二話 風鈴とゲームセンター 1
ジメジメとした梅雨らしい湿気に満ちた空気から一変して、「蒸し暑い」を通り越した「クソ暑い」時期になった。
梅雨から夏になるタイミングは曖昧で、いつからエアコンを使おうかも曖昧になってしまう。
エアコンは電気代が高いし、できるなら他の物を頼りたいところだ。
選択肢としては、扇風機が最有力候補だと思う。
扇風機は安定して涼しくしてくれる。あいつの前で座っているだけで暑いという感情はなくなる。でも、扇風機から離れるとまた暑くなる。それが欠点だ。
家にいる間ずっと扇風機の前で構えているわけにもいかないし、移動するたびに扇風機を持ち運ぶのも一苦労だ。
扇風機も買うには買うが、やはり何か他にも夏を乗り越える手段がほしい。
「お兄さーん、暑い~、エアコンつけようよ~」
今日も当たり前に俺の家に来ている七葉が、ひんやりとした床に大の字で体を当てながら言う。丈の短いルームウェアから白くて細い太腿が伸びていて、無意識に視線が引き寄せられる。もうちょっと恥じらいを持てよこいつ。
「エアコンは高いから、我慢しろ」
「ちぇ、じゃあ扇風機くらい買おうよ~」
「そんなに暑いなら自分の家でエアコンつけろよ」
「やだよ、高いじゃん」
くっそ腹立つなこいつ。
「でも、扇風機は買いに行くつもりだったし、いくか」
「やった! 私も行く! 帰りにアイス買おうね!」
床から飛び上がり、一緒に行くなんて言ってないのに「着替えてくるね!」と飛び出して行った。もちろんこのまま置いていくこともできるが、そんなことをしたらどんな嫌がらせをされるかわからない。まあ、ただ扇風機を買いに行くだけだし、いいか。
そうやって自然と七葉に主導権を握られて、扇風機を買いに行くことになった俺は、ベランダに出る窓をカラカラと閉めて、窓越しに澄んだ綺麗な青色の空を見上げた。
「さあはやく行くよ!」
「お前を待ってたんだよ」
財布、スマホ、鍵、必要なものだけを手に家を出る。
車は持っていないから、近所のホームセンターで扇風機を買い、歩いて持ってこなければいけない。
扇風機くらいの重量なら大したことはないが、問題はこの気温の中、扇風機を抱えて歩かなければいけないということ。
ホームセンターまでは歩いて十五分くらいだが、その間耐えられるだろうか。七葉はきっと持つことを協力してくれないし、そもそも七葉には重いかもしれない。
元はと言えば七葉が横着してコンセントを無理矢理引き抜いたのがいけないんだ。そのせいで今ある扇風機はコンセント部分が曲がってしまって、刺さらなくなった。
「お兄さん準備できたよ! 早くいこっ!」
でもそんなこと反省してる色もなく、七葉は楽しそうに玄関から声を上げていて。
「わかったから、ちょっと待ってろ」
そんな楽しそうな七葉を見て、何故か俺まで頬が緩んでしまう。でも扇風機壊したことは許さないからな。
ドアを開け外の空気に触れて、改めて夏の恐ろしさを痛感する。
遠目に見たコンクリートの道路が歪んで見える。たしかこの現象を陽炎と言うんだったか、ちょっとかっこいいな。
部屋の中も充分に暑かったが、外に出ると更にも増して暑くなる。
鍵を閉めて振り向いた先にはもう既に暑さでぐったりとした七葉が待っていて、溶けそうになりながら太陽を睨みつけて文句を言う。
「暑い~死ぬ~」
「やめろよ、余計に暑くなるだろ。こういうのは暑いと思うから暑いんだよ」
「部屋出てきた時点で汗だくなのに何言ってんの」
「うっ……」
自分の額から滲む汗を拭い、アパートの階段に向かう。その後ろを七葉のペタペタという足音が追いかけてくる。その足音がなんだか凄く七葉らしく思えておかしく感じた。
「おりゃっ!」
「うわっ!」
突然背後から腕を掴まれる。ただ掴まれただけならそれほど驚かないが、腕に白い液体が付いていることで驚いてしまった。
「なんだよこれ」
「日焼け止めだよ、お兄さんどうせ塗ってないでしょ? 私が紫外線からお兄さんを守ってあげるよ!」
別に日焼けすることに抵抗はないが、紫外線が肌に毒だということは知っている。わざわざ日焼け止めを買って塗るのが面倒だから、今までしてこなかった。でもこの日差しの中扇風機抱えて帰ってくるんだし、塗ってもいいかもしれない。ただ、問題があるとすれば。
「お前が塗るのか?」
「なに、私に塗られると緊張しちゃう?」
「ち、ちげぇよ。ほら、やってみろよ」
にやけ顔で挑発的な発言をしてくる。ここで拒否すれば、まるで俺が七葉に日焼け止めを塗られるのを恥ずかしがっていると思われるかもしれない。そんなこと思われたら、きっとこいつは揶揄ってくる。
だから、ここは強気に出るべきだ。
「お兄さんったらしょうがないな?。いいよ、塗ったげるね?」
アパートの階段の前で、小ぶりなショルダーバッグから日焼け止めを出して、俺の腕に塗るために手に白い液体を広げる七葉。
もしかしてこの状況、他の住人に見られるとわりとまずいんじゃないのか?
「七葉、なるはやで頼む」
「了解しました大佐!」
細くて小さい七葉の手に広げられた白い液体が、腕に、首に、顔に。
伸ばして、広げて、くすぐったいけどどこか心地良いような感覚がした。
それは日焼け止めについてる爽やかな香りのせい、きっとそうだ。
「よっし、おっけーだよ!」
「さんきゅー。これで紫外線は怖くねぇな」
「だね! じゃあ行こっか、お買い物!」
階段をタンタンと軽快に降りる七葉から、俺の身体に染み付いた爽やかな香りと同じ香りがして、少し心がくすぐったく感じた。
アパートを出て、大通りに出て道沿いに歩いていく。十五分ほど先にあるホームセンターに着くまで、この日差しと戦っていかなければいけない。七葉は大丈夫だろうかと、視線を送ってみる。
「ふひ~、あちぃあちぃ」
バスっ、と音をだして日傘を展開させている。一人だけちょっと涼しい顔してるのが腹立つな。
「お兄さん、着くまでただ歩いてるのも退屈だし、何か面白い話してよ」
「無茶言うな、そんな簡単に面白い話ができるかよ」
「つまんないな~、じゃあしりとりね。しりとりの『り』から、りんご!」
突然七葉のきまぐれで始まったしりとり。どうせすぐ飽きてやめるんだろうけど、俺もただ歩くだけでは退屈だし、暇つぶしに付き合うことにした。
「ゴリラ」
「ライオン!」
「いや弱すぎだろ!」
なんで一瞬で『ん』がついちゃうんだよ、流石のアホさだ。
「しりとりはつまんないよ~」
「お前がやろうって言ったんじゃねぇか……」
じりじりと皮膚を焦がすように照りつける太陽。そんな暑さに憂鬱になりながら、七葉とつまらない時間を潰すためにつまらない会話をする。
いつも家にいる時と大して変わらないけど、場所が違うだけでなんだか新鮮だった。
道路を跨いで向こう側にホームセンターがある場所まで歩いた時、押しボタン式の信号機の前で信号が青になるのを二人で並んで待つ。
信号機が青く光り、七葉が駆け出す。
「さあ目的地は目の前ですよ大佐! ホームセンターで冷房が私を待っている!」
横断歩道の白線の上をぴょんびょん跳ねて渡る七葉を少し後ろから歩いて追いかける。
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