第2話 なんだかんだ

「あ~疲れた。やっと終わった」

「俺もだ。少し休みたいけど」


 俺は乃蒼と一緒にリビングの床に転がる。

 乃蒼の引っ越しと、親父の部屋だった場所に俺の荷物を移動するとくたくたになってしまった。

 完全に高校二年の新学期前日にやることじゃない。

 作業をしながら黙考して、一応、乃蒼とひとつ屋根の下で生活することを受け入れることはできた。

 乃蒼とは兄妹みたいに育ってきたのだから、大きく何かが変わる訳でもなく、成るようになると思う。


「あら~、仲が良いわね」

「ぜ、ぜぜぜ全然っ、仲良くないわよっ⁉」

 

 乃蒼が過剰な反応をした相手。

 ローセンブラード・フェリシアさん。

 乃蒼の母親で親父の再婚相手、俺の継母に当たる人物だ。

 スウェーデン出身のこの方は、乃蒼と親子だけあって同じ金の髪と蒼い目を備えている。日本語ペラペラで外資系企業に勤めるバリバリのキャリアウーマンだ。どこからどう見ても見目麗しい妙齢の女性なのだが、俺と同い年の子供がいてそんなはずはない。

 それについて、俺は追及しないと決めている。小さい時に年齢について聞いてみたら、無言の圧力が阿修羅の如き怖さで、トラウマになったからだ。そのおかげか今も苦手意識が……若干ある。


「フェリシアさん、そっちの方は終わりました?」

「太郎さん、一人だけの荷物の移動だけで、私達の方はもう終わったから、手伝おうと思ったんだけど必要なかったわね」

「終わったから、ママは早く帰って」

「そうはいかないのよ。蓮人ちゃんにちょっとお話があってね。二人きりでいいかしら」

「……いいですけど」


 なにそれ怖い。

 小さい頃にトラウマを植え付けられたせいで、俺はフェリシアさんに畏怖の念を抱いている。

 きっと、フェリシアさんは、娘に手を出したら殺すとか言うんだ。

 でも、大丈夫……。俺は乃蒼を女じゃなくて『乃蒼』としか見てないから、間違いは起きないと思います。

 フェリシアさんの後ろについて、外に出た俺は恐る恐る聞いてみる。


「……それで俺に話ってなんでしょうか?」

「蓮人ちゃんの性格なら乃蒼ちゃんと同棲するなんて全力で反対すると思ったのに、受け入れているなあって思って」


 よかった、違った。

 いくら兄妹のみたい育ってきた幼馴染とは言え、二人きりで同棲なんて、熟考を重ねた上で、答えを出したい事項。

 にもかかわらず、俺が受け入れられた理由は単純だ。


「親父のためですよ。親父は母が蒸発してから、俺のために生きてきたので、そろそろ自分のために生きて欲しいなって思ったんです。新婚なのに、子供がいたら邪魔だと思うんですよ」


 結構前から自由を手に入れている気もするけど。

 フェリシアさんが俺の頭を撫でながら言う。


「半分は乃蒼ちゃんと一緒ね。残りの半分はどんな理由かな?」


 どうしてこのお方は、俺が半分しか本音を言ってないこと知っているですか……。


「……親がいちゃついているところなんて、想像したくもない光景なのでと言うのがもう半分です……どっちも親父には秘密ですよ」

「そこは乃蒼ちゃんと違うのね」


 一応、お互いに利益があると思っている。思春期に親がいちゃこらしていたら、俺は不良になる自信がある。


「それだけよ。私は蓮人ちゃんがお父さん思いでよかったわ」

 

 俺はその言葉を聞いて胸を撫で下ろし、油断してしまった。


「よかった。俺は、乃蒼に手を出したら殺すと言われると思ってたんですよ。俺を信頼してくれてるんですよね」


 その瞬間、フェリシアさんが鬼のような眼光で俺を睨み付ける。


「そうね、蓮人ちゃんは免罪符がないダメなヘタレるタイプか」

 

 独り言のように俺に聞こえない声で呟いたフェリシアさん。

 何を言っているかわからなくても、本能的に背筋に寒気が走る。

 そして、フェリシアさんが俺の耳元で囁いた。

 

「乃蒼ちゃんをよろしくね。乃蒼ちゃんのことはママが好きにしていいと公認しちゃうわ」

「えっぇぇ……」


 俺は失念していた。

 頭のネジがぶっ飛んでる親父と結婚する人間がまともなはずがない。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 



 俺がフェリシアさんから解放されて戻ると、乃蒼はソファーの上でうたた寝をしていた。

 よだれを垂らしながら気持ち良さそうに眠っているが容赦はしない。


「聞いてくれ乃蒼、これからお互いにとって大事な話をしよう」

「な、なによ急に、あたしまだ心の準備が……」


 ビクッと飛び起きた乃蒼はちょっとだけ赤くなっていた。よだれ垂らして寝てたところ見られれば、誰だって恥ずかしいもの。

 共同生活をする上で避けては通れないとても大事なことだ。


「家事の分担をどうするか決めるぞ」


 二人なのだから、家事の負担を軽減するためにも協力したい

 生活を始めた後から分担を決めると、乃蒼の性格上間違いなく揉める。だから今決めねばならない。


「……」


 あれ、乃蒼が俺のこと睨んでる。 

 そして、今更よだれを拭き始める。

 ようやく目が覚めた感じ?


「ゴミ捨て、共有部分の掃除、風呂の掃除、休日の食事の担当について平等に話し合おうじゃないか」


 フェリシアさんと話し合った結果。平日の朝食と夕食は親父とフェリシアさんが住む隣の107号室で食べ、それ以外は自分たちですると言うことになった。

 残る家事を乃蒼と分担したい。


「あたし料理できない」

「知ってるわ。これから覚えればいいだろ」

「やだ。できないもん」


 乃蒼がスマホを触り出した。話している最中にスマホに触り始めた時の乃蒼は、基本的に機嫌が悪い。

 たぶん、二日前に犬の糞を踏んで、俺が慰めて以来の機嫌の悪さだ。

 強引に起こしたのが悪かったのか? 


「やだやだ。やりたくない」

「わかった。乃蒼は料理しなくていい」


 駄々っ子か⁉ 

 こうなった乃蒼は手が付けられない。

 仕方がない。ここは乃蒼に譲歩して平等とかは諦めよう。


「なら七対三の割合で家事を分担しよう? 俺が七で、乃蒼が三でいい」

「……ん、だったらいい」


 しまった。

 俺は、乃蒼の家事の分担が少なくなるように誘導されていたんだ。

 でも、撤回したら乃蒼の機嫌がもっと悪くなるだろうし……。


「じゃあ、火曜と木曜は乃蒼の担当。それ以外の日は俺が家事する。土曜は隔週で交代でいいかな?」

「……それならいい。だけど、家事分担の中に洗濯が入ってない」

「それは自分でやれ」

「やだ。あたしは家事の中で洗濯が一番嫌いなの」


 洗濯は敢えて家事の分担から外していたのに、ここでワガママを許すと俺が乃蒼の下着類まで干すことになってしまう。

  

「ちょっとだけ冷静になって考えればわかるだろ」

「いやだ。自分で洗濯するくらいなら、ずっと同じ服着てる」


 普通はお父さんのと一緒に洗濯しないで、とか言うお年頃だろう。男に下着を洗濯されても構わないとか、乃蒼に恥はないのか? 


「じ、じゃあ、自分で頼んでフェリシアさんにやってもらった方が」

「ママに聞いてくる」 


 ……本当に行ったよ。

 数十秒で戻ってきた乃蒼は笑顔だ。駄目元の提案だったが、いい返事を貰えたのか良かった。


「蓮人がやって」

「おいいいいいいいいいい」


 やはり駄目だったか。


「死ぬまであたしのパンツを洗ってください」


 裏で糸引く人間がいるのが丸わかりな棒読みだ。

 自分で言ってて恥ずかしいのか、赤くなっているのは止めて欲しい。俺も恥ずかしくなってくるから。


「いやです。人にお願いする時は心を込めて自分の言葉で言いましょう」

「だってママがこう言えって……蓮人が嫌なら、あたしずっと同じ物着てるから無理しなくていいよ」


 優しい台詞に見せかけた脅迫じゃねえか。服を洗わない奴と同居しろと言うのか。

 乃蒼が気にしていないのに、俺がパンツくらいで騒いでいたら馬鹿みたいだ。


「わかった俺が乃蒼の代わりに洗濯してやる」

「えへへ、蓮人のそう言うところ……好き」

「そのかわりに、料理以外の日曜の家事は乃蒼がやってよ」

 

 乃蒼が首肯する。そのまま俯いて表情は伺えない。納得してるかは知らないけど、これで後腐れはなくなった。 

 よし、俺は自分の部屋に消臭スプレーをまきにいかないと。

 昨日まで親父の部屋だったから加齢臭がするのだ。乃蒼があの部屋を拒否する理由がわかる。


「あたし蓮人のこと好きって言ったのに……嬉しくないの?」

「好きって言えば、嬉しいと思っているのか。乃蒼は、俺のちょっと押せば言うこと聞いてくれるところが好きなだけでしょ」

「蓮人のバカッ、二度と口きいてやんない。もう寝る」


 ガンッと壊れそうなくらい強い力で扉を閉めて、乃蒼は自分の部屋に籠ってしまった。

 乃蒼の行動なんて真に受けちゃだめなのだ。

 

「夕飯は引っ越し祝いに皆でお寿司食べに行くんだって、乃蒼は行かないの?」

「行くわよっ!」

「早速、俺は口きいてもらえた。嬉しいね」 

「ああ⁉ 今のなし、ノーカウントだから」


 乃蒼が言うこと聞いてくれる都合のいい俺が好きなのと同様に、素直になった時のは乃蒼はほんの少しだけ好きかもしれない。






 

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