第3話 受け入れられないもの
新年度が始まったクラスが最初にやることなんて大抵決まっている。
クラスに向けての自己紹介だ。
名前を言って一言喋る程度のもので、クラス全員の名前を覚えられる訳でもないし、例外を除いてクラス全員に自分の名前を覚えて貰える訳でもない。慣例的なもので、そこまで意味があるとは俺は思っていない。
事実、ほとんどの人間の自己紹介が終わっているのに、俺は誰一人として情報が頭に入ってこない。
しかし、失敗すると学校生活への影響は多大なものになる。出だしの躓きは自信を失うことに繋がって、クラスメイトへ声を掛けづらくなってしまう。
意味を見出せないが、極力、無難に終わらせたいものである。
新年度と言うものは、黒板から見て左側から出席番号順に席が用意されるものだ。自己紹介も黒板から見て左側から出席番号順に始まることが多い。
俺のクラスもそのようにして自己紹介が始まった。
「ローセンブラード・乃蒼です。母がスウェーデン出身で、こんな名前と見た目でよく勘違いされるんですが、英語はむしろ苦手です。皆さんとお話できると嬉しいので、気軽に話しかけてきてください」
乃蒼は、外では仮面を被っている。学校では人当たりの良い人間を演じ、おしとやかな蜂ヶ峰学園四大美少女で通っていた。
周囲から聞こえてくる声は、「かわいい、告白しようかな」「やめとけよ彼氏いるらしい」「髪も肌も綺麗でお人形さんみたい」などと乃蒼を褒めそやすものが多い。
「これから一年間よろしくお願いします」
無難な自己紹介であったにもかかわらず、喝采が巻き起こる。
羨ましいことだ。
俺は真後ろにいて乃蒼の表情は伺うことはできない。だけど、クラスの反応からして、とびきりの営業スマイルで好印象を与えているのだろう。
しかし、どうして俺が乃蒼の後に自己紹介しなければならないのだろうか?
不思議な話だ。俺の名前は
それなのに、どうして俺の出席番号が31番で、これ以上大きい数字の人はいないのでしょうか?
答えは簡単です。「わ」から始まる苗字の人がいないから。渡辺さん、和田さんはこのクラスにいません。
「あのローセ……」
「ああああ先生っ、大丈夫ですよ。ちょっと考え事をしてただけです」
俺は叫んで、先生が言いかけた言葉を強引に遮る。
そのおかげでクラスの視線が一斉に俺に視線が集まった。皆々が俺に対して怪訝な面持ちを送っている。
ただ一人、事情を知っているはずの乃蒼が、にやけて歯が見せているのが少々イラっとくる。
決めたぞ。この後、お前が困った事態になったとしても俺は絶対に助けてやらない。
そう決心して席から立ち上がった俺は、
「鈴木蓮人です。以上です」
自己紹介の形を保ちつつ、最低限の情報しか与えない。
勝利を確信した俺は、席に着いて先生がホームルームの終了を告げることを待つ。
しかし、不自然すぎる自己紹介に勘の良い奴らが事態に気付いてしまった。
「鈴木が一番後ろっておかしくね?」
「言われてみればそうだな」
ですよねぇ……。
鈴木がローセンブラードの後にいたら不自然極まりない。出席番号の間違いか、鈴木と言う苗字が嘘であることを疑う。
隠し通せることでもないかなと思い始めた俺に先生が追い討ちをかける。
「ローセンブラード君……あの先生の名簿には鈴木蓮人でなくて、ローセンブラード蓮人って書いてあるんだけど……?」
「ローセンブラード? あいつ去年は鈴木じゃなかった?」
「ハーフには全然見えないよね。イタイ感じの中二病?」
「でも、先生のクラス名簿にはそう書いてあるし」
先生はどうしてクラス名簿を前の席の人に見せようとしてるの?
俺の個人情報を漏洩するな。
「ほんとだ」
「どう言うこと?」
教室中が俺に懐疑心を向けているが、現在の俺の苗字はローセンブラードだ。
今朝、親父と話して苗字が変わっていることを知ったばかりで、俺自身がまだ受け入れられていない。
乃蒼みたいにハーフだったら当然のように周りに受け入れてもらえるのだろうが、俺は違う。
旧姓が平凡な鈴木だったこともあって、中学生の頃に激熱中二病カタカナネームを名乗って時期がある。高校二年の現在、カタカナの苗字なんて名乗ったり、呼ばれたりしたら、当時の記憶が蘇ってしまい恥ずかしくて死んでしまう。
だから、苗字のことは隠し通したかった。
苗字に関して、一番悪いのは今朝まで教えてくれなかった親父だが、俺にも瑕疵があったと思っている。フェリシアさんと親父に言われるがまま、指示された通りに養子縁組関連の書類をロクに読まず記入した俺に、苗字が変わること伝えずに書類を書かせた二人のどちらも悪いと思う。
俺が窮地に陥っていることを見かねたのか、ある男が立ち上がってくれた。
佐藤。去年クラスを共にし、平凡苗字仲間だった俺の友人だ。
「まさか……お前、乃蒼ちゃんと結婚したのか?」
むしろ、余計なところにも引火して佐藤に止めを刺された。
「ええ⁉ 前から付き合ってるって噂あったけど、本当だったの?」
「てめえ程度じゃ、ローセンブラードさんと釣り合いが取れてない」
「鈴木君は先輩だった?」
「違うわ⁉ 勝手に俺を留年か浪人してることにするなっ⁉」
「気にすんなよ。俺はお前が年上でも今まで通り接してやるよ」
佐藤のせいで収拾がつかなくなってきた。
名前のことは恥ずかしいけど、あらぬ誤解を受けないように、一部をありのまま正直に話すしかないか。
「……俺の苗字がローセンブラードなのは、乃蒼と結婚したからじゃなくて、俺と乃蒼の親が結婚したからです。ローセンブラード君は止めてください。慣れてなくて恥ずかしいので」
「それなら二人は同居してるの?」
どこからかした声に俺は返すしかない。
「家族なんだから当然でしょう。でも義理とはいえ『きょうだい』だから、結婚はできないもの。それに両親は俺に対しては厳しいので付き合ってるとか、変な誤解はしないでください」
法律上は兄弟であっても、連れ子同士であれば結婚できるのだが、俺はこの場を乗り切れれば何でもよい。
「ローセンブラード君がこう言っているのだから、これ以上はいじめに……」
彼女の一言で、流れは一変した。
「……お願いだから、ローセンブラード君は止めてください」
俺のおかげで教室中にお通夜みたいな空気を漂わせてしまった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
新年度の登校初日と言うこともあって、学校は午前だけ。地獄のような自己紹介の後は下校となっていた。
しかし、皆がすぐに帰路に就くと言うこともなく、教室では新しくできた友人と駄弁る者が多い。
初日からやらかした俺は佐藤しか話せる相手がいない。
「佐藤が余計なことしたせいで酷い目にあった」
「お前が、堀之内さんにローセンブラード君って呼ばれてる時、泣きそうな顔してたもんな」
「あのまま、ローセンブラード君と呼び続けられていたら泣いていたかもしれん」
泣きそうな顔をしていたおかげで、俺のところには佐藤以外誰もいない。
「ある意味、堀之内さんがフォローしてくれて助かった。俺のところには誰も来ないからな」
「その代わりに乃蒼ちゃんの周りに人が群がってるもんな」
「毎年あんな感じだろ。俺以外にはいい顔してるから、ああなるの」
学年が上がると毎年のように金髪碧眼の美少女、乃蒼の周りには人だかりができる。
例年よりも人だかりは多い気もするが、それは俺が余計な失態を犯したのが原因だろう。
「うん?」
音が鳴らないように、マナーモードにしてポケットの中に入れていたスマホが、バイブレーションしている。
スマホを確認すると、乃蒼からメッセージが届いていた。
『たすけて』
おそらく、クラスメイトに囲まれてしまって身動きが取れなくなってしまったので、助けて欲しいと言うことだろう。毎年の恒例行事だ。
「じゃあ、帰るわ。今年もよろしくな、佐藤」
「おう」
俺を助けてくれなかったのだから仕方がない、と心の中で言い訳しつつ、スマホを見なかったことにして家に帰ることにした。
うっかり既読を付けてしまったので、乃蒼の機嫌を損ねたのは言うまでもない。
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