第12話 放置で解決することもある

「気は進まないけれど、そろそろあそこで寝ている子を起こして帰りましょうか?」

 

 堀之内さんが眺める先。

 教室中央付近の机には、うつ伏せで金髪ツインテールが爆睡している。黄金色に輝く髪は一目で乃蒼だと認識できる。乃蒼は気持ち良さそうに寝息をたてていて、ちょっとやそっとじゃ起きそうもない。

 クラス委員の仕事を始めてから少し経った頃、気付くと乃蒼は自分の席で既に眠りに就いていたのだ。一度教室からクラス他の人間がいなくなっていること確認しているので、寝ていること自体が不思議なのだが。 


「私と蓮人君の会話を狸寝入りで盗み聞きするつもりが、そのまま熟睡してしまったのではないかしら?」

「なるほど……ん?」


 俺は自分の考えを口には出していないはずなのだが、堀之内さんは思考を先回りしてもっともらしい推測をしている。

 ……こわ、す、すごいなあ。


「この子がいくらお馬鹿さんでも、見回りの先生が来る頃には冷えるでしょうから、風邪を引いてしまうかもしれないわねぇ」

「わかっているつもりだけど、ちょっと乃蒼と色々あって顔を合わせづらいと言うか……声を掛けにくいと言うか」


 意識してしまったためか、十日ほど前の出来事が脳裏を駆け巡る。


『あたしと付き合っている噂があって蓮人が守られていた……嘘でもいいから、あたしと蓮人が付き合っていることにすれば、抱えてる問題が元通りになって誰も困らないし、苦しむことは無くなるんじゃない? あたしにしては名案だと思うんだよ』


 何日経っても乃蒼の言葉は頭の中で、今も傍で言われているかのように再生されてしまう。

 それに対して、なんて答えるのが正解だったのか今でも自問自答してしまう。

 乃蒼の提案は、俺にとっては非常に魅力的なものだった。俺がモテると言う問題は解決する可能性が高いし、偽装の関係であれば恋愛なんぞと言う煩わしいこともしなくて済む。

 でも、その時の乃蒼は無理している感じがして、自分のもう一つの感情を押し殺しているのだと直感した。 

 乃蒼には好きな人がいる。俺と乃蒼が付き合っていると言うことになれば、当然その人への気持ちはどうなる? 乃蒼が犠牲になってしまうのではないか? 

 そう思った途端に、俺の答えは決定された。

 その時は乃蒼のことを考えて最善を尽くしたつもりだった。

 だけど、そのつもりになっていただけで、乃蒼は俺から見えないように布団で顔を隠し、『わかった』と一言だけ涙声で……。

 俺程度に断られるなんて予想もしていなかっただろうから、乃蒼のプライドがズタズタなったのかもしれない。

 翌朝、乃蒼は何事もなかったかのように振る舞っていたが、それ以来気まずい俺は乃蒼と顔を合わせることを躊躇ってしまって、今も続いていた。


「喧嘩中なら仕方ないわね。蓮人君が死にそうな顔してるから、口を出さないと約束してくれるなら私が起こしてあげる」


 堀之内さんの声で俺は現実引き戻される。

 少々不穏な予感はするが背に腹は代えられない。 


「ほんと?」

「ええ、もちろん。でも、私はこの子に親の仇のように嫌われていて、話しかけた途端に喧嘩を始める自信があるの。確実に惨めなくらいひんひん泣かせてしまうわね」

「勝つ前提で断言するのか……」

「この子も蓮人君には劣ってしまうけれど、いじめるといい顔をするのよ」


 乃蒼に嫌われている原因は火を見るよりも明らかだ……。

 堀之内さんがうっとりと欲望の眼差しを送っているとは知る由もない乃蒼は、相変わらず気持ち良さそうに眠っている。


「けれど、私も仲良くしたいと思っているから、優しく起こしてあげましょう」


 乃蒼を起こすべきなのに、勇気のないヘタレの俺は逃げる。


「ごめん。堀之内さんお願いできる?」


 いつまでも乃蒼と気まずいままなのは良くないと言うことは理解しているし、不穏な文言を混ぜる堀之内さんに不安がない訳じゃない。 

 わかっている。単に俺は甘えているだけだけだ。


「私の行いで蓮人君に迷惑かけているのだから、このくらい安いもの」


 堀之内さんは腰を低くして、乃蒼に近い高さまで目線を合わせ、微笑みながら優しく肩を揺らす。

 

「起きて、こんなところで寝ていたら誰かみたいに風邪引くよ」


 人を弄んでいる際のような喜悦に満ちた邪悪な笑みではなく、アイドルとか女優がカメラの前でするような絵にはなるもので、


「んぅ、まだ眠ぃ。蓮人、五分経ったら起こして」

「ちっ……」


 それを一切崩すことなく、舌打ちする姿とのギャップで背筋が寒くなった。


「しまった寝てた⁉」


 急に乃蒼は頭を上げ、堀之内さんはそれを避けきれず、二人の頭とおでこが衝突する。

 ゴツンと俺にも聞こえるくらい大きく鈍い衝突音が響く。


「痛っい……」


 乃蒼は頭頂部を抱えているが、経験した立場から言うと、金属製だと思うくらいの石頭なので心配しなくてもいいだろう。

 堀之内さんの方だけどおでこを抑えて、言葉になっていない呻きをあげている。

 どちらが受けたダメージの大きいかは明々白々。

 声を掛けようかと迷ったが堀之内さんに睨みつけられ、俺はその場に踏みとどまる。

 睨みつけられた一瞬だけだったけど、堀之内さんは涙目になっていて泣きそうな顔をしていた。普段は余裕綽々の彼女が余裕のない表情を見せるのは、本当に痛いと言う証左だろう。


「あなた大丈……げっ⁉」


 頭をぶつけた人間を気遣う様子だった乃蒼だが、相手が堀之内さんだと判断すると態度を一変させた。


「堀之内月詩! 何しにきたの、またあたしに変なことするつもり?」


 しばらく沈黙が続いた。

 堀之内さんは痛みに悶えていて、答えられる状態ではなさそうだ。

 


「……大丈夫? ……ごめん、わざとじゃない」

「……え、ええ、心配されなくとも大丈夫。誰かさんの石頭と違って空っぽじゃないだけだから気を落とす必要はないわね」

「じゃあ、その誰かさんの頭で泣くか、記憶がなくなるまで頭突きしてやりましょうか?」

「あなたの身長で届くのなら好きにしなさい。衝撃で空っぽの石頭の中にある脳細胞がお亡くなりにならないことを祈るわね」

「あたしが小さいとでも言いたい訳? あんたの図体がでかいだけでしょ」

「目測だと小さく見えたものだから、もっとも小さいのは身長だけではないようだけれど」


 堀之内さんは乃蒼の上半身の一部分を凝視して更なる挑発を加える。

 宣言通り乃蒼と喧嘩を始めている堀之内さんだが、自分が絶対に勝てる要素で挑む姿勢は見習いたいが、仲裁した方がいいかもしれないが……。


「着痩せするタイプなのっ!」

 

 ……うん。

 安易に挑発に乗った乃蒼がひたすら堀之内さんに頭突きしようと飛び跳ねているが、そもそも頭一個分近く身長差があるため当たるはずもない。

 高さは堀之内さんの頭の高さまで届いてはいる。が、乃蒼は真上に飛ばないと届かないため、一歩下がるだけで簡単に回避できてしまう。

 眺めているだけ立場の人間からすれば、かなりシュールな光景だ。

 動き回っているうちに、後ろを向いていた乃蒼が俺に対して正面になった。


「――⁉」


 目が合ってしまった瞬間、気まずさから俺は乃蒼から視線を逸らす。

 乃蒼も下を向いて――いや、違う。

 バランスを崩して乃蒼の身体が大きく傾いている。このままだと受け身もとれないような体勢で転倒してしまう。

 子供みたいなことしているから自己責任だとは思うが、俺の体は勝手に行動している。

 だが、俺が一歩踏み出した時点でその心配は無用のものとなってしまった。


「大丈夫? 怪我はない?」

「平気、あ、ありがと……」


 転びかけた乃蒼を堀之内さんが抱き止めていた。乃蒼の体重の大半を支えているはずだが、堀之内さんは微動だにしていない。

 そのまま、堀之内さんは乃蒼の後ろに腕を回して抱きつく。そして、首筋で囁いた。

  

「今まで、ごめんなさい。実は私、仲良くなりたい人に意地悪してしまう素直じゃない女なの。だから今まで誰も友達がいなくて、ローセンブラードさん、いえ乃蒼には酷いことを……」

 

 突拍子もない堀之内さんの行動に、俺は唖然とする他なく。

 抱きしめられた乃蒼も、顔を真っ赤にして蒼い瞳をそこら中に泳がせている。


「ローセンブラードさん、私とお友達になってほしいの」

「……べ、別にいいけど」

「嬉しい!」


 堀之内さんはさらに乃蒼との密着具合を高める。比例するように乃蒼は赤さを増していく。 


「私、友達と一緒に二人きりで帰るのが夢だったの。いいかな?」


 堀之内さんは、抱きしめることで乃蒼の動揺を誘って正常な思考ができないように誘導している。

 根は素直で優しい性格の乃蒼。そこに思考を奪い弱みを見せたことで、答えは当然。


「し、ししし仕方ないわね。あたしが一緒に帰ってあげる」    

「この子、かわいいわ。じゃあね、蓮人君」


 堀之内さんが、軽く手首を振る。

 去り際、何度か振り向いた乃蒼は、「蓮人のこと放置していいの?」と無言で主張しているみたいだった。独り教室で二人が教室を出るまで、抱き合っていた光景を見ていた気まずさもあり、約束通り口をださず俺は空気を演じてしまっていた。

 

「二人が友達になれたなら、俺の事なんてどうでもいいかな」


 実際は熱に浮かされているだけかもしれないけど。


「あの人絶対に俺のこと放置して愉しんでたな……」


 その日、教室に独りでいる男子高校生を見回りに来た先生が発見したらしい。


 



 


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