで、隣にいる乃蒼はさり気なく俺の茶碗に入れてくる。

 たで食う虫も好き好きであろうか、乃蒼は辛味、苦み、酸味と言った味を好まない。悪く言えば味覚が子供っぽい。

 苦手なものがあると言うのは、わかるんだけどね。

 

「しゃあないけど、好き嫌いばっかりしてると体調崩しやすくなるぞ」

「でも、蓮人の方が風邪とかよく引くじゃん」

「確かに、ははっ」


 くだらない会話でお互い笑い合いながら、乃蒼から入れられた生姜も俺は美味しくいただく。

 しかし、なぜだろうか?

 向かいの堀之内さんがぽか~んと瞬きもせず、唖然と瞼を大きく開けて俺を見つめている。

 瞬きもせずに無言で見つめられてしまうと、咀嚼はしにくい。と言うより、正直怖い。 

 確か、乃蒼が生の生姜のことを美味しくないとか言っていた。それで堀之内さんの気分を害してしまったのかもしれない。

 そもそも乃蒼は料理に参加していて、生の生姜を食べられないのをわかっているのだから、初めからの入れないことを選択するべきだった。

  

「ほら、乃蒼。堀之内さんに謝る」

「なんで、あたしが謝らなきゃいけないの。料理を手伝えば、褒めて貰えるって嘘をついたこいつがあたしに謝るべきでしょ」

「私は、料理を手伝えば蓮人君に褒めて貰えるかもしれないと言っただけ。勝手な思い込みは止めて貰えるかしら」


 何となく乃蒼が不機嫌な理由がわかってしまった。

 乃蒼が料理を手伝うか、俺の部屋にいるか揉めていた際に、堀之内さんが乃蒼に耳打ちしていたのが原因だろう。


「乃蒼は堀之内さんの料理を手伝えば、褒めて貰えると思ったから怒っているんだよね」

「うん」 


 乃蒼が期待の眼差しを俺に送っているが、休んでいても「あなた、卵も割れないの……?」と堀之内さんの声が聞こえていた。


「じゃあ、堀之内さんは何に怒っているの?」

「私はアレルギーの問題もあると思うから、たとえ不味いと言われても余程貶されない限りはどうでもいい。むしろ、事前に苦手なものを言ってくれてたら、乃蒼のだけ、生姜を入れないであげたのに……ねえ、蓮人君」


 堀之内さんが、自分が食べていた茶碗から手にしていたスプーンでおかゆをすくった。


「……これは一体?」


 美味しそうですね、なんて悠長なことを言える状況ではない。

 なみなみとおかゆを盛ったスプーンに口の前に持ってこられた俺は、固まってしまった。

 

「さあ蓮人君、食べなさい」

「……そ、それはちょっと」

 

 先ほどまで、堀之内さんが口を付けていたスプーン……魅力はない訳じゃないが不味いだろう。これでは、間接キスになってしまう。

 さらに、隣には乃蒼もいる状況で堀之内さんに食べさせて貰うなんてできる訳ないじゃないか。

 照れるとか、そんな感情は通り越している。


「あ~んってして欲しかったの? ワガママさんね」

「い……いや、風邪が移るかもしれないから」

「はい。あ~ん」

「人の話、聞いてました?」

「当然、私に風邪が移ったら蓮人君が看病してくれるのでしょう?」

 

 会話が成立していない。誰か助けて。

 

「じゃあ、遠慮なく」


 俺の口の前にあるスプーンを身を乗り出した乃蒼が横から掻っ攫う。当然、堀之内さんは不快感を露にする。


「何してくれてるのかしら?」

「べっつに~、食べて欲しいならあたしが代わりに食べてあげようと思って」

「そう、それなら仕方ないわね」


 苦手の生姜が混じっていたために、乃蒼が涙目になっている。それを見て堀ノ内さんは、再びおかゆをすくう。

   

「気を取り直して。はい、あ……」


 そして、おかゆを俺の口元まで持ってこようとするが、辿り着く前に乃蒼が食べてしまう。


「乃蒼、なぜあなたは私の邪魔をするの?」

「蓮人が困っているから、他人を困らせることをしないなんて常識でしょ?」


 堀之内さんは大きくため息を漏らす。


「乃蒼も似たようなことをやっていたじゃない。だから私も間接キスしようと思って」

「えっ、いつ?」


 俺と乃蒼は一瞬、首を傾げるがすぐに気づいてしまった。


「あっ……」 

 

 俺に生姜を押し付けた時に、乃蒼は自分のスプーンを使っていた。

 乃蒼はみるみるうちに耳まで赤くなる。カメレオンもびっくりするくらい、あっと言う間の変わりようだ。

 しかし、これまで数え切れないほど、口をつけた嫌いな食べ物を押し付けてきた癖に、今になって意識するなんてないよね……?  

 思い返すと俺も顔が火照ってきたような。


「堀之内月詩と、かかか、か、間接キスとか……口洗ってくるっ」


 洗面所の方へ飛び出す乃蒼。

 乃蒼が意識してたのは堀之内さんの方だった。

 自分が意識される存在と思いあがっていた俺が恥ずかしい。散々やってきたのだから今になって意識するはずもない。

 最近色々なことがあったもの。人をいじめて喜ぶ人に好かれたり、ストーカーみたいな人に好かれたり、勘違いしちゃうような思いしかしてないから仕方がない……。

 だけど、どんなに自分を正当化しようとしたところで、誤魔化しが効かないくらい恥ずかしい。 

 

「ぁぁ……」

「はい、あ~ん」

 

 呻いている隙を突かれて俺は、堀之内さんに強引におかゆを突っ込まれる。

 混乱して味などわかるはずもなかったが、咀嚼していると気分を紛らわせることはできる。


「蓮人君、私と間接キスした気分はどう?」


 堀之内さんが頬を朱を混じらせて、上目づかいで聞いてきた。


「水を差すようで悪いんだけど、そのスプーンは乃蒼が使った後で、堀之内さんとの間接キスではないのでは?」

「…………もう一回」

 

 しばらく経っても俺の顔の火照りが引くことはなかった。

 そして、その意味をしばらくの間は考えることはなかった。恥ずかしいすぎる勘違いで、思い出しただけでも身悶えするくらいだったから。

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