8-5
観光地の大通りを
何件かの土産物屋から店員が顔を覗かせたが、二人の姿を見ると何かを察したのか、生温かい笑顔を浮かべ店の中に戻っていった。
「喉、渇いてきたね」
「そうですね」
気の早い初夏の陽射しに晒されながら一時間ほど歩いてきた。
二人とも、そろそろ休憩したい気分になっていた。
「また、どこかの土産物屋にでも入りますか?」
「うーん、できたらお洒落なカフェの気分なんだけど」
「この前、行った店のような?」
「そうそう、ああいう感じ」
宙樹はあたりを見回す。
昼食を食べた土産物屋兼休憩所のような店はあるが、美朱のお眼鏡にかなうようなカフェは見当たらなかった。
念のためスマホを取り出して検索する。
「ナマコ料理の名店がありますよ。行ってみましょうか?」
美朱にスマホの画面を見せる。
「行かない」
美朱が人差し指で宙樹の頬をグイグイとつつく。
「宙樹先輩のお肌ってキメ細かいよね。モチモチと弾力もあるし。羨ましい」
「特別なことは何もしてませんよ?」
「優越感に浸らないで。男の子の肌は、ほんの一時期だけ……本当に!! ほんの一時期だけ!! 女の子よりも綺麗なだけだから!!」
力説する後輩の目が笑ってなかった。
「はい。すみません。二度と調子に乗りません」
「分かってくれたならいいの」
美朱がニッコリと笑う。
「そのへんのベンチに座って、また午後ティーでも飲みますか?」
「うーん……。先輩、ちょっとスマホ借りるね」
美朱はそう言うと、返事を待たずに宙樹のスマホを取り上げた。
「あ、いい感じのカフェが検索結果に出てるじゃん。もう、ナマコ料理よりもこっち教えてよ……って、このカフェ、あの美術館の中にあるんだ。でも、カフェだけの利用もできるんだね。いいじゃん。ここにしよう!」
「あー……」
「どうかしたの?」
「ええと、おれは別にいいんですけど、
「
「はい」
「まぁ、確かにあまりいい気分になる画じゃないけど、どうしても我慢できないほどじゃないよ? カフェ利用だけなら美術館の中に入る必要もないみたいだし」
「それは、まぁ、そうですけど……」
「あはは、宙樹先輩、心配してくれてありがとう。本当に優しいね。でも、今の私は美術館の雰囲気のいいカフェで紅茶と特製フルーツサンドの気分だからご心配なく」
「分かりました。だったら、行きましょう」
念のため、宙樹のスマホで経路を確認して、二人は美術館に向かった。
※
『天使の
美術館の入り口の横の告知スペースに貼ってあるポスターには、そう記されていた。
「うわ、何度見ても悪趣味な画……」
ポスターを横目に、美朱がウンザリとした表情で言う。
「星さん、そんなポスターを見ていると目が腐り落ちますよ」
「いや、さすがにそれは過剰表現でしょ。インターネットじゃないんだから」
「カフェの入り口はこっちみたいですね」
宙樹が案内板を指差す。
「わー、楽しみ!」
美朱がカフェのほうに駆けていく。鼻歌混じりの軽い足取りだ。
「宙樹先輩、早く早く」
「そんなに慌てなくてもカフェは逃げませんよ」
宙樹が、苦笑いを浮かべながらそう言うと同時。
美朱の足が、ピタリと止まった。
「う、うわぁ……」
「どうしたんですか、星さん? って、これは……」
宙樹の表情が引きつった。
カフェの入り口の横。
そこに、奇怪なオブジェが鎮座していた。
様々な廃材を組み合わせて作ったと思われるそのオブジェは、全長3メートル近くあるだろう。
歪なシルエットだが人の形をしていた。手足の部分が異様に長く、向かって右側の腕が地面に接していた。
よくよく見てみると、地面についてる側の腕は大きな剣のような物体を握っており、その切っ先が地面に触れているようだ。
オブジェの前に置いてあるプレートに目をやると、そこには『収穫者/ハーヴェスター』と書かれていた。
「これって、ポスターの画に描いてあったヤツだよね?」
「……多分」
「ふーん、灰邑義丹って廃材アートも作るんだ」
「どうしますか? やっぱりやめておきますか?」
「やめないよ。せっかくここまで来たんだもの。早く、中に入ろうよ」
美朱がカフェの入り口を指差す。
「へぇ、特集展示期間はコラボカフェみたいなことをやってるんだ。あのオブジェはその一環みたいだね」
美朱が店先に置かれた看板の案内を読んで説明する。
「先輩、どうしたの? 少し、顔色悪くない?」
「ちょっと、疲れたのかもしれませんね。さぁ、早く中に入りましょう。よく冷えたアイスコーヒーが飲みたい気分です」
「うん、そうだね!」
宙樹と美朱は連れ立ってカフェの中に入った。
※
「予想どおりいい感じのお店だね。コラボ相手のアーティストがちょっとアレだけど」
クラシカルで落ち着いた雰囲気の店内に美朱は満足な表情を浮かべている。
「ドリンク一杯につき灰色画伯の描き下ろしイラストコースターを一枚お付けしますって、これ、お断りできないのかな」
「……それは、さすがに店員さんが気を悪くしますよ」
宙樹が美朱を嗜める。
しかし、後輩の言いたいことも分かる。
趣味の悪いイラストが描かれたコースターなんぞ、持ち帰ったところで燃えるゴミぐらいにしかならないだろう。
宙樹は、アイスコーヒーを一口啜る。
苦味の中に柑橘系の僅かな酸味を感じる独特の味わいだ。
一杯1000円は伊達じゃない。
「先輩、心配しなくても、ここは割り勘でいいからね」
「ウッスウッスウッス……」
奢る気がなかったわけでもないのだが、美朱が3000円近くするフルーツサンドとドリンクのセットを何の躊躇もなくオーダーする姿を見て、思わず「ヒィ!」と悲鳴を上げてしまった。その時の後輩の憐憫の眼差しがまだ忘れられなかった。
午後ティー(レモン)としらす丼とフカキドンのキーホルダーの代金を出したのはおれなんですけどね。
……まぁ、キーホルダーは、自分も同じやつをプレゼントしてもらいましたけど。
「宙樹先輩、口を大きく開いて」
「何ですか。藪から棒に」
「いいから」
「はいはい。分かりましたよ。あーん……ムゴ!?」
「ふふ、幸福のお裾分けです。フルーツサンド、美味しいでしょ?」
「ムグムグ……。確かに、美味しいです」
美朱は「あ……」と呟き、テーブル越しに身を乗り出した。
少しだけ迷うような素振りを見せて、宙樹の唇の端に白い指を伸ばす。
宙樹の唇の端に付いていたフルーツサンドの生クリームを拭き取ると、それをペロリと舐め、微笑んだ。
「ほ、星さん!! 嫁入り前の女性が公の場でそんなことをしたらダメですよ!!」
「あはは、そんな昭和じゃないんだから」
美朱が声を上げて笑う。
宙樹は「まったく」と呆れたような笑顔でアイスコーヒーを啜る。
美朱は幸せそうな表情でフルーツサンドにパクつく。
宙樹の頬がまた少し赤くなってることに敢えて言及しないでおいた。
穏やかな午後の時間がすぎていく。
ボリュームを絞ったテレビが、つい数時間前に起きた凄惨な殺人事件を報じる。
被害者は二十代前半の女性だ。白いワンピースがよく似合うとみんなから羨ましがられていた。
殺されたときも、花嫁衣装のような純白のワンピースを身に纏っていたようだ。
彼女の胸にはナイフが突き刺さっていた。花嫁は深紅のブーケを胸に抱き、眠るように死んでいた。
そんな血生臭い事件、今の自分達には関係ないと宙樹は思った。
思った筈なのに——。
「アレ、宙樹くんじゃないか。どうしたんだい、こんな所で」
フワフワと間延びした声が少年の名前を呼んだ。
宙樹は自分の影を死神に踏まれたような気分になった。
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